午前2時のスタジオで
マフユフミ
第1話
その話を聞いたのは、事務所が入ったビルの狭い会議室だった。
迫ったライブの予定もないし、楽曲制作を詰めるにも少し早い、そんな合間の時期。
それなのに急遽集められたことに、なんとなくモヤモヤしたものを感じていた。
「今日は、報告することがあって集まってもらった」
マネージャーの塩崎さんの、少し緊張気味の横顔。
「実は、タクのソロデビューが決まった」
え、ソロデビュー?
思ってもみなかったことに、拓海以外の3人は顔を見合わせる。
この様子じゃ、僕以外のみんなも何も知らなかったみたいだ。
「今回ソロの話をいただいて。すごく悩んだけど、やってみたいと思った。だから、俺のわがままだけど、聞いてほしいと思う」
頭を下げる拓海。
「わがままなんて言うなよ!すごいことじゃんか!」
真っ先に声を上げたのは、ドラムの優二さん。その名の通り優しい男だ。
「そうだよ、タクの歌が認められたんだ。これはほんとにすごいよ。誇らしいよ」
ギターの雅弘さんは、いつもムードメーカーで感情表現が豊かだ。今もうっすら目に涙を溜めて、拓海の快挙を喜んでいる。
「ありがとうございます。もちろん、バンドも今以上一生懸命やるから」
少し肩の力が抜けたのか、拓海の表情がほんの少し緩んだ。
反対されるかもしれないし、裏切りと思われるかもしれない。そんなことを思い悩んでいたんだろう。
「……セイは?俺のソロの話、どう思う?」
聞きにくそうに僕に問いかけてくる拓海。
「……なんて言えばいいんだろう。なんか、すごすぎて実感ないや。とにかくタクには頑張ってほしい」
たどたどしい言葉。
こういうとき何て言えばいいのか、元が口下手な僕にはよくわからない。
「……そっか。うん、オレ、頑張るよ」
ぎこちなく微笑んで、拓海は言葉を発する。きっと、僕の中にある戸惑いなんかを敏感に感じ取っているのだろう。
「とりあえず、今日のミーティングは以上だ。タクのソロプロジェクトはこれから進められるから、バンドのスケジュールにも少し変更が出てくるだろう。それに関しては追って連絡するから。タクは打ち合わせがあるから残ってもらうけど、3人は帰っていいよ」
ガタガタと椅子を鳴らして立ち上がる。
その場に残る塩崎さんと拓海に軽く挨拶してから会議室を出た。
ビルを出た時に吹いていた風は、どことなく冷たく感じた。
僕たちがバンドを結成したのは、もう7年も前のことになる。
幼馴染の僕と拓海、それから先輩の優二さんと雅弘さんは、同じ高校の軽音楽部だった。
昔から目立たない子供だった僕は、昔から目立つ存在だった拓海とご近所さんで、物心ついたときからの幼馴染だ。
ずっと拓海は僕を引っ張っていってくれて、自分だけでは尻込みするような場所でもためらうことなく僕を一緒に連れて行った。
そんな二人の中で、僕が拓海を引っ張り込んだのはロックだけだった。
「え、何?カッコいい!」
僕の部屋で遊んでいたとき、なんとなく僕の大好きなバンドの曲をかけてみた。
それに拓海はものすごく食いついて、一瞬のうちに虜になったようだった。
親の影響でさまざまな音楽を聴いていた僕は、その中でも一番大好きだったロックに拓海が興味を持ってくれたことがうれしくて、饒舌にそのバンドのことを語ったように思う。
「俺、この曲歌ってみたい!」
キラキラした目でそう言った拓海に、僕は言った。
「二人でバンドやろうよ」
中学2年のころだった。
「お前、ロックなんか聴くんだな」
入部届を提出した僕に、そんなことを言ったのは雅弘さん。
「ほんと見た目からは想像つかない音出すよな」
初めて部室で音を出したとき、そんなことを言ったのは優二さん。
おとなしそうな、というか実際地味で人見知りの僕が、ゴリゴリのヘヴィメタを轟音ベースでかき鳴らしたら、誰だってそんな反応になるのだろう。
「セイのベースはほんとうに気持ちいいんです」
先輩たちになぜか得意げに言い放った拓海はのびのびと歌い始めた。
あの日僕の部屋で、バンド結成に盛り上がった僕たちは、同じ高校に進み軽音楽部に入部することにした。
そこでこの二人に出会えたのは、僕たちにとって本当に幸運なことだったと思う。
僕たちのことを気に入ってくれた優二さんと雅弘さんは、一緒にバンドを組むことを提案してくれたのだ。
先輩と後輩という関係ながら、僕たちは本当に馬が合った。
なんというか、空気感がとても心地よかったのだ。
それは僕だけではなく、拓海も先輩たちも同じように感じていたみたいだ。
どんどんどんどんバンド活動にのめり込み、高校を卒業しても僕たちはマメにライブを行い楽曲を制作し、バンド中心の生活を送ってきた。
次第に知名度も上がってきて、ありがたいことにメジャーデビューを果たすことができたのが3年前。
大金持ちになれたわけではないけれど、大好きな音楽と大好きな仲間に囲まれた生活が、僕には本当にかけがえのないものとなっていた。
「なあ、成太」
ビルを出てぼんやり歩いていたら、優二さんに声をかけられた。
「拓海のソロ、どう思った?」
雅弘さんも優しい顔をして僕を見ていた。
この二人に嘘をつける気がしない。
僕はぽつぽつ胸の内を明かすことにした。
「うれしいんです。タクの歌が認められたこと。ものすごくうれしいんです。でも、なんか……」
悔しいでもない、うらやましいでもない、どうにも表現できない感情がずっと渦巻いているのだ。
「お前らはさ、」
雅弘さんが話し始める。
「本当にいいコンビだよな。陰と陽というか、静と動というか。全然タイプが違うのに、なぜかもう老夫婦みたいにぴったり合ってる」
「老夫婦!」
優二さんが笑う。
「でもほんとそれ。何も言わなくても分かってる感、すごすぎ」
そうなんだろうか。
でも確かに物心ついたときからずーっと一緒なのだ。何を話さずとも分かってしまう部分が多々ある。
「だから、拓海が一人で次のステップに行くのが寂しいんだと思うよ」
寂しい ―ー
想像もしていなかった感情だった。
でも。
「僕、寂しいんですかね」
口に出すと、どこかすっきりした。そうか、僕は寂しかったんだ。
「そうだよ。寂しいんだよ。だって今更あいつのことうらやましいとか思わないだろ?俺たちもそうさ。本当に拓海のソロデビューはうれしいし、誇らしい。それでもどこかで釈然としないのは、そういうことだと思うよ」
優二さんは優しく頭をなでてくれた。
「無理なんかしなくていい。寂しいなら寂しいって言ったらいい。それでも、良かったな、頑張れよ、っていう気持ちも本心なんだから。落ち着いたときに、その思いを伝えてやりな」
雅弘さんにそう微笑まれて、やっと僕は自分の気持ちを認めることができた。
寂しい寂しい寂しい。いつも二人でやってきたのに、一人で決めて、一人で違う道に行って、それが寂しくて哀しい。
でも心の底からうれしくて、頑張ってほしい。拓海の魅力をどんどん伝えてほしい。
そんなこと考えていたらなんとなく涙が出てきて、先輩二人に笑いながら撫でくり回された。
その日の夜。
突然電話が鳴り、驚きながら出れば拓海だった。
「いつものスタジオに来て」
もう真夜中に近い時間だというのにそんなことを言う。
でも、昔から拓海の頼みはなぜか聞いてしまうのが僕なのだ。
慌てて準備して、スタジオに向かう。
僕たちがデビューなんてまだまだ夢のまた夢だった時代から練習しているスタジオ。
なんとなくベースも持っていく。
スタジオに入れば拓海は一人でアコギを弾いていた。
「なんだよ、眠いよ」
軽い感じで入っていくと、拓海はあからさまにほっとした表情を見せた。
「ごめんな、こんな時間に」
「まあいいけど。どしたん?」
「うん……」
きっとソロデビューの話だろう。
拓海の話がまとまるまで黙って待つ。
「ソロのこと、黙っててごめん」
「……いいよ、たぶん塩崎さんの戦略だろ」
「そう。正式に決まるまで、メンバーにも黙ってろってあの人が」
僕たちは全面的に塩崎さんを信頼しているから、あの人の言うことは忠実に守る。
「俺、どうしてもやってみたいと思った。バンドは大好きだし、4人でできる音楽が本当に好きだ。でも、自分だけの力を試してみたい、と思ってしまった」
それは非常に納得できる話だった。
拓海はボーカリストだ。歌が大好きで、とにかく歌いたい男だ。
新しく与えられた歌う場所に、興味を示さないわけないのだ。
「裏切られた、なんて思ってないよ。タクはタクらしく歌ってくれたらそれでいい。でも、たぶんちょっと寂しかったんだ。タクが一人で知らないところへいくのが。ずっと一緒だったのに遠い存在になったみたいで」
「そんなことない!」
正直に話し始めたら、拓海がすごい勢いで遮ってきた。
「俺は今も、いつでもおまえの隣にいるよ!ソロでもバンドでも。だから、セイにお願いがあるんだ」
「お願い?」
「うん。俺のソロアルバムのベース、弾いてほしい」
は?拓海は何を言っているんだ?
「それを言いたくて、呼び出したんだ」
「え、で、でも、それじゃバンドと変わらなくない?」
「変わるよ。俺が、俺だけが歌いたい曲をやるから。それを演奏してもらうなら、どうしてもセイがいいから」
何と言っていいかわからない。不思議な感情に囚われて、なぜか涙が出てきた。
「バカだな、タク。ほんとにバカだ」
「お前もバカだよ、こんなに泣いて」
そこからは、二人して大号泣。本当に何やってんだか。
「ほーら、やっぱり老夫婦じゃん」
そんな声に振り向いたら、優二さんと雅弘さんが立っていた。
「え、なんで?」
驚く僕に拓海が言った。
「二人にも、参加してもらうんだ」
なんてソロだよ。バンドと面子変わらないじゃないか。
そんなこと思いながらも、なぜか涙は止まらなくて。
一緒になって泣き出した先輩二人も交えて、4人で一晩泣いて笑って過ごしたのだった。
午前2時のスタジオは、なぜかとても暖かく感じた。
午前2時のスタジオで マフユフミ @winterday
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