ソロ婚 〜イマジナリーラバー〜

棚霧書生

イマジナリーラバー

 私はサクラが好き。このサクラとは花のことではない。私が生まれてから最初の友人にして、今は恋人のサクラのことだ。

 サクラのことが大好き。ふわふわの咲き始めの花の桜みたいな髪の毛にぷっくりした小さい唇を持った彼女のこと、ちょっとだけかじってみたいと思ってしまうほどに。だけど、サクラのことを家族や友人には話せていない。どうしてかって? そんなの頭がおかしいと思われるに決まってるからだ。

 サクラは人間じゃない。じゃあ動物かと聞かれれば、それも違うと答えるしかない。サクラは私の脳みそが生み出した幻覚だ。もちろん、私にしか見えない。サクラのような存在のことを学術的な言い方だと“イマジナリーフレンド”と言うらしいと大人になってから知った。

 イマジナリーフレンドは児童期にはよく見られる現象で、特に問題視するものではないという。一般的には成長とともに現れなくなるものらしいが、私のように大人になってからもイマジナリーフレンドを見る人は極稀だがいるにはいるらしい。

 サクラが初めて私の前に現れたのは、私が五歳のときだった。私たちはすぐに仲良くなり、唯一無二の親友になった。しかし、イマジナリーフレンドとは元来、本人の心の支えになるために生み出されるものだと考えられているので、そうなるのも当然のことらしい。まあ、それを知ったところで私のサクラに向ける想いが減るわけでもないのだが。

「百合子さんは次の合コンどうします?」

 考えごとをしながらエクセルに入力をしていたところ、隣のデスクに座っている後輩の女の子に声をかけられた。彼女は入社から二年目の新人で茶色く染めた長い髪を派手すぎない無地のシュシュでまとめている。パソコンのマウスに添えられた手の先を彩るマニキュアはきれいに整えられていて、薬指の爪にだけ付けられたワンポイントのラインストーンがキラキラと輝いて見えた。

「私はパス」

「えー、またですか。百合子さん目当てに来る人も多いのに〜」

 知らねえよ。私はサクラ一筋なんだよ。合コンに出る暇があったら、家でサクラとゆっくりしたい。

「まあ、恋人がいるなら仕方ないですよね〜」

 彼女がなんでもないことのように言う。私はそれにギョッとした。

「私、恋人がいるなんて教えましたっけ?」

 絶対、教えていない。だって、サクラのことは誰にも話していないのだから。もしかして、社内の誰かに根も葉もない噂を流されたのだろうか。

「毎回即答で合コンを断るので、恋人がいるんだろうな〜って、えっと、私が勝手に思ってただけです。すみません、気に障りましたか」

「ああ、いや、別に……。それならいいんだけどさ」

 彼女は少しだけバツの悪そうな顔をした。が、それは長続きせず、すぐさま好奇心に目を輝かせて馴れ馴れしく私に近寄ってくる。

「で、その恋人さんってどんな人なんです?」

「いるなんて一言も言ってないでしょう」

「でも、いないとも言ってないですよね?」

 ジトッと彼女を睨む。だが、彼女には全く堪えていないようで、えー気になる〜、と言ってニヤニヤしている。一応、私は彼女の教育係なのだが、これはナメられているのだろうか。世間の厳しさを教えるためにもあとで仕事を増やしてやろう。

「百合子さんって、秘密主義ですよね〜。はぁ、私はお喋りだからなぁ。百合子さんみたいなクールビューティーに憧れます」

「クールビューティーって……」

 ただ単に、大人になってもイマジナリーフレンドがいて、その子にゾッコンだなんて誰にも話せないだけなんだけどな、とちょっぴりため息が出そうになった。私も好きな人のことを誰かに話したいと思うことはある。しかし、サクラのことを話したら、ドン引きされたり、避けられたりするかもしれないと思うと到底、口には出せなかった。

「百合子さんはしっかりしてるから、彼氏さんも包容力ありそうだな〜。いいなぁ、私も彼氏ゲットした〜い」

 後輩はデスクに肘をついて、会話なのか独り言なのか判然としない曖昧なつぶやきをブツブツと漏らしている。

「……彼氏じゃないよ」

 サクラのことは話さないようにいつも気を張っていた。だけど、どういうわけだか今日は口が滑ってしまった。私のサクラは可愛い女の子だから、いくら他人の想像の上でも男だと思われるのが気に入らなかったのかもしれない。

「えっと……」

 後輩はしばらく表情を固まらせたあと、言葉を探すように目玉をキョロキョロとさせる。彼女は居住まいを正してから、意を決したように頭をバッと下げた。

「なにも考えずしつこく合コンに誘ってました。すみません……!」

「ああ、いいよ、頭あげて。私もなにも言ってなかったしさ」

「百合子さんの優しさ、胸に沁みます……」

「あ、そう」

 ゆっくりと頭を上げた後輩が真面目な顔をしたかと思えば、次の瞬間にはスイッチが切りかわるように笑みを浮かべて、今度三人でカフェにでも行きましょうよ! と元気いっぱいに提案してきた。が、もちろん私はそれを断った。


 私はあの後輩と休日にも頻繁に会うようになった。彼氏ではないと一言、漏らしてしまってからなんとなく彼女には、イマジナリーフレンドであることは伏せて、ぼんやりとならサクラのことを話してもいいかと心のストッパーが外れ気味になっていたのだ。

「サクラさんって、可愛らしい人なんですね〜」

 食後のアイスコーヒーにミルクを入れ、ストローでクルクルとかき回しながら、後輩が言った。

「当然。私の自慢の恋人だよ」

 後輩相手に惚気けるなんて、恥ずかしい気もするが、ようやくサクラのことを聞いてもらえた嬉しさの方が何倍も大きい。

「百合子さんがべた惚れのサクラさん、会ってみたかったな〜」

「ごめん、それは」

「あっ、すみません。サクラさん人見知りなんですよね。私ってば、思ったことをすぐに口に出しちゃっていけませんよね」

「……私も会わせられるなら会わせたいんだけどね」

 サクラは私にしか認識できない幻覚だ。私の脳みその情報を共有することができれば、後輩にもサクラのことを紹介できるのに。私以外は、サクラを見ることもできないことを改めて寂しく思った。

「百合子さんの話から、サクラさんとは新婚夫婦みたいにラブラブだっていうのはすっごく伝わってきますから、大丈夫ですよ!」

 少々、暗い表情をしてしまっていたのか後輩が気遣ってくれる。たぶん、同性間の恋愛で私が悩んでいるのだと思ってくれているのだろう。

「新婚夫婦かぁ……」

 どちらかといえばサクラとの関係は熟年夫婦と言った方が正しい気がする。だって、私とサクラはかれこれ四半世紀ほど一緒にいるのだから。

「百合子さん、ウエディングドレスとか似合いそうです」

「ありがとう。でも着る機会は一生ないかな」

 雑談に何気なく返した私のセリフに後輩が、なに言ってるんですか! と強めに噛みついてくる。

「サクラさんと二人で着たらいいじゃないですか」

「いや、そこまですることないかなって……」

「一度くらい着てみたくないんですか?」

「うーん……」

 ドレスを着てみたい気持ちは少しある。後輩に言われて初めて気づいたが、できるなら結婚式だってしてみたいような気がする。今まではサクラのことをひた隠しにすることに頭がいっぱいで、そんな人間らしいイベントをするなんて少しも思いつかなかった。

「迷ってるならサクラさんと話し合ってみたらどうですか?」

 私は後輩の言葉にとりあえず頷いた。

 自宅に帰って一人、結婚式について考え込む。サクラは心配そうに私を見ていたが相談はできない。なぜなら、サクラは必ず私の心情に寄り添った意見を言うとわかりきっているからだ。いや、言うというよりも、私を肯定するために私に言わされているのかもしれない。イマジナリーフレンドであるサクラには、意見というものはあるのだろうか。ああ、ややこしくなってきた。

 それからというもの、私はサクラとの結婚について、随分と悩み込んでしまった。


 四月、桜が咲く頃、私は小さな教会を一日借りて、一人で結婚式を挙げることにした。正確に言えば、私にとっては私とサクラの二人きりの結婚式だ。一瞬だけ後輩を招待するか迷ったが、それはやめておいた。

「病めるときも健やかなるときも今まで私と一緒にいてくれて、ありがとう、サクラ」

 神父もいないので、私は自分で司会進行をやりつつ、サクラに感謝を伝える。少しくすぐったいような変な感じがする。サクラは私の脳の働きによって存在しているのだから、考えようによっては自分から自分へ独り言を言っているようなものなのかもしれない。

 だけど、私にとってサクラはサクラだ。私にしか感じられないとしても大切なことに変わりはない。

 薄い桜色のドレスをまとったサクラは妖精のようで美しかった。私のイマジナリーラバー、想像の恋人。現実にいるのか、いないのか、そんなことはもうどうでもよかった。ただ私はサクラのことを大好きで、愛していて、今が幸せだと思えている、その事実が一番重要だと思った。

 私のサクラ、私だけのサクラ。そっと彼女の唇にキスをするとサクラは愛らしい微笑みを私に返してくれた。

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