偉大なる大天才T・オイリエット氏物語

出汁殻ニボシ

その華麗なる人生

 惑星学者 T・オイリエット氏は、まず間違いなく今世紀最大の大天才であるからして、その才知に相応しい大問題を抱えていた。渾身の自説が、げんなりするほど周囲に受け入れられていないのである。

 ある嵐の晩、雷の直撃を受けてから叡智の花開いたオイリエット氏は、それから三か月ほど後に一大発見をした。

 「あの空をめぐる太陽は、別に絵とかじゃなくて、一個の惑星として、この大地を中心に周回しているのだ!」

 まさしくブレイクスルーであった。彼は持論の証明を急ぎ、ありとあらゆる実験を行った。雷雨の日に紐で繋いだ蛸をロケットで飛ばしたり、斜塔の最上階から重さの違う鳥の羽と鉄球を落下させたりもした。

 そうやって実験を重ねれば重ねるほど、持論の「天動説」は増々科学的根拠に基づいた盤石の理論へと進化してゆき、その学術的な正しさは誰の目にも明らかであるように思えた。

 ところが、この素晴らしい学説を、氏の知人たちは悉く信じようとしなかったのである。より正確に言うならば、彼らは自らの手の届く範囲か、せいぜい何時から雨が降り出すか程度のことにしか興味がなく、仮に地球が亀の甲羅の上に存在していようとも、彼らにとってそういった事実は、オイリエット氏の大演説同様、極めてどうでもいいことに過ぎなかったのである。

 さしもの秀才オイリエット氏も、この無知蒙昧な大衆には頭を抱えた。彼は周辺住民の知的レベルには微塵も興味がなかったが、賞賛は人一倍欲しがった。天才は孤高であるがゆえに、時としてうんざりするほど構ってもらいたがるものである。

 しばらくの間、受難の日々が続いた。食事はほとんど喉を通らず、体は錆び付き、目は落ちくぼんで、ほとんど狂人のような有様であった。だが、失意のどん底で部屋を掃除している時、ふと蛸を打ち上げるのに使用したロケットの残骸が目に飛び込み、たちまち復活した。天才とは、いやになるほど諦めが悪いものである。

 「大衆が理論を理解できないのであれば、物理的な証拠を撮ってくればいいのだ。飛ぼう」ロケットを用いて、宇宙から天動説の正しさを証明する記録を持ち帰るのだ。

 オイリエット氏の決意は固く、翌日から早速建造作業が開始された。オイリエット氏本人が乗り込むのだから、蛸をぶっ放したような小型で、帰還も考えられていないものではいけない。もっと大きく、安全で、何より偉大な印象を与える外装でなければならない。氏の個人的な意向により、建造は困難を極め、計画は何度も立ち消えの危機に阻まれかけた。けれど、オイリエット氏の情熱はしつこくたぎり続け、ゆっくりとではあるものの、ロケットは完成への道を辿っていった。天才とは、一度火が点くと、厄介なぐらいに執念深くなれるものである。

 こうしてロケットは完成した。それは流線型をしていて、あきれるほど美しく、誰が見ても「このロケットを製造したものは、世界一の天才である」と一目で理解できるような、素晴らしいロケットだった。上記の文言が、五五種類以上の言語に翻訳されて、外装を埋め尽くしているのである。また、言葉によるコミュニケーション手段を持たない者のために、ご丁寧にも記号による表示まで記されていた。これで彼の偉大さを理解できない者は、想像を絶する阿呆以外にはあり得ないし、そういう阿呆からの賞賛を氏は必要としていなかった。天才とは、きわめて合理的な思考を持っているものである。

 製造と半ば並行して、発射の準備も進められた。発射台の角度、燃料の補給など、ありとあらゆる作業は厳密な科学的計算によって求められた数値に基づいて進められ、そこから外れたものは何一つとしてなかった。また、出発は夜明けと定められたが、これは氏のヒロイックな願望を満たすという科学的根拠に基づいて決められた。天才とは、時にげっそりするほどロマンチックな欲望に耽るものである。

 いよいよ出発というその時、オイリエット氏は発着場に集められた群衆へ別れの言葉を送った。

 「花に嵐の例えもあるさ。サヨナラだけが人生だ」

 この非常にオリジナリティ溢れる一文からも、彼の並外れた才能が十二分に読み取れよう。

 かくしてロケットは轟音と共に、白み始めた空へと飛び立っていった。そして間もなく宇宙空間へと到達した。本当のところは、大気圏を脱出するまでにいろいろと科学的な問題が立ち上がったりもしたのだが、そういう細かい問題は、注意深く取り組めば取り組むほど、描写を細かくすればするほど、更に厄介な方向へと発展してしまうという法則を、氏は経験から知っていたので、そこそこに対処する技術を前もって身に着けていたのだ。天才とは、力の入れどころと手の抜きどころを、きちんとわきまえているものである。

 出発地が親指の爪に隠れるくらいほど遠くに到達した辺りで、氏は記録の準備を始めた。計算上、ロケットはあと数分で安定した軌道に乗るはずだった。

 ところが、白銀のロケットは計算された軌道を大幅に反れて、あらぬ方向へと走り始めたのである。大慌てで検算を始めた氏の手元を、突如として奇怪な光が照らしだした。

 渺茫たる宇宙の一面に、前触れもなく四角い切れ込みが入り、すぐさま下から巻き上がるようにして、純白の壁が現れたのである。切り開かれた壁からは白熱光が溢れ出し、氏の目を直撃して何度も瞬かせた。ロケットの鼻先は、どうやらその壁を目指しているようである。

 時間が経つにつれて、光は増々強くなり、オイリエット氏が肉眼での観測を諦めかけたその時、白壁の奥に巨大な影が現れ、まるでこちらを覗き込むかのように揺らめいた。氏は動くこともできずに、影を見つめていた。どの道、ロケットは既に制御不能状態へ陥っており、氏にできることは何一つなかったのである。

 観測機器が異常を知らせる悲鳴をあげるなかで、オイリエット氏とロケットは影へ吸い込まれるように飛んでゆく。

 

 

 一方、エタオイン時計製造会社の新製品発表会会場、すなわちオイリエット氏のロケットから、直線距離で十メートルと離れていない場所で、代表取締役の斎藤は、見るも見事な禿頭に大粒の汗を浮かべながら、懸命に長広舌をふるい続けていた。彼の背後にあるのは、巨大なガラスケースとそこに収められたミニチュアサイズ地球、月、そして極小太陽である。

 「……長針の役割を果たす太陽が、地球に昼と夜を生み出し、短針代わりの月が、潮汐と微妙な重力変化を与えることで、この『惑星時計』に変化をもたらすのです。

  それだけではありません。中心部に置かれたミニ地球には、人間そっくりの小型ロボットが放してあるのです。このロボットたちが生活し、街を興し、ダムを造り、道路を敷くことで、地表は常に変化し続け、お客様の目を楽しませてくれるのです……」

 極めて視力の良い観客ならば、この時、斎藤の後ろにそびえたつ惑星時計の中で、極めて小さなロケットに乗り込んだままガラス面に衝突、その後爆死するという、およそ研究職にあるまじき凄惨な死を迎えた大天才、T・オイリエット氏の悲劇を目撃することができただろう。

 こうして世に並びなき才人、オイリエット氏の頭脳は永久に失われた。しかしながら、彼の死は決して無駄にはならなかった。

 氏が飛び去った後、地表では他のロボットたちが氏の帰還をなんとなく待っていたが、月日が経ち、氏がもはや不帰の身となったことを理解すると、その死を悼んで、毎年彼が地球を発った日に、大気圏外へロケットを飛ばすという奇妙な祭りを行うようになった。

 斎藤はある時、一日に一度、必ず同じ時刻に惑星時計の中央から小さなロケットが飛び出すことに気付いた。彼は代表取締役であって、惑星時計の詳細な仕組みを理解していたわけではないので、それを時計にもともと搭載してある時報か何かだと考え、セールスポイントの一つとして大々的に宣伝を行った。結果、惑星時計は多くの人々の目に留まり、エタオイン時計製造社は中々の広告効果を上げたという。

 天才とは、その死までもが大いなる付加価値を生み出すものであり、その点から言っても、やはりオイリエット氏はまごうかたなき天才であった。

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