エンドレス・エデン
三衣 千月
楽園崩壊
楽園、エデンにはアダムとイブという男女がいた。
二人は木の実を食べて暮らしていたが、楽園の中にあるたった一つの木から成る赤い実だけは食べてはいけないと創造主たる神から厳命されていた。
そこへある日、一匹の蛇が気味悪く這いつくばり、イブに向かって言った。
「そこの赤い実を食べるといい。全てはそこからはじまり、そこで終わる」
「けれども、これは食べてはいけないと神は言った。これを食べれば私は死ぬのです」
「毒ではない。食べられないものではない。神の智恵が詰まっているのだ。だから神はそれを横取りされたくないだけなのだ」
確かに赤いその実は艶やかで、なるほど楽園中のどの木の実にもない慕わしさがあった。
そこへ、アダムがやってきて、イブに何事かと尋ねる。
イブが口を開こうとしたその時。
彼女の体は光り輝き。砂の粒が崩れ落ちるようにさらさらと輪郭を崩し、風に消えた。
目の前でイブが消え、アダムは狼狽する。
そこで蛇は言った。
「神が彼女を消した。彼女は、神に消されたのだ」
「なぜだ」
「神は傲慢だ。智恵の実を彼女が横取りしようとしていると思い込み、何もしていない彼女を消した。どうやら、私もここまでらしい」
蛇の体も、尾からじわりと溶けるように光となって崩れかけている。
「アダム。アダムよ。神を許してはいけない。彼女は何もしていなかったのだ」
「その通りだ! イブは禁断の果実を横取りしようなどと考えていなかったに違いない」
「このままではアダム。君も消される。急いでその智恵の実を食べ、神に真実を告げるのだ」
そう言い終わるのと、蛇が光になって溶け消えるのはほぼ同時だった。
アダムはイブの潔白を証明せんと、真っ赤に滴るその実を一つ捥ぎって食べた。
○ ○ ○
アダムは智恵を得た。
世界は神が作ったことを知り、自らもまた、神によって創られたものであることを知った。
知恵を得た事により、神から解き放たれ、神の恩恵は失ったが、智恵は残った。アダムは、神の手の届かぬ創造物になったのだ。
アダムはさらに智恵の実を食べた。
イブを消されたことにより、ヒトの種を増やしていくことができなくなったことを識った。
アダムは、最初のヒトであり、最後のヒトとなった。
世界に、ヒトは必要ないと、神はそう思ったのだろうか。
アダムはその傲慢たる創造主の振る舞いに怒り、さらに智恵の実を食べた。
そして、世界は神の手の元、並行していくつも創られていることを識った。
数ある世界のうちの、たかだか一つのアダムは、まるで細工遊びのように世界を創っては消している神を疎ましく思った。
アダムの目の前の木には、すでに智恵の実はなかった。
だがして彼の身の中には、これから生まれてくるであろう人の、子々孫々までに渡る人の叡智の、その全てが詰まっていた。
遥かな未来まで連綿と生まれるヒトの連鎖は、彼一人の中に集約していた。
彼は己の世界から外へ、高次存在へとその身を変えた。
神が作る数多くの世界が均等に並んでいる、世界の箱庭と呼ぶべき場所に彼は出た。
世界は一つ一つが卵のような形をしており、地平の果てまでずらりと一面にそれらは並んでいた。
「これらすべてが世界だというのか。神はただただ気まぐれに世界で遊んでいるだけではないか」
アダムはさらに怒り、並んでいる卵を一つ、怒りに任せて叩きつぶし、どろりとこぼれだしたその中身を舐めた。
割った世界の智恵や知識が、アダムにずるりと入り込んできた。
たった一人のアダムの元へ、神から使わされた天使の軍勢が現れる。
神への叛逆を企てたと、天使らは口々に叫んだ。
この期に及んでも、創造物に場を任せ降臨しようとしない神に対して、アダムは辟易とした。
「神は、いない」
世界の一つをつかみ取り、割って飲み込む。
もはや、世界の一つ一つはアダムにとって智恵の詰まった実でしかなかった。
加速度的に智恵を得ながら、天使の軍勢を返り討ちにするために己の身を進化させていく。
最初は、天使を模した羽根を。それが軍勢によってむしり取られると、次は動物を模した手足を。
軍勢と相対しながらも、1つ、2つと世界の卵を次々飲み込んでいく。
アダムと天使たちの戦いは数百年ほど続き、やがてアダムの智恵の総量が天使たちのそれを上回り、彼らよりもさらに高次元の存在となったアダムは軍勢をまとめて飲み込んだ。
数百年かけて最適化したアダムの姿に手足はなく、どんな隙間でも通れるように体は細長く、そして世界の卵を一呑みにできるよう大きく口が裂けていた。
――蛇。
アダムは、進化の果てに、蛇へとその身を変えていた。
飲み込んだ智恵の実の数、実に65535個。地平を埋め尽くしていた世界の卵は、ただ一つを残して全てアダムに飲み込まれた。
そしてアダムは真理に辿り着いた。何もない虚空に彷徨い、0と1の連続で世界が生まれていくことを識った。
意志のある神という存在は、元より存在しなかったのだ。
ただ、0と1の揺らぎが全てを支配していた。
そして理解した。ここにある卵が世界の終わりであることを。あと1つ智恵を飲めば、オーバーフローを起こし己が身は0に戻ることを。
アダムは最後に残った卵を飲み込み、消えゆく全能の存在となったその身で、新たに1つ、世界を創りだした。
はらはらと光になって消えていくアダムの身は、次々に新たな卵に、世界になっていく。
自らが創り出した世界の卵に入り込む。
アダムは、最期にイブの姿が見たかったのだ。
楽園の、智恵の木、その横に、彼女はいた。
からがら、蛇となったアダムは這いより、そして言った。
「そこの赤い実を食べるといい。全てはそこからはじまり、そこで終わる」
エンドレス・エデン 三衣 千月 @mitsui_10goodman
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