「ソロバン」

低迷アクション

第1話

やっぱり、音、聞こえるな…


絶対、可笑しい。今のご時世“あれ”を使う機会なんて、全然ないのに、PCに電卓、

携帯、いや、スマホって言うのか…可笑しいな…


この部屋、防音ですよね?完璧な絶対防音って聞いてたのに。全く医学も大した事ないよ。

へへへっ…あっ、失礼。気にしないで下さい。薬ですか?ええっ、薬は飲みました。はいっ、大丈夫です。


しかし、今回は随分とお若い先生ですね。いくつですか?えっ、34…?驚いた。

へぇーっ、30代、見えないなぁ~っ5歳くらい若く見られるでしょ?実際の所…


そうか、てぇーっ事は平成生まれ?いや、違うな。昭和の終わり頃の生まれ…

だったら、アレかな?小学校の頃、授業で“ソロバン”やりました?


そうそう、あの“願いましては”で始まる奴…あれです。やりましたか?そうですか。

良かったー。えっ?検定も持ってる?凄いなー。いや、そうですよね、お医者さんなら、それくらい当然ですよね。


いや、失礼。変な意味じゃないんです。ただね。これから始まる私の話が、このソロバンに纏わるモノでしてね。その前提として、コイツを知ってないと、いささかわからない話になるんです。


そう、あのパチ、パツ、パチ、パチ・パチ・パチ・パチ…今も…あっ、大丈夫です。

薬飲みましたから。いえ、すいません。話を始めます。ハイッ、聞いて下さい。

これから長い付き合いになるんですから…



 私、生まれは結構、裕福でしてね。小さな村の地主の家です。そんなモノだから、小さい頃から、地元ではガキ大将紛いの事をやってました。


ただ、ガキ大将って言ってもねぇ、本当に酷い事なんてしませんよ。せいぜい、

神社の賽銭を子分に盗ませてきたり、好きな女の子の服にカエルを忍ばせたりくらいです。ただの小心者の子悪党、子供時代によくある小さな反抗心…ですから、学校の先生や、警察に厄介になった事もありませんし、


今も、こんなに良い療養施設に入れてもらってるんですから。はいっ…


まぁ、そんなこんなで、村には、私に逆らう者はいませんでした。恨まれる程、悪い事してませんしね。これは進学のため、村を出るまで、続きました。ごく平凡な話ですね。すいません。ここからが本筋です。


誰も逆らう者はいませんでしたが、嫌な奴はいました。“タケオ”と言う丸ぶち眼鏡の

丸刈り頭です。まぁ、あの頃は皆、丸刈りでしたが、家が貧しく、本人も、いつも汚れたような服を着ていました。少し障がいがあったのかもしれません。友人も少なく、何の取り柄もないような奴でしたが、一つ特技がありました。


はい、ソロバンです。授業の時間がありました。“願いましては”の掛け声の間の一瞬の静寂、そして合図がかかれば、パチパチとモノの爆ぜるような、あの地獄のような大合唱、最初は私もそれに勤しんだし、楽しみました。パチパチにも色々あります。


ただ、イタズラに弾き回る音に、度忘れしたモールス信号みたいな音、私自身もそうでしたが、ちぐはぐな感じの音は仲間意識、良い意味で学友達の絆を再確認させました。


しかし、そこに不協和音が混じります。正確かつ規則正しすぎるソロバン叩き…タケオです。あいつの方を見れば、まばたき一つせず、ソロバン玉の動きのみを凝視する嫌な姿がありました。


皆が奴を気味悪がり、やがて…察しはつきますね。タケオを学校内でハブくのは当然の流れです。ですが、アイツは全く気にしませんでした。いや、気にしてはいたけど、それを上手く表現できなかったのかもしれません。


靴を隠しました。ソロバンも壊した。あいつ、自分のソロバンにおっきな字で

“タケオ”って書いてました。覚束ない字で…


でも、アイツは止めない。ソロバンが壊れても、すぐに自分の字を入れた専用のモノを用意してきた。タケオの親もそれが本人の得意とわかっていたから、応援してたんじゃないかな…


授業中だけじゃなく、昼の弁当の時以外、ずっとソロバンを弄ってた。

パチパチ、パチパチ…村の子供は少なくてね。クラス替えもない。おんなじメンバーで6年を過ごす。先生もアイツの好きな事を伸ばせればとお咎めなし…仕方ないとわかってても、私達、子供はたまらない。


だんだん、皆イラついてきた。私は皆のガキ大将…手を打つ責任があり、いえ、負わされたんでしょうなぁ。あの時は…



10歳の時でした。私は直接手を下していません。ただ、たまたま、雨の日にタケオの前の掃除当番の奴が、腹痛で午後を早退しました。そして、不幸って重なりますね。誰かが、その日に限って、あいつの鞄を隠しました。結果、掃除と鞄探しで、タケオの帰りが遅れる事になりました。


辺りは真っ暗、雨で地面はぬかるんでいます。タケオのいつもの帰り道は、誰かが停車中のトラックにイタズラをして、パンクさせたせいで、通行できなくなっていました。


足場の悪い崖路がありました。ですが、そこを使えば、奴の家に近道です。タケオは歩きました。暗い夜道をゆっくり確かめながら…


その崖とは反対の脇道から、偶然、私が自転車で飛び出しました。タケオとの距離は充分にありましたが、驚いたあいつは足を滑らせ、真っ逆さまに落ちていきました。


事故です。色んな事が重なったね。警察はそう判断しました。当時は障がいを持った方の理解が少ない時代でしたし、何と言っても、私は地主の息子でしたから…


酷い事を?って、似たような事は何処でもあったと思いますよ。私達はまだ子供でしたし、ほら、なんだっけ?カミュの“異邦人”でしたっけ?


殺人の動機を


「太陽のせいで」


と言ったみたいに、まぁ、あれは社会の矛盾と不条理でしたが…だいたい、そんな感じです。閉鎖的な集合体の中にいるパチパチうるさい異邦人…それは排除しないといけませんよね?


ごく自然に…


あっ、大丈夫です。まだ話せます。大事なのは、ここからです。


事件、いえ、事故当日…タケオが落ちた後、私は確認しました。一応、警察を呼ぶ必要があった訳ですからね。そしたら、聞こえてきたんです。


パ…パチ、パチ、パチ、パチ・パチ・パチ…


もうビックリしてしまって…雨の日用に持ってた懐中電灯で崖下を照らしました。


そしたらアイツ、ソロバン打ってました。いや、もう、首とか変な方向に曲がってまして、下、岩場なんで、頭も割れてたし、あ、これは警察から聞きました。ハッキリとは見えなかったんですが…


でも、あれだけは見えました。潰れた片手でソロバン支えて、もう片方の手、こっちもだいぶ酷かったらしいですけど、それらを使ってソロバンをパチパチパチ・パチ・パチ…


多分、死ぬ前の数秒間なんですけど…私はもっと長いように感じました。でっかい悲鳴を上げて、一目散に逃げました。


それ以来ですよ。ソロバンの音を聞くとですね。猛烈な吐き気と目眩に襲われるようになったのは…


当時は電卓やパソコンなんてありませんからね。商売事や計算、あらゆる事にアレを使ってます。授業以外でも、それこそ、何処でも…パチパチパチ、役場でも、食堂でも、実家でも、誰かしらがパチパチやっていやがる。


あの音が聞こえる度に、崖下のタケオが蘇る。もう、たまりません。成人したって、まともな職にも就けない。それでも、何とかしようと私が選んだのは、村を出て、ソロバンのない環境で仕事をする事です。


選んだのは、市のゴミ収集業でした。今は公務員だからと言って、結構、人気らしいですが、当時は馬鹿の行く所と見られていました。でも、現業職ですから、計算なんてしない。細かい事は全部、ソロバン使うのは本部にいる事務方ですからね。


おかげで、ようやくまともな生活が出来るようになりました。仕事はキツかったけど、慣れれば簡単でした。それに私が就職した時期は、早川電機、今はシャープと言うんですか?電卓を発売しました。そのおかげで職場から、ソロバンは徐々に消えていきましたから…


だけど、やっぱり駄目だった…


あれは仕事を始めて、2年目、20歳の時でした。その日も大量のゴミ袋を収集車の開け口、大きな機械の板が回ってる奴にです。はいっ、そこに放り込んでいた時に、聞こえてきたんですよ。初めはわからなかった。ただ、段々、ハッキリしてきた。


パチ、パチ、パチ・パチ・パチ・パチ…


木っ端の割れる音とか、そういうのじゃない。現に、私の両手はブルブル震え、吐き気が咥内を一気に支配しましたから。視界が鈍り、よろけた私の体が開け口に吸い込まれたのは必然でした。


一緒に作業をしていた同僚が機械を止め、私を引きずり出しましたが、間に合わず、両手は寸断…タケオと同じ障がいを持つ者になりました。


後で、何故、手を突っ込んだか?を問われました。私は音を止めようとしてたんですね。事故当時、意識は朦朧としてましたが、千切れた手首は一つの袋をしっかり掴んでいましたから。


袋の中身は何が入っていたか?お察しの通り、古いソロバンでした。皆は、恐らくそれが他のゴミと擦れ、音を出したのでは?と考えました。私もそう思います…まぁ、あれだけ駆動音のうるさい音の中で、ソロバンの音だけ聞こえるというのは…やっぱり、当時から私は何処か可笑しかったんでしょうね…今では、毎日聞こえます。パチパチパチ、パチ・パチ・パチ…あっ、すいません。


でもね…一つだけ言わせてもらうとね。私がこんな状態に、薬にまで頼るようになったのは、その後があるからですよ。病院先で、警察の人がね。袋の中身を教えてくれた時、特別に見せてくれました。中身の検証写真をです。


あっ、ほら、私、地主の息子ですし…市内と言っても、村出身の人も多くいましたからね。


写真には、生ゴミに混じって、こちらに突き出た昔ながらのソロバンが写っていました。その先端にね…絶叫しましたよ…つたなくおっきな字でね…ああ、駄目だ。駄目だ。出る。あぇへっ…はいっ、駄目だけど、言います。書いてありました…


“タ・ケ・オ”ってね…(終)

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