ソロタビのすすめ
楠秋生
ソロタビ
「紬、ごめ~ん。約束してた今度の旅行、キャンセルさせて」
姉の麻美から言われたのは、旅行の一週間前。遠恋の彼氏が久々に帰ってくるから、週末は一緒に過ごしたいんだって。ひどいよね。彼氏優先なんて。そりゃあね、中々会えないから会える時に会いたいのはわかるけどさ。私との旅行はひと月も前から計画してたのに。
「キャンセル料は私が払うし、宿に私から連絡いれとくから」
「どうせなら、彼と行ってきたら?」
「え? いいの?」
麻美は早速電話をかけ、嬉しそうに誘っている。あ~あ、なんていい妹なんだろ。麻美に旅行のパンフを渡して自室に戻り、ベッドにごろりと転がる。窓の外には青空が広がっている。今日は旅行に来ていく服を買いに行くつもりだったのに。どうしようかなぁ。
しばらくごろごろして、むくりと起き上がる。暇だし、やっぱり買い物に行こう。
ぶらぶらとウインドウショッピングをして本屋に立ち寄り、入り口の旅行誌のところで一冊の雑誌に目がとまった。
『ソロタビのすすめ』
ソロタビかぁ。したことないな。いつもお姉ちゃんと一緒だったから。人見知りで内弁慶だから、お姉ちゃんにはぽんぽんなんでも言えるけど、知らない人とは話すのはちょっと苦手。一人はちょっと心配かな……と思いながらも惹かれるものがある。表紙には『一人だからこそできる旅がある!』とある。
一人だからこそ。
お姉ちゃんとの旅行は、しっとりと落ち着いた観光と食べ歩きがメインだ。ちょっとぽっちゃりしているお姉ちゃんは、運動が得意ではない。だから時々物足りなく思っていたんだよね。
ソロタビのメリットは、マイペースで動けること、思いつきの突発的な行動がとれること、ゆっくりじっくり時間をかけたいところにはかけられること、と書いてある。できるかな。私でも。
私は思い切ってその本を買い、チャレンジすることにした。
「うわぁ。すご~い。本当にピンクの絨毯だぁ」
リフトの下にペチュニアの花畑が広がっている。写真で見た通りだ。
私は『ソロタビのすすめ』で紹介されていたひるがのピクニックガーデンに来ていた。桃色吐息の丘という名前の通り、ほうっと溜息が漏れる。花畑の真ん中に降り立つと、思いっきり息を吸いこんだ。気持ちいい~。天気にも恵まれ、爽やかな風が頬をなでていく。ピンクの絨毯の向こうに見えるのは、緑の山並みと青空。私は人影が映りこまないように写真を撮った。後でお姉ちゃんに送ろう。ソロタビをするって言ったらものすごく心配してたから。
あちらこちら写真を撮りながら進んでいくと、その先に広がるのはコキアの丘。目の覚めるような真っ赤なもこもこが広がっているのは、とても不思議な光景でまるで絵本の中にいるみたいだ。太ももくらいの高さのまぁるい赤。その間をゆっくりと写真を撮り歩く。
おしゃべり相手のお姉ちゃんがいないのはちょっぴり寂しいけど、写真を撮りまくっていても文句を言われないのはいいかもしれない。お姉ちゃんは数枚撮るとさっさと移動するタイプだから、いつも急かされていた。なるほど、ソロタビのメリットにあったマイペースで動けるってこういうことか。
ペンションで夕食を食べ、今日の写真をチェックする。お姉ちゃんに送る写真をピックアップしていると、何枚にも同じ人が映りこんでいるのに気づいた。できるだけ入らないようにしていたんだけどなぁ。
「お客さま。申し訳ございませんが、相席をお願いできますでしょうか」
顔をあげると、ペンションの奥さんの横に立っている男の人が軽く頭をさげた。
「あ、もう部屋に戻るのでどうぞ」
すでに食べ終わっていたので席をゆずる。いつの間にか満席になってたのね。
「すみません、くつろいでいたのに」
「いえ、大丈夫です」
もう一度頭を下げる男の人に軽く会釈を返して横をすり抜け、気づく。写真に写ってた人だ。オフホワイトのパーカーに黒のパンツ、カーキ色のキャップ。この人もソロタビなのかな。連れはいないようだし、写真にも一人だけで映っていた。
翌日、もう一度ピクニックガーデンに行く。今日の楽しみは、なんといってもジップラインと大型バギー。これこそお姉ちゃんとはできないこと。
ハーネスを装着し、ワイヤーをつたって滑空する。空を飛んでいるような感覚だ。爽快~! 楽しい!
「お一人なんですか?」
一本目を滑空し、興奮冷めやらぬまま次の人の滑空を見ていると、後ろから声をかけられた。昨日の人だ。十人のグループで説明を受けている時から気づいていた。人懐っこそうな微笑みは好印象を与える。グループは、家族が一組、あとは二人組と三人組のメンバーなので、一人の彼とぽつりぽつりと会話を交わすようになる。柔らかな物腰。落ち着いた話し方。ぐいぐい押しつけてこないから、居心地が悪くならない。
滑空する度に感想を言ったり、景色の話をしたり当たり障りのない会話をする。全くの一人じゃないのも、いいものね。その場での出会いがあるのもソロタビの醍醐味かしら。なんて思いながら、めいいっぱいジップラインを楽しんだ。
「楽しかったですね」
さらりと別れたはずなのに。なぜかバギー乗り場でまた遭遇。そりゃあそうよね。一人でここに楽しみに来たのなら、当然のコースだ。予約時間が同じだったのだろう、またしても同じツアー。
「すみません。お一人様ずつのご予約だったのですが、一台の調子が悪いので、この二人乗りに相乗りしていただけますでしょうか」
他の六人乗りのグループや、四人乗りの家族の一席が空いているところもあるけれど、それはそれで入りにくいので、オッケーする。ジップラインで二時間ほど一緒に過ごし、今度は隣に座って一時間かぁ。なんだか一緒に旅しているみたい。イヤな人じゃなくて良かった。
ガイドさんが道案内して連れて行ってくれる絶景ポイントでは、二人とも写真を撮りまくった。この人も写真を撮るの、好きなのね。写真の話で少し盛り上がる。乗車時間の半分は彼が運転し、私は助手席で写真を撮った。後半は交代。運転したそうにしていたのに気づいたのか、さりげなく代わってくれた。気の利く人ね。
「ご一緒できて楽しかったです。ありがとうございました」
さて、今日の最後のお楽しみは、セグウェイツアー。タクシーで移動してツアー受付に到着すると。またしても彼がいる。お互い顔を見合わせて吹き出してしまった。
「一日同じコースですね」
「もしかして明日はラフティングとシャワークライミングですか?」
冗談のつもりで言ったのに、彼が目を丸くした。
「どうしてわかったんですか?」
それでピンと来た。鞄から『ソロタビのすすめ』を取り出して見せた。私たちが辿っているのは、少しハードだけどあれもこれも楽しみたいっていう人におすすめの詰めこみコースだ。
「なるほど。じゃあ、明日も一日一緒なんですね」
彼がなんとなく嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。そして私もなんとなく楽しみだ。
「きゃ~。おもしろ~い」
「割と簡単に乗れるものなんですね。もっと難しいかと思ってました」
セグウェイは意外と簡単に乗れて自由に動き回れた。くるくる回ってみたり、バックしてみたり。ソロタビもいいけれど、話し相手がいるのはやっぱり楽しい。
二人とも同じペンションに連泊していたので、翌日のラフティングは最初から一緒に行くことにした。
「友達にドタキャンされたんですよ。ケンカしていた彼女と仲直りしたからって」
ソロタビの理由を聞いて笑ってしまう。
「私も似たようなものです。姉と旅行の予定だったんですけど、彼氏を優先されちゃいました」
一緒に過ごすうちに、少しずつ会話の内容も深くなって、お互い自分のことも話したりした。
ラフティングもシャワークライミングも普段の自分からは考えられないほど、はしゃいでしまった。旅先の解放感からか、いつもより自分を出して自由にできた。
陽が傾き、なんとなく一緒に夕食を食べに行く。話し上手で聞き上手。一緒にいてこんなにゆったりした気持ちでいられる他人って初めてかも。いや、私がいつもと違うからそう思うのかな。
ソロタビに乾杯してお別れした。
連絡先を聞かれたけれど、それは教えなかった。旅先での出会いに続きがあるとは思えなかったから。
出会いはきっとまたあるよね。
ソロタビ。けっこうハマるかも。
最後の夜の温泉宿。湯上りに浴衣で庭園に涼みにでる。
「これってもう、運命じゃない?」
後ろから声をかけてきたのは……。
この宿はあの本のお薦めじゃなかったのに。
ソロタビに出たからの出会いに感謝。ハマるかもと思ったけれど、結局この後私がソロタビに出ることはなかった。同じペースで旅をできる人を見つけたから。
ソロタビのすすめ 楠秋生 @yunikon
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