第16話『やはり無理だったか』
ダンジョンの外に出たのは、実に半日ぶりだった。辺りはすっかり暗くなっていて、魔物の類も見当たらない。
夜風が頬を撫でる。
「ちょいと、寒いな」
血が足りないせいで、体温が下がっている事が原因かもしれないが、今日の夜はやけに冷えていた。
身体に異常はない。負傷はありまくりで、もはや死にかけと言っても差し支えないが、吐き気も目まいもない。至って健康である。
――狂う程の飢餓感を除けば、の話ではあるが。
「本当に極限まで腹が減ると、胃が痛くなるんだなぁ」
呑気に呟くのはアルキバートこと俺である。常人なら、既に倒れ伏して唾をだらだらと垂らしながら死に物狂いで食料を探していたのだろうが、俺はそんな恥を晒すような真似はしない。
田舎育ちということで、日々の食事には畑でとれる作物が主だったあの頃。不作な年も当然あった。そんな時には二日飯が食えないこともあったのだ。飢えには多少慣れている。全く持って慣れたくなかったが。
とはいえ、これも一種の瘦せ我慢だ。長くは続かない。
まだ思考が正常である間に早く食料を探さなければ!
そう意気込んで探し出して早十分。気が狂いそうだ。
歩く足もふらふらで、蛇よりも蛇行してしまっている。ここに来て、食料を準備していなかった事が悔やまれるな。携帯食ぐらいは持っておくべきだった。
半開きになっている口から唾が垂れる。限界が近い。このままだと、土でも口に放り込んでしまいそうなぐらいには、飢餓に狂っている。
「――あ?」
先程まで木々ばかりを映す視界に、異物が入りこんだ。
前に討伐した、『バリスモス』である。珍しくも一体だけで行動しているソイツには、周りに仲間がいる気配はない。
普段なら即座に剣を振って抹殺するところだが、ここでふと脳裏にある言葉がよぎってしまった。
――魔物の肉って、食えるのだろうか?
誰の言葉かって? ああ、俺の言葉さ。
魔物は核である魔石を破壊されなければ無限に再生し続ける、不死の生物。その身体は、魔石に内包されている魔素によって構成されている、物質と化した魔力の塊。
故に、肉ではない。故に、食料には成りえない。
けれど、そんなまともな思考が出来る程、今の俺に余裕は無かった。
「肉、発見!!」
勢いよく、腰の鞘に刺さっている折れた鋼の剣を取り出した。そして、これまた勢いよく、投げた。
投げられた折れた剣の軌道は、性格にバリスモスの頭を捉えていた。見事命中したが、それだけでは魔物が死ぬことは無い。
だが、それでいい。
今の俺にとってこのバリスモスと言う魔物は、ただの再生する無限食料という認識でしかないのだから。
――まずは足のもも肉から。
毛皮ごと噛みつき、引きちぎる。口内に広がる獣臭い生肉の苦々しい味に顔を顰める。
だが、四の五の考える前に、飢餓感に襲われまた噛み千切る。
何も考えられず、何も気にせず、獣のように目の前の血肉に食らいつく。
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も。
――やがて日が昇るまで、その捕食行動は繰り返された。
*
満腹だ。
満腹なのはいいが、喋る気力が無い。先程まで、堅い肉や骨を嚙み砕いたりしていたので顎が尋常じゃない程疲れている。
口を開くのにも体力を使うのは、流石に効率が悪すぎる。今は黙って体力の回復に専念するのが先決だな。
それはいい。それは良いのだが、ここで俺には一つの疑問が残る。何故、ここまでの飢餓感に突然襲われたのか、という至って当然の疑問だ。
だってそうだろう? 俺はダンジョンに向かう前にしっかりと食事は済ませていたし、一日一食で一カ月を生き抜いたこともある超絶的に飢えに対しての免疫を持っている超人なのだ。
突然こんな飢餓感に襲われる理由もなければ記憶もない。となれば、魔物からの攻撃を受けて、妙な弱体化状態にでもなったか。
だが、俺が攻撃を受けたのはあのミノタウロスからのものだけだ。そして、あの猛牛がそんな忌々しい弱体化を付加するような攻撃を仕掛けるとは思えない。
結局、いくら考えてもこの飢餓感の謎が解ける気配は無し。ならば、考えるだけ無駄である。
そう割り切るしかない。
「だが、もう冒険者として活動すんのは無理だな」
もうあんな死の瀬戸際まで追いつめられるような思いはしたくない。
そもそもは平和な生活を謳歌するための資金集めの手段として冒険者という職業を選んだのに、その過程で死んでいたら本末転倒である。
ダンジョンに潜るのは危険過ぎるし、かといって地上の魔物を狩り続けても小遣い稼ぎ程度にしかならない。
――冒険者を続ける理由など、もうどこにも無かった。
「また計画も練り直しだな」
冒険者を続けられなくなった以上、職も探さなければならない。
ああもう、憂鬱だぁ。
「ホントに恨むぜ、この世界」
そして、現実から目を瞑ることで逃避を成した俺であった。
第一章『完』
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