穴を埋めるのが難しいんだよ

水円 岳

「うーん……」

「どうしたの? あんた」

「いやあ、懸賞に応募しようと思ったんだけどさ。こんなクソ簡単な穴埋めがどうしてもできないんだ」

「穴埋めって?」


 かみさんが、俺の見ていた紙面に上半身を突っ込んできた。


「これ、これだよ」

「ええと」


『ソロ○○』


「たった二文字なのに、埋まらないの?」

「んだ。こういうのって、出題してる会社が自社製品を宣伝するために作るだろ?」

「普通はそうでしょ」

「だから楽勝だと思ったんだけどさ」

「違うの?」


 新聞の広告欄を赤鉛筆で囲み、もう一度じっくり応募要項と問題を確かめる。


『郵送不可。オンラインでの回答のみ。回答は一度きりなので慎重に。空欄を埋めろ』


「えー?」


 頬をぷっと膨らませたかみさんが、露骨に皮肉る。


「そもそも、なんていう会社のキャンペーンかすら書いてないじゃん。商品ピーアールのための懸賞になってないよ?」

「でも、正解者には抽選で豪華景品をプレゼントって書いてあるからなあ」

「景品の中身も書いてないし。メアド狩りの詐欺なんじゃないの?」

「大手新聞の広告欄だよ。スペースも大きいから、かなりカネかけてる。ちんけな詐欺じゃなさそうじゃん」

「うー、そっかなあ」


 まあ、出どころがわからないってのは確かに気味が悪い。でもそれ以上に気味悪いのは、空欄がすぱっと埋まらないことの方なんだよ。

 応募するかしないかは最後に決められる。でも景品を当てるなら、少なくとも欄を正しく埋めて応募しなければならない。その正解をどうやって探し当てたらいいのかまるっきりわからないんだ。


「紙面のどこかにヒントが隠されてるんじゃないかと思って、記事を端から端までずっと読んでたんだけどさ」

「ノーヒント?」

「そう。一切ヒントなし。バカにしてたけど、超難問だよ」

「そうだよねえ。二文字だから埋めるのは楽だけど、どうやって埋めればいいかがなー」


 俺の手元から新聞を取り上げたかみさんが、当てはまりそうな文字を次々並べ始めた。


「ソロ・ハン」

「逆だろ。スターウォーズファンが怒るぞ」

「ソロ・メシ」

「ありえる。ご時世だからな」

「じゃあ、ソロ・ノミもありってことね」

「そう。ソロを一人に置き換えればいっぱいあるんだ」

「ぐええ。絞りきれないじゃん」

「だから困ってるんだってば」


 待てよ。カタカナを無理に横文字にする必要はないんだよな。『ソロ』を『そろ』に解釈してみようか。『そろえる』とか『そろりと』とか。うーん、候補ばっかがどんどん増えて、ますます思考が混乱する。

 どうしても、ぴたっと穴が埋まらない。たった二文字の丸い穴が逆にどんどん広がっていくように感じる。


「うーん……」


◇ ◇ ◇


「天使長さま」

「なんだ」

「あの問題は正解があるんですか?」


 部下のミカエルに呼び止められたガブリエルは、露骨に嫌そうな顔をした。


「もちろんある」

「てか、ぱっとわからない穴埋め問題は、難題通り越して嫌がらせだと思うんですけど」

「だから懸賞の形にしたんだよ。そうしないとすぐスルーされるからな」


 ガブリエルは、雲海に大書されている問題を指差した。


「文字を狭く解釈すれば、絶対に正解にはたどりつかない。空欄でない二文字。その二つめも空欄だよ」

「ロですか?」

「そう。あれは四角い空欄だ。後ろの丸い空欄とは異なる属性の文字が入る」

「なんですとー!」


 なんて意地の悪い問題だ! ミカエルが絶句する。


「じゃあ、ソ□◯◯だってことですか」

「まだ違う。最初のソ。これは、テンとノの組み合わせだ。一文字じゃなく、二文字なんだよ」

「それはあまりに無体ですよ」


 ミカエルの抗議をつらっとスルーしたガブリエルが、解説を続ける。


「テンノ□◯◯。四角と丸には異なる属性を持つ文字がそれぞれ当てはまる。四角の方は交差を持たない文字。丸の方は交差部分がある文字。四角に『ツ』、丸に『カイ』が入る。正解はテンノツカイ。天使だな。私たちのことだ」

「わかるわけないじゃないですか!」

「わからなくてもいいんだよ。穴を埋めることに意識が集中していればいい」


 ガブリエルが、受付を指差した。無数の魂魄が入国審査のために長蛇の列を作っている。


「生物寿命以外の死因でここにきた場合、審査は迅速に行われる。だが、今回はあまりに数が多い。審査にひどく時間がかかるから、待ち時間がはんぱなく長いんだ」

「ああ、そうかあ」

「孤独死の場合は、本人に自覚がないことも多い。審査待ちの間にふらふら出ていかれるとえらいことになる」

「じゃあ、あの問題は?」

「真剣になれる暇つぶしだよ。それだけじゃないけどね」

「は?」


 ガブリエルが長々と続く列に目をやった。


「孤独死の場合、最後まで一人。ソロさ。それはあまりにもかわいそうだ。穴埋めの時には、現実にはいない配偶者を側に置いてる」

「ああ、じゃあ。僕らの中から出張してるってことですね」

「そう。下級天使に真意を伝えると、彼らとのやり取りがわざとらしくなる。君らにもノーヒント」


 なんだかなあ。ミカエルが、とことん呆れた様子で審査待ちの列に目をやった。


「あの、天使長」

「なんだ」

「今まで正解者はいたんですか?」

「正解者どころか、応募者すら誰もいないよ。彼らは神の真意を知らないが、回答次第で己の運命が変わるかもしれないという怖れは感じている。穴の中身はそう簡単に決められないってことだ。そうじゃないと困る」


◇ ◇ ◇


「なあ、ミカエル」

「なにー?」


 ガブリエルに審査に加われと命じられ、折り畳みの長机を慌ただしくセットしていたミカエルを、同僚のシモーネが呼び止めた。


「今回の穴埋め問題。あらあ、いくらなんでもひどくないか?」

「そりゃそうでしょ」


 ミカエルが天使服の裾をぱたぱたと叩きながら、唇の片端だけをちょっと持ち上げた。


「あれねー、ガブちゃんの苦しい言い訳。亡者に死を納得させるためのメッセージだよ? 『そろそろお迎えがきます』の『そろそろ』の後ろ二つを伏せただけの超簡単な問題。でも、うっかりカタカナ変換しちゃったのをそのまま流しちゃったんでしょ。イージーミスだよ。なんかごちゃごちゃ説明してたけど、全部後付けの屁理屈さ」

「なんじゃそりゃ」


 ミカエルは、くだらない仕事が増えたなーと思いながら皮肉っぽく笑った。


「ははっ。前任のサマエルさまが超有能だったからね。舌禍で天界を追われたけど、仕事はできた。こんな列なんか今まで一度もなかったよ。抜け作のガブちゃんじゃ、その穴は埋まらないってことさ」



【 了 】


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穴を埋めるのが難しいんだよ 水円 岳 @mizomer

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