第11話 殿下は私の憧れです

「あの氷爪熊アイスベアを倒したのはバートランド殿下ですよね?」

 

 氷爪熊アイスベアに突き刺さる大きな剣を見て、私は殿下に尋ねた。

 

「ああ、間一髪だった。逃げられるかと思ったが、左足から崩れて隙ができたんだ」

 

 そう言って殿下は氷爪熊アイスベアから剣を引き抜いて、ブンッと血を払った。

 大きな剣はそれだけで風圧を産み、弱まってきた雨が斜めに流れる。

 

「左足……? あ、私が付けた傷、効いてたんですね」

 

 私の一撃ではなかなか氷爪熊アイスベアに致命傷を与えることはできなかった。

 だから左足の同じところを何度も斬りつけた。

 最後逃げ場がなくなった時、剣を突き立てたのもその傷だ。

 氷爪熊アイスベアが体制を崩すほどの傷になっていたんだ。

 その事実に嬉しくなって、思わず頬が緩んだ。

 

「さすがだな。だが無茶はするな。一人で氷爪熊アイスベアに立ち向かうなど正気とは思えん」

  

 そう言って殿下は、くしゃっと濡れた前髪をかき上げた。

 よく見ると殿下のズボンには腰まで泥が跳ねているし、腕にも擦り傷があちこち付いていた。

 いつもは華麗に一薙ぎで獣を倒し、傷一つ付かないのに。

 本当に私のために急いで追ってきてくれたんだなと、胸がじんわり暖かくなった。

 

「ありがとうございます。殿下」

 

 そう言いながらも申し訳なく肩を窄ませるを私に、殿下はフッと笑った。

 

「歩けるか?」

 

「はい。大丈夫です」

 

 殿下から差し出された手を取り、そのまま手を繋いで歩き出す。

 でもこの手もあと数日で遠くに行ってしまうことが、頭の片隅で燻っていた。

 

*****

 

 今日はお嬢様とレオポルド殿下の元に、バートランド殿下が訪問する予定だ。

 バートランド殿下がマクスタットに帰る日は明日だ。

 お城の側に留まっている馬車へ、荷物を運び込んでいるのが見えた。

 きっとバートランド殿下はお別れの挨拶をしに来られるのだろう。


 連日続いた雨はまだ乾いておらず、濡れた庭園の花たちは首を垂れている。

 テーブルには3つのティーセット。

 それを囲むように座ったレオポルド殿下とお嬢様が、バートランド殿下の訪問を待っていた。

 

 あれからバートランド殿下は、お嬢様ともレオポルド殿下とも会っていない。

 その間、お二人ともバートランド殿下のことは一言も口にしなかった。

 レオポルド殿下がまだ怒っていらっしゃるのか、私には分からなかった。

 レオポルド殿下は、基本的にお嬢様以外にはポーカーフェイスだ。

 なのでその真意を窺い知ることはできない。

 でもお嬢様のことを溺愛しているレオポルド殿下なら、まだ怒っていても無理はない。

 バートランド殿下が守ろうとしていた友情まで消えてしまいそうな事態に胸が痛んだ。

 

 庭園のアーチをくぐり、バートランド殿下が見えた。

 そしてお互い無難な挨拶を交わした。


「明日、この国を発つ」


 バートランド殿下と会えるのは、これで最後だ。

 もう会えなくなってしまう……。


「グリーゼル、先日はすまなかったな。レオポルドにも申し訳ないことをした。お前の婚約者に取るべき態度ではなかった」

 

 レオポルド殿下のことも、お嬢様のことも、大切に思っているバートランド殿下。

 このままお別れするなんて、悲しすぎる。

 私は思わず前に出た。


「バートランド殿下はお嬢様を守ろうとしただけなんです。 どうか殿下を責めないでください……」

 

「クルト……」


 ダニーロさんが咎めるように私の名前を呼んだが、どうにも止まらない。

 こんなこと騎士である私が言うべきではないと分かっている。

 バートランド殿下にだって、失礼だ。

 それでもこれでお別れだなんてあんまりだ。

 

「クルト、これは君が口を挟むことではないよ」

 

 レオポルド殿下に冷たく言われ、私は頭を下げた。

 

「申し訳ありませんッ! でも……それでも」

 

「いいんだ、クルト」

 

 バートランド殿下は私を手で止め、再びレオポルド殿下に頭を下げた。

 

「先日のことはオレに非がある。責めてくれても、殴ってくれても構わない」

 

 レオポルド殿下はバートランド殿下に歩み寄り、手を差し出した。

 

「顔を上げてくれ。事情はリズから聞いたよ。むしろリズを守ってくれて、ありがとう。僕も感情的になってしまって、すまなかった」

 

 お嬢様はそれに優しく頷いた。

 

「ええ、バートランド様はわたくしの失態を隠そうとしてくださっただけ。謝る必要はございませんわ」

 

 顔を上げたバートランド殿下は、申し訳なさそうにレオポルド殿下の手を取った。

 それを見て私はホッと胸を撫で下ろした。


「ありがとう。グリーゼル、謝罪ついでで申し訳ないんだが、頼みがある」


「はい」


「護衛騎士を一人オレにくれないか」

 

 レオポルド殿下もお嬢様も、その言葉に目を見開いた。

 私にとっても青天の霹靂だった。

 誰もが驚く中、お嬢様は緩く首を振った。


「わたくしの一存では決めかねますわ」


 お嬢様は美しい所作で私に向き直り、まるでお母様のように優しい微笑みで尋ねた。


「クルト、貴女はバートランド殿下が好きですか?」


「はい! 大好きです! 殿下は私の憧れですから」

 

 躊躇うことなく声が出た。

 その言葉が聞きたかったというようにお嬢様は優しく微笑んだ。

 私がバートランド殿下に憧れていたことは、お嬢様含め皆が知っていることだ。

 唯一ご存じないバートランド殿下が、私を覗き込むように尋ねた。

 

「オレに……? 初耳だ。いつからだ」

 

 そういえば言ってなかったなと思考を巡らし、特に隠すこともないので正直に伝える。

 

「5、6年くらい前でしょうか。兄に会いに騎士団訓練場に行ったら、騎士たちと手合わせしている殿下をお見かけしました。屈強な騎士たちに混ざりながらも、少しも引けを取らない殿下は一際輝いて見えました! 特に殿下の剣技は、あの時一番お若いにも関わらず、熟練の粋に達していらっしゃいましたし、私も共に剣を交えたいと思ったものです。あの時はまだ王族と知らず、殿下にお目もじ叶うことはなかったのですが、レオポルド殿下とご一緒にいらした時は、嬉しさと驚きで飛び上がりました! 手合わせさせていただいた時なんてもうっ……」

 

 ハッと気づくと、殿下は口を半開きにして頬を赤くしていた。


 しまった。

 一方的に捲し立ててしまった。

 殿下のこととなると、つい喋りすぎてしまう。

 

「ああ、すみません。思い出したら、つい興奮してしまって」


 ふと殿下の顔色を伺おうとするが、顔を逸らして一向にこちらを向いてくれない。

 それになんか耳が真っ赤だ。

 

「殿下、もしかして……」

 

「な! やめろ。こんな時までオレの表情を読むな」

 

 慌てて片手で顔を覆った殿下は、やっぱり真っ赤だった。

 私が言わなくても照れてるのは、もう皆にバレてると思う。

 

「貴女の気持ちはとてもよく分かりました」

 

 お嬢様は満足そうに微笑んで、話を戻す。

 そしてスッと真顔になった。


「では改めて聞きますが、貴女の望む形でなくとも、バートランド様の側にいたいと思いますか?」

 

「おい……」

 

 遮ろうとするバートランド殿下を、お嬢様は手をあげて止めた。


「バートランド様、少しクルトと二人でお話しさせていただけますか」


 お嬢様が殿下にこんなおっしゃり方をするなんて。

 こんな強気なお嬢様、初めて見た。


 お嬢様の言葉に私は首を傾げた。

 望む形というのがはっきりとイメージできているわけではなかった。

 それでも――


「もちろんです、お嬢様。どんな形であれ、私はバートランド殿下のお側にいたいです」

 

 お嬢様は後ろを振り返り、レオポルド殿下に「宜しいですか?」と尋ねる。

 レオポルド殿下も爽やかに笑って頷いた。

 

「きっとそう言ってくるんじゃないかと思っていたんだ。バートはクルトのことをとても気に入っているようだったから」

 

 殿下が先輩騎士たちにも目を向けると、無言で頷いた。

 それを見てバートランド殿下は、嬉しそうに相好を崩した。


「ありがとう! 大切にする!」


 バートランド殿下は、私を持ち上げくるりと回る。

 まるで空を飛んだような浮遊感のあと着地すると、言いようもない恥ずかしさに襲われた。

 お嬢様たちにも、まさか先輩騎士たちにも見透かされていたなんて……。


「殿下……私は子どもでは、ありません」

 

「ははは。子どもだなんて思っていないから、安心しろ」

 

 殿下の笑顔が眩しくて、いつの間にか恥ずかしさなんて吹っ飛んでいた。

 そんな私の元にお嬢様が近づいてきて、手を取った。

 

「クルト、わたくしは貴女を家族のように思っています。もしマクスタットへ行って困ったことがあったら、いつでもわたくしを頼っていいですからね」

 

「あ……ありがとうございます、お嬢様ぁ。私はお嬢様も大好きです!」

 

「えぇ、わたくしもよ」

 

 お嬢様は優しく私を抱きしめてくださった。

 ふわりと背中にまわされた手がまるで雲のようで、とても心地よかった。

 再び泣き出した私の顔を、お嬢様は綺麗なハンカチで拭ってくださった。

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憧れの王子は私(女騎士)の護衛対象に片想い あるもじろ @armadillo-kinoene

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