研究室ぼっち女子と、架空の後輩との百合の話

いち亀

「結局、創作ってこういう営みだとも思うんです」

 市街地からやや離れた古めのキャンパスとは対照的な、華やかで柔らかいムード。理系は地味な男子ばかり、という風評を真っ向から覆すような、お洒落と学業を両立させている女子学生のランチタイム――を横目に見ながら。


 津田つだ眞梨子まりこは、学食のカレーの余韻を缶コーヒーで流し込む。

「――ごちそうさまでした」

 気合いを入れるように手を合わせ、続けて時計を確認、問題なし。


 反応待ちに20分なら。実験台と食堂の往復で約10分、食事に約5分、その他の身支度に約5分、でロスなし――という、一部の実験系に特有の忙しないタイム感。本来ならお喋りでもしつつまったりしたい時間なのだが、それはあまり惜しくない。


 現在の緒川おがわ研で唯一の女性メンバーである眞梨子には、「仲良く」できる人間がラボにいない。



 教員はともかく、学生数でいえばそれなりに女子の多い研究科なのだ。眞梨子にだって、学部の頃は仲良しの女子がいた――就職やら院転やらで、そのまま院進したのは眞梨子だけだったが。

 学部3年から属している緒川研だって、以前はそれなりに女子メンバーもいたのだ。特に2つ上の先輩には公私ともにお世話になった、大好きなお姉さんだ。しかし修士1年になった今、この部屋には上にも下にも横にも男子しかいない。なんなんだよ、真上のラボとか女子の方が多いじゃねえか。


 別に、唯一の女子にセクハラを仕掛けようとか、仲間外れにしようとか、積極的な嫌がらせをしてくる人はいない。おっさんばかりとはいえ教員だって割と平等だ――正確には、男女平等に厳しくせっかちでねちっこいし無理ゲーをふっかけてくる。なので、男子とそれなりに仲良く励ましあおうとすれば出来る、はずなのだが。

 なんの巡り合わせか、女慣れしていない層が濃いのである。表に出そうとはしていないが「あわよくば」「ワンチャン」な気配は否めない。とはいえ、この状況で彼氏ポジションの奪い合いになったら、ラボ全体が冷戦になるのは明白だった。ストップ、サークルクラッシュ。


 そのリスクを鑑みると。眞梨子が平穏に過ごすための策は「平等に仲良くする」「平等に距離を取る」の二択で――うち前者は、どう考えても無理で。

 徹底的に「仲良くなれそうな女子」要素を消していくことにしたのだ。基本ノーメイクでジャージ、受け答えは事務的に、用がなければ即離脱。幸運なことに、あるいは悲しいことに、「研究に疲れて見映えを捨てた女子院生」という解釈も自然に通る世界である。自分の気分は下がりがちだが、背に腹は代えられない。


 そうして、学内では徹底してソロを志向し、癒しはプライベートのみに求めていたのだが。いたのだが。どうにも、ラボでの滞在時間が長くなりつつあるし、悩みの種も増えつつある。


 ラボに、癒しが欲しい。女の子、来て。

 だがしかし。

 

 あの先輩は修了したんだ、いくら呼んでも帰ってはこないんだ。

 新人だって来年までは来ないんだ。私も、ソロ女子として現実に向き合うときがきたんだ……


 いや。現実と向き合わなくてもいい。

 非実在でもいい、私の脳内だけでもいい。


 いっそつくろう、同ラボ女子。

 ソロで始めよう、理系学生百合。


 そして、妙に生意気だけど実は深く懐いてくれるめちゃくちゃ可愛い後輩が急遽配属されたのである。私の脳内に。



 共用器具の掃除当番の日。

「ねえねえマリ先輩、」

「どうしたの?」

「お世話になっている先輩には特別に、私のお掃除を手伝わせてあげる栄誉をですね」

「あのねえ、人にヘルプを要請する態度がそれ?」

「私は楽する、先輩はボスに削られた自己肯定感を可愛い後輩に上げてもらう、Win-Winという奴です。あそこ、内緒話にうってつけですし」

「……しょうがないなあ」

「わ~い、マリ先輩だいすき!」

 にんまりとした後輩がるんるんと先を歩いていく――のをイメージしつつ、眞梨子は重い腰を持ち上げる。


 中間報告会の前夜。

「あれれ~おかしいな~、スケジュール管理の甘さを助教に突っ込まれている先輩がまた一夜漬けしようとしてる」

「その助教先生に資料リテイク食らったからだよ! そして明日は教授に突っ込まれる、ビバ序列社会!」

「あらま~大変ですこと、まあボコボコにされたら私が慰めて差し上げますので」

「……じゃあ明日終わったらぎゅってしてくれる?」

 言った途端、頬を両手で挟まれる。

「打ち上げでもハグでもしてあげますから。今夜はあんまり無理しちゃダメですよ」

 ツンデレが上手い美少女には勝てない――みたいな光景をイメージしつつ、眞梨子は目を開く。よし、まだやれる。


 企業に面接で落とされた日。

「あんなに和やかだったのに……お祈りはどこにも響かないっての! もう人事の笑顔も褒め言葉も信じられない!」

「社会の建前、分かってても辛いですからね……けどほら、後輩の愛は信頼しかないですよ」

「……今日も可愛い……伴侶に採用して何でもするから」

「同棲は吝かでもないんですけど共働きがマストですねえ……じゃあ気を取り直して自己研究の続きしましょう、私が思う先輩の長所の話でいいですよね?」

 私の長所は精神面の自己管理力です。非実在の友人と脳内で会話することでいつでもメンタルを立て直せます。


 同期が装置を壊して眞梨子の実験が止まった日。

「今回は真面目にマリ先輩に同情しますよ」

「あのクソオスめ……AV視聴ログ実家に流出しちまえ」

「不幸があんまり凶悪じゃない、そういう先輩の感覚好きですよ」

「学会発表中に特大放屁ぶっかませ」

「私たちまで臭いじゃないですか嫌ですよ」

「うわ~ん、これは本当に私は何も悪くないもん! 癒やして!」

「はいぎゅ~! 先輩、生きててえらい!」

 甘い匂いのする髪に顔を埋める――その快感をエミュレートしながら、眞梨子は実験計画を練り直す。前に思いついた別アプローチ、先生に提案してみよう。


 内定が決まった日。

「我、優勝せり!」

「はい、おめでとうございます! ……けど、それなりに優秀な先輩ですし? 我々は高学歴理系ですし? 特に心配はしてなかったですけども」

「じゃあなんで泣いてるのかな~! 素直になりたまえよぅ、さあ飲みいこ!」


 乾杯。人気のない談話室でコーラを飲み干す。


 ……そんな風に、就活をクリアし修論に取り組んでいく中で、新たな学生がラボ選びを検討する季節となり。


「津田さん、ちょっといい?」

「はい、なんでしょう」

 実験に取りかかろうとした所でタイミングが悪い、と思いつつ助教に答えると。


「ラボ見学、なんか珍しく女子が多いからさ。空いてるときに応対してあげてよ」

「これ後回しで何の問題もない実験なのですぐ伺います、ありがとうございます!」


 足早に向かいつつ、プレゼンの策を練る。それほど闇が深いラボではないが、教授の講義は概ね不評だし、研究分野は面白いとはいえ拘束時間は長い。第一に、嘘は言いたくない……けれど。


 とりあえず、実感として。

「友達となら楽しいから」――これで引っ張ることにしよう。嘘ではないし。

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