第15話『決着は卑怯に』
正直、しんどい。
目が霞み、意識も朦朧としてきている中で、もはや意地で剣を振り続けていた。
ミノタウロスは容赦なく、そのありあまる膂力で片手に持つ大斧を振り下ろし、我が身を潰さんとして息巻いている。
末恐ろしいと思うことはもう無いが、楽になりたいという思いが出てきてしまっているのは確かだった。
――は?
瞬時に頭に血が上り、剣を振る腕が力み過ぎて迫りくる斧を弾き飛ばしてしまっていた。
剣の刃が欠けないよう、受け流しながら戦っていたのに、それも台無しだ。そんなことに思考を回す余裕など、どこにもなかった。
今、俺は何を考えた? 楽になりたいと願ったのか?
未だにミノタウロスに一矢報いることすら出来ていないのに、奴に何の屈辱も与えられていないのに、今俺は諦めかけたのか?
「っざけんな!」
そんな柔い信念じゃなかった筈だ。
もう取り返しもつかない程に歪んでしまった俺の信念は、そんな簡単に折れるような脆く弱い、可愛らしいもんじゃない。
もっと頑固で、面倒な、薄汚れた強き信念にしようと決めたのだ。俺がそれを俺らしい信念だと思えるように。そんな決意を、今さっき固めた筈だ。
だというのに、なんて体たらく。我ながら流石だなぁ、おい!
珍しく自分を叱責した。師匠やセレスが見たら目を丸くして驚いていただろう。
だが、それでいい。この土壇場でさえも情けなく在るのは、アルキバートの人生ではあり得ない。
今一度、決意を新たに疾走する。もう受けに回る気はない。どれだけ身体に傷を負おうと攻め続ける。確実に寿命を縮める行動を、ただ自分の信念を貫く為にやろう。
――はは、まるでどこかの主人公みたいだ。
アホらしいとも思うし、馬鹿らしいとも思う。だが同時に、俺らしいとも思った。
「オオオオオオオ――――――!!」
目の前の猛牛が咆哮を上げる。自らの攻撃が弾き飛ばされたことに憎い思いを抱きながらも、喜びを噛み締めるように笑いながら。
「笑ってられんのもこれまでだ」
そう、笑いながら言う。
刃が欠けた剣は一振りで折れた。だがそれでも、未だに『刃物』という機能自体は失われていない。多少、リーチが減っただけだ。
――ならば、まだやれる。
もはや短剣と化した折れた片手剣を逆手に持ち替え、ミノタウロスの懐に飛び込んだ。
腕を横に振り、そのまま身体全体を使って遠心力を加えた一閃を放つ。ミノタウロスの胴体を両断するつもりで放った一閃は、ミノタウロスの胴体に浅い切り傷をつけるだけに
ならば、量を増やすまでである。
「せあああああああ――――!!!」
遠心力でそのまま一回転して、その勢いで斜めに胴体を切り裂く。
そこから剣を持ち替え、横に一閃。
斧を紙一重で避けながら、決して引くことなく畳みかける。懐に飛び込めたのは、まごうこと無き偶然だ。今ここを逃したら、いつまた攻撃に回れるかなんて分からない。
故に、このまま押し切る。
だが、かの猛牛がこのまま押されていてくれるわけもなく――
「うおっ!?」
ミノタウロスの、身体全体を使った体当たりを、懐に潜り込んでいた俺は成すすべなく真っ向から食らってしまった。
この身体では、まともな攻撃一つ食らったらそれが致命傷となる。寿命が半分縮むどころじゃない。下手したら即死すらありえた筈だ。
運が良かった。本当に運がよかった。
当たりどころが良かった。身体全体に隈なく衝撃が走っていたから、部分的に食らうよりも遥かに痛みが小さかった。
思考を終え、即座に後ろへ下がる。ミノタウロスは追撃を仕掛けてはこない。負傷した部分の再生に意識を向けているようだ。羨ましいことこの上ない。
血が足りない。
腕に力を入れていなければ情けなくぶるぶると震えてしまうくらいには、満身創痍の状態だった。この状態のまま座ってしまえば、もう立つことは出来なくなるだろう。
だから、地に伏すことはまだできない。意識を手放すことはできない。
眼前の猛牛が動き出す。再生は終わったようだ。先の俺の決死の攻防が全て泡と化し消え去ってしまっている。
ミノタウロスは、こちらを称えるかの如く、静かに見つめながら、俺が斧の間合いに入るまで近づいてきた。
これで最後だと、そう告げている。
態度で分かる、雰囲気で分かる。そして、コイツが俺に何らかの尊敬を抱いているのは、先の攻防で理解できた。
『剣を交えれば相手の真意が分かります』と真顔で言っていた妹弟子のことを以前アホ程馬鹿にしたが、その妹弟子の言葉は決して間違いではなかった。
――不味いな。もう、いいかって気分になってる。
他の、暗殺者や魔物に殺されるのはクソッたれだが、死闘を交わし、共に真意を感じ取ったコイツになら、殺されてもいいと思ってしまっている。
ミノタウロスが、肩に担いでいる大斧を今にも振り下ろさんとしている。俺の首目掛けて、決して外さぬよう正確に狙いを定めて。
そして遂に、その斧は振り下ろされた。
――なんつって。
そんな思いを込めて、ミノタウロスに向けて笑みを見せた。
俺に、心臓を貫かれているミノタウロスに向けて、だ。
「オ、オ――――」
戸惑うように、瞬きを繰り返すミノタウロスは、やがて自らの状態に気づいた。そのタイミングに合わせて、俺も全力で笑みを作る。
やっと、嫌がらせの完成だ。
その逞しい猛牛の肉体が、灰へと変わる。崩れ去っていくその様は、何故かとても満足げに見えた。
結局、弱者の俺を相手にして自らの矜持を傷つけられ、止めを刺そうとしたその隙を狙われ殺されるという、最も屈辱的な殺され方をされたのにも関わらず、だ。
おそらく俺の嫌がらせは、完成こそしたが、成功はしていなかったように思う。
「……最後まで、お前の闘いへの執念は理解できなかったな」
そう、空洞音の響くダンジョンで、猛牛に向けて告げた。
何故、コイツは最後の最後で笑ったのだろう。確かに、屈辱を与えてやったという俺なりの手応えを感じた。それだけは間違いない。
だがあの瞬間。この猛牛は、そんな屈辱を上回る程の感情に飲まれていた。
その感情が何だったのか。気にならないと言えば噓になる。
――いや、どうでもいいか。
そんなの気にしたところで時間の無駄だ。何せ、もうその猛牛とは話せないんだから。
少し、ため息を吐きたい衝動に駆られたが、耐える。今ため息なんか出したら、血も一緒に出てくる気がする。
意識が完全に飛んでしまう前に、早く脱出しよう。
灰の山に埋もれている、二つに断たれた純粋な魔石を掘り出し、魔力を込める。それを、ダンジョンの出入り口を塞ぐ大岩に押し付けて、即座にダンジョンの通路の向こう側へと向かった。
未だぶっ倒れず、意識を保てているのはもはや奇跡だ。
近場にあった岩陰に隠れ、『魔石爆弾』が爆発した後、魔物が集まる前にダンジョンから出ていく。
嗚呼、俺らしい完璧な作戦だ。
「――って、ちょっと爆風強ぎない!?」
耳の鼓膜が破ける程の爆音に耳を塞ぎたくなるが、爆風に吹き飛ばされないよう踏ん張るだけで精一杯である。
これは噂以上の爆発力だ。今の俺の状態じゃあ、下手したら死ぬ! 比喩表現じゃなく、マジで天に召される!
「――――――」
そして、音が消えた。
無音となった洞窟内は静かすぎるなんて生易しいものじゃなくて、今にも崩れそうな程に不安定な天井と壁に、俺は冷や汗が止まらない。
あらかじめ用意しておいた下級ポーションを飲んでから、多少マシになった身体で疾走する。まだ血は止まっていないし、致命傷だらけで完治とは程遠い状態だが、それでもさっきとは雲泥の差だ。
吐血せずに走れることに感謝する日がくるとは、人生何があるか分からん。
そんなことを思うのは後にして、とにかく走った。雪崩れ込むようにして崩れていく洞窟に、何故だか恐怖は無い。
先の闘いで、少々感覚が狂ってしまったのかは定かではない。だが、喜びが恐怖心を凌駕しているのは確定的である。
――どうやら、死なずに済みそうだ。
そんな安堵感が、心を満たしていた。
「
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