フカミドリ

烏目浩輔

フカミドリ

 あ、すみません、キョロキョロしちゃって。取り調べ室ってはじめてだったもので、つい……。


 妻のことですよね。ええ、もちろんです。全部正直に話しますよ。この期に及んで嘘をついても仕方ありませんし。

 でも、ちゃんと話しても刑事さんに信じてもらえるかどうか……。


 ただ、これだけは信じてください。僕は妻にあんなことをするつもりはなかったんです。

 本当なんです、刑事さん。そこだけは信じてください。


 録画ですか? どうぞ、録画でもなんでもしてください。裁判のさいに証拠になるんですね。大丈夫です。理解しました。


 あのカメラで撮るんですよね? 僕と刑事さんを。


 いえいえ、文句なんてありません。本当に録画でもなんでもしてもらって構いませんから。


 もう話をはじめていいでしょうか? はい、正直に話します。では――。


 ええと、事の発端はソロキャンプでした。いったのは半年くらい前です。ええ、そうです。そのソロキャンプです。ひとりでいくキャンプ。


 場所はH県の山の中にあるYキャンプ場を予定してました。家から車で三時間くらいのところです。

 でも、結局Yキャンプ場ではテントを張らなかったんです。夕方ごろに着く予定で家を出たんんですが、道に迷っちゃって、車で走っているうちにあたりが暗くなったんです。そこら辺にテントを張ることにしました。


 実際のところキャンプはキャンプ場じゃなくてもできるんです。テントを張る広場さえあればね。川の近くにちょうどそういう場所があって、近くに車も停められそうでしたから、そこでテントを張ることにしました。


 ちゃっちゃとテントを張って、それからコンロで湯を沸かしました。腹が減っていたので夕食タイムにしようと思って。インスタントラーメンを食べ終わった頃には日が完全に落ちて、あたりは真っ暗になっていました。


 それから――。


     ◇


 ここで録画データを早送りする。しばらく重要ではない話が続くからだ。


 早送りされる録画は少し滑稽だった。映っている人物のカクカクとした動きが、無声映画のコメディー作品のように見えた。適当なところでまた普通再生に戻す。


     ◇


 ええ、それに気づいたのは翌朝です。起きてすぐに気づきました。前の日は見落としたみたいです。テントを張った時点であたりがだいぶ暗くなってましたからね。


 そうです。石碑のようなものがあったのはテントのすぐ近くでした。

 大きさですか? ええと、高さは一メートルくらいでしたね。幅は十五センチくらいです。

 

 確かに石碑ではあったんですが、表面の大半が深緑色になってました。いえ、ペンキとかで塗られているわけじゃないです。深緑色の綿わたみたいなものがこびりついていたんです。今になって思うと、あれはかびだったんでしょうね。


 あのとき無視しておけばよかったんです。でも、僕は近づいてしまったんです。なんだ、あの石碑は? って。

 あんなことさえしなければ、妻もきっと……。


 スマホで何枚も石碑の写真を取りました。あちこちの方向からパシャパシャ。そうしているうちに急に石碑に触りたくなったんですよね。どうしても触ってみたいって……。


 それで、実際に手を伸ばして石碑の頭に触れたんです。そしたら、なにかを思い切り吸いこんだ気がしました。途端にもの凄い咳が出て……。


 ああ、いえ、そんなに長くは続きませんでした。たぶん、一分くらいですね。咳はしばらくすると自然におさまりました。


 咳がおさまってからふと石碑を見たんです。そしたら、石碑の色が変わっていました。石本来の色に。

 そうです。灰色っぽい石の色です。

 おお、さすが刑事さんですね。勘がいい。石碑にこびりついていた黴がなくなっていたんです。


 はい、綺麗さっぱりなくなっていました。たぶん僕が吸いこんだんですよ。ええ、石碑にこびりついていた黴を全部です。咳が出たのはそのせいです。


 信じられないですよね。でも、きっと全部僕が吸いこんだんです。だから――。


     ◇


 早送りしながら思う。裁判所にこの録画データを証拠として提出するさい、重要ではない話はカットしておいたほうがいいだろうか。


 早送りを止めて再生する。


     ◇


 異変は次の日の朝からありました。そうです。ソロキャンプから帰ってきた翌日です。

 妻が用意してくれた朝食の食パンに深緑色のものがポツッとついていたんです。見れば黴でした。いえいえ、そのくらいで怒ったりしません。僕と妻は仲がいいですからね。


 え、刑事さん、そんなことを疑っているんですか? 食パンの黴に僕が激怒して妻を……。

 それはないですって。だって……。


 いえ、ここでなにを言っても信じてもらえないでしょうね。話を続けます。最後まで聞いてもらえれば、きっと刑事さんもわかってくれるはずです。


 ええと、どこまで話しましたっけ? ああ、食パンのところでしたね。そう、食パンに黴がついていたんですけど、それは僕のせいでした。僕が食べ物に触ると黴が生えるんですよ。


 胡散くさい話ですよね。嘘としか思えませんよね。でも、とにかく最後まで聞いてください。最後まで聞いてもらえれば、すべてわかってもらえるはずです。


 今も言ったとおり、僕が触ると食べ物に黴が生えるようになったんです。

 食パンに黴が生えていた時点では、保管方法が悪いとかの理由で、賞味期限前に腐ったのだと思っていました。でも、そうじゃなかったんです。


 その日の朝食は職場で食べることにしました。食パンが黴ていましたからね。

 出勤途中にコンビニでおにぎりを買いました。職場について食べようと思ったら、おにぎりが深緑色になっているんです。確かめてみると黴でした。


 僕はそのとき確信しました。あの石碑が関係しているって。僕が吸いこんだ黴は普通の代物じゃなかったってね。正体はよくわかりませんが、あれはただの黴ではないです。


 いえ、同僚におにぎりのことは言いませんでしたよ。黴だらけになってるなんて気持ち悪いでしょう? とても言えませんよ。

 昼食のときも同僚の誘いを断りました。食べ物が黴るところを見られてたくなかったので。

 案の定、コンビニで昼食用にサンドイッチを買ってみましたが、五分もしないうちに黴だらけになりました。


 妻にだってそんなことは言えませんよ。家には帰りましたが夕食は断りました。調子が悪いと言ってね。

 ただ、朝も昼も食事を抜いてますから、腹は結構減ってたんですよね。だから、もしかしたらと思ってコンビニで菓子パンを買って帰ったんです。

 でも、ダメでした……。


 家には僕の書斎があるんですが、そこで菓子パンをこっそりと確認したんです。深緑色になっていました。やっぱり黴だらけです。


 でも、その菓子パンを見ていたら、凄く美味しそうに見えてきたんですよね。寝ているときにヨダレが垂れることってありますよ。でも、美味しそうだからってヨダレが出たのははじめての経験でした。

 本当に美味しそうで堪らなかったんです。黴だらけなのに。

 とうとう我慢できなくなって食べました。そしたら、めちゃくちゃ美味しかったんです。それまでに食べたなによりも美味しかった……。


 すぐにまたコンビニにいって菓子パンを二十個ほど買ってきました。ちょっと多いですよね。でも、そのときは食べられたんですよ。いくら食べても空腹がおさまりませんでした。黴だらけの菓子パンはどれもめちゃくちゃ美味しかったです。

 二十個を食べ終わったら、また二十個を追加で買いにいきました。嘘と思われるかもしれませんが、本当にそれだけ食べられたんです。もっと食べようと思えば、食べられたはずです。


 次の日の夕食も妻と一緒には食べませんでした。前日と同じ言い訳をしたんです。調子が悪いって。

 妻は心配しましたが、僕は食べることに夢中でした。書斎にこもって食べまくりました。その日はパン以外にも肉や野菜なども買いました。すべて黴だらけになってましたが、食べるとどれも美味しかったです。思いだすだけでヨダレが出そうですよ、本当に……。


 ただね、そのときに気づくべきだったんです。僕が触ると肉も黴るんだって……。


 書斎で食べまくっていたら、リビングのほうで大きな音がしました。ゴトンって。なにか大きなものが倒れるような音でしたね。

 気になってリビングまでいったんです。そしたら、妻が倒れていました。深緑色になってね。

 僕が触ると肉も黴るんですよ。

 たぶん、僕は妻に触っていたんですね。


 妻は口の中まで黴だらけになってました。眼球も深緑色です。でも、そんな状態で生きていたんです。ピクリとも動きませんでしたが息はしてました。

 仲の良かった妻が黴だらけです。美味しそうで美味しそうでヨダレが止まりませんでした。


 だからね、刑事さん、僕はあんなことをするつもりはなかったんです。美味しそうで我慢できなかっただけなんです。

 結果的に妻は死にましたよ。でも、僕は食べたかっただけなんです。殺すつもりなんてこれっぽっちもありませんでした。本当に食べたかっただけなんです。情状酌量とかで罪が軽くなりませんかね。


 全部食べるのに、そうですねえ……一時間くらいだったでしょうか。さすがに菓子パンよりはずっと時間がかかりましたね。でも、僕の妻ですから責任を持って全部食べましたよ。そういえば、骨も噛み砕けるくらいの柔らかさになっていました。黴が生えると骨まで柔らかくなるんですかね。


 って、刑事さんも深緑色になってますね。きっと僕が触っちゃたんでしょうね。黴だらけにしちゃって本当にすみません。

 でも、あれですね、刑事さんも美味しそうですね。どうしましょうか。ヨダレが出てきました。これはちょっと我慢できないかもしれません……。


     ◇


 血生ぐさい取り調べ室で思案する。僕に殺意はなかった。情状酌量を求めて裁判所にこの録画データを証拠として提出するさい、この先のデータは単調だから少しカットしておいたほうがいいだろうか。そもそも、カメラがここにあるからといって、刑事が撮った映像を勝手に編集していいのだろうか。

 

 カメラのモニターは僕の食べる姿と咀嚼音を延々と流し続けていた。


     ◇


 ゴリ、バキ、グチャ、グチャ、グチャ。


 バキ、ネチャ、グチャ、グチャ、グチャ、ガリ。





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フカミドリ 烏目浩輔 @WATERES

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