明治のソロ生活

井上みなと

第1話 明治の独身男性たち

 その日の桜春堂治療院おうしゅんどうちりょういんのお客さんは、鋳掛屋いかけやきよしだった。


「どうも歩きすぎらしくて、いけねえや」


 鋳掛屋いかけやは鍋や釜を直す仕事である。

 ふいごなどの道具を担ぎ、売り声を上げながら街を歩いて、声をかけられたお客さんのところで修理を行うのだ。


 足がだるいという潔の足を揉んでやりながら、北星は商売の様子を尋ねた。


「これだけ足が張るほど歩いたなら、お客さんは結構つきましたか?」

「ああ。今回は所帯持ちの多い場所を歩いたから、鍋や釜を持ってる家がそこそこあったよ。独り者だと男でも女でも、一膳飯屋や蕎麦屋なんかで飯をすましちまうのも多いからなぁ」

「屋台で買っていく人も多いですからね。天ぷらとか惣菜とか」

「昔から江戸じゃ、飯くらいは焚いても、おかずは煮売屋にうりやで煮魚や煮豆なんか買って食うやつが多かったからな。まぁ、そうならなぁ」


 明治といっても、20年ちょっと前まで幕府がある世界だったのだ。

 後に江戸時代と呼ばれるその時代の生活は庶民にも色濃く残っていた。


「江戸は今も独り者が多いですからね。屋台は減るどころか焼鳥屋とか肉を売る店も増えてますし、ますます増えることでしょう」

「そうだよな~。明治とかいっても、変わらずに東京には独り者が多いものな」


 明治の世になり、国元に帰った武士たちもいたが、それでも東京は江戸の頃と変わらず、独り者が多く、28歳くらいの男性でも45%ほどしか結婚していなかった。

 

 そもそも継ぐ家のあるようなえらい武士の家でもない限り、そこまで子供は重要ではない。

 代々続く大名家や公家でも、跡を継ぐのは養子の場合もあるくらいだから、武士の家でも養子はそれなりにあったし、ましてや庶民の家で長男でもない人間が、結婚して子供を産むことが必須ではなかった。


 20代で結婚していなくても最終的には結婚をして、東京でも35過ぎる頃には6割ほどの男が結婚していたが、それでも4割弱が結婚していなかったことになる。

 扶養される身の次男三男は独り者が多く、地方や時によっては厄介になっている身なのに家族を持ったりして……と言われる場合もあったという。


 東京は江戸の流れで屋台や飯屋が多く、独り者には暮しやすい場所だった。


 ただ、東京のみがそうだったのではない。

 東北の方では既婚率が高かったが、西の方では未婚率が高く、同じように28歳ぐらいの男性だと半数以下しか結婚していない地域も多かった。


 北星は潔の足裏も揉みながら、あることに気づいた。


「潔さん、酒の呑み過ぎじゃないですか。塩辛いものを肴に酒を呑んでるでしょう?」

「へへっ……」


 潔は笑うだけで否定しない。

 酒の呑みすぎもあって、足がむくんでいる自覚があるらしい。

 やれやれと柔らかな微苦笑を浮かべて、北星が丁寧に足を揉む。


「一人で暮らしてると、酒とつまみばかり口にしちゃいますからね」

「そうそう! 先生だって、真琴ちゃんが住むようになるまでそんなもんだったろう」


 身に覚えがあるので、今度は北星のほうが否定できなかった。

 そんな雰囲気を背中で感じたのか、潔は笑った。


「まぁー、みんなそんなもんさ。これからはいろいろ便利になるのだから、ますます独り者が増えるかもしれないね」


 潔の予想に北星は微笑を浮かべたまま頷いたが、結果はそうはならなかった。

 

 そこから100年もしない内に、日本は『皆婚時代』という時代を迎え、ほとんどの人が結婚して当然という時代を迎える。

 潔たちのような幕末生まれの世代からしたら、驚くほどの変化だろう。




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