来たれ!福音荘

 少女は机に座って、優雅に紅茶を飲んでいた。こちらに気付いて、カップを静かに置く。


「あら、いらっしゃい。福音荘ふくいんそうにようこそ。ここの主人に用かしら?奥にいるわよ」


 相手は何も感じていないようだった。覚えているのかも怪しい。

 朝会った時と全く同じ格好で、短杖も自分のすぐそばに置いている。

 急にぶつかってくるようなお転婆さは見受けられず、高貴さすら窺える振る舞い。


「おう、ありがとよ。ちょっと呼んでくるわ。坊主はここで待ってな」

「はい」

 ベテラン門番さんが、勝手知ったる、という風に奥の方まで入っていった。

 一人残されて、所在なく立ち竦む。することもないから、部屋の中を色々見る。


「あなた、ここに入ってくるの?」

 例の少女が、興味深そうに聞いてきた。深紅の瞳が、覗き込んでくる。

「さっきの人は、街門守衛兵隊の人よね。東門かな?首のそれ、『許可証』でしょ?初めて見たかも。何の種類?あ、それから、町の外から来たの?出身は?ねえ、ちょっと、聞いてるの」

 優雅さが少しずつ消えて、質問攻めしてきた。何か気になることがあるのか、食い気味だ。今にも立ち上がって、詰め寄ってきそう。


「ええと、まあ、これからよろしくお願いします」

 どう答えたらいいのかわからず、最初の質問にだけ遠回しに答える。

「あっそう、よろしく。それよりもさあ、ねえどこの……」

「おおい、坊主。いたぞ、爺さん。こっち来ぉい」

 また質問が始まりそうになったが、奥からのだみ声がかき消した。ベテラン門番さんが呼んでる。

 目の前の少女が不満そうな顔をしていたが、奥の方まで進む。後ろからついてきているような気がする。


 福音荘の間取り。

 玄関から入ってすぐはロビーのような大部屋。そこから奥に廊下が繋がっている。廊下からは上への階段と、幾つかの部屋に行ける。パッと見た感じ、こんなものだった。


 廊下の最奥の部屋だけ、ドアが開かれていた。話し声もするから、そこに行けばいいだろう。

「あの一番奥の部屋よ」

 短杖を持った背後霊もそう言っている。


「おう、入れ入れ」

 部屋の前まで行ったら、ベテラン門番さんが中から呼ぶ。隣に、老紳士って感じのおじいさんがいる。この宿の主人だろうか。


「この人が、坊主がこれから世話になる、ここの主人だ。年の功で何でも知ってるから、存分に利用しろ」

「なんですか、その言い振りは。確かにいくらでも頼ってくれていいですが、言い方があるでしょう」

 気の知れた間柄なのだろう。楽しそうに冗談を言い合っている。

「緑川一心君、でしたね。これからよろしく」

 老紳士が、手を差し伸べてきた。こちらからも握り返す。深く皺が刻まれ乾燥している手は、年齢を感じさせるものだったが、握る力強さは若々しいものだった。

 握手が終わってから、老紳士の顔をじっと見つめる。些か礼を失した行為かもしれないけど、人柄をある程度見極めるため。

 スーツのような服に身を包み、指の先までピンと張った意識の高さが見受けられる。内面とは裏腹に、外見は老いの影響を強く受けている。丁寧に手入れされた総白髪に、張りのなくした肌。穏やかな顔に優しい笑顔。良い人そうだった。


「どうかしましたかな?」

 流石に怪しまれたのか、少し警戒したような声で聞いてくる。これからお世話になるのに。

「いいえ。素敵な方だと思って」

「ははは、ご冗談を」

 誤魔化すために変なことを言ったけど、笑って流してくれる。まだ二、三、言葉を交わしただけだけど、良い人だってことがよくわかる。

「見かけに騙されんなよ、坊主。その爺さんはそんな見た目なのに、曲者だからな」

「相変わらず失礼ですねえ」

 なんだか楽しい会話だった。


「で、この人はどういう人なんですか?マスター」

 綺麗な声が、会話を遮る。老紳士はマスターとも呼ばれているのか。

「彼は今日からここの住人ですよ。あなたと同じですね。その前に、色々説明しないといけません。手伝ってください」

「はい」

 老紳士が話を纏める。何か説明してくれるようだ。



「まずは自己紹介から始めましょうか。私はこの福音荘の管理人をしている、グレイといいます」

「あれ?名前……」

 魔法の威力が上がるとかで、言っては駄目な筈なのに。

「戦闘系の職についてるやつは簡単に名前を教えねえが、それ以外のやつは別にその限りじゃねえよ。むしろ、信頼を築くために教えることが多い」

 ベテラン門番さんが教えてくれた。この世界の常識は、まだまだ分からないことも多い。「なんでそんなことも知らないのよ」

 いつの間にかグレイさんの隣に立っていた少女が、強い口調で聞いてくる。さっきまでより機嫌が悪そうだ。

「この坊主は、そこらのガキが知ってるようなこともなぜか知らねえんだよ。多分訳アリだ。あまり言ってくれるなよ」

 ベテラン門番さんがフォローしてくれる。

「ふぅん」

 納得はしていないようだけど、取り敢えず引っ込んでくれた。訳アリ、という言葉に、少し気まずそうに反応していた。

 

「私はここの住人。戦闘魔導士志望だから、名前は教えないわ」

 気を取り直して、少女が自己紹介した。せんとうまどうし。戦う魔法使い、ということだろうか。魔法が生活に有効活用されている例は幾つも見たけど、戦いにも使えるのか。

「そんなこと言わずに。これから一緒に暮らすんですから。私と同じように、苗字は言わずに名前だけとかでいいですから」

 グレイさんが咎める。何が気に食わなかったのか、穏やかな口調と裏腹に、有無を言わせない圧があった。

「はぁ、わかりました。ァーァ。私の名前はリリィ。よろしく」

 納得いかないような顔をしながら、ぶっきらぼうに言ってきた。

 グレイさんが、よろしい、とでも言いたげに深く頷いてから続ける。

「福音荘の概要についてお教えしましょう。ここ福音荘は、行く当てのない若者の宿となることを役割をしています。今は四人の住人が暮らしています。一心君が五人目ですね。教会とユタリカ城の支援を受け、活動しています。格安の代金の代わりに、週に何度か雑務をお願いします。代金は月末に貰いますね。一人につき家具付きの個室一部屋。家事は自分の分は自分で。周りに迷惑をかけるようなら、数回の警告ののち強制退去。食事は朝夕は希望者に私が作りますし、使いたければキッチンをいつでも使用可能です。風呂はありません。トイレは男女別の共有。生活のルールは、暮らしていく中でおいおい伝えましょう」

 急に色々言われても、正直覚えきれない。少しずつ頑張ろう。

「若者の独り立ちをサポートする、それがこの福音荘の存在意義です」

 言い終わってから、グレイさんは満足そうな顔をしていた。この仕事に誇りを持っているのだろう。


「リリィさん、何か付け足すことはありますか?管理人としてではなく、住人としてだと見えているものも違うでしょう」

 グレイさんが隣の少女に話を振る。

「特にないですよ。ただ、同居人は癖が強いから注意するのと、マスターもたまに怖いよーってことくらいは言っとく」

 リリィは、適当に反応した。


「ある程度話がまとまったところで悪いんだが、ちょっと爺さんと二人にさしてくれ。坊主の観察期間の報告とかあるんだ」

 話も一段落したところで、ベテラン門番さんが切り出した。すっかり仲良くなったとはいえ、もとは素性に知れないよそ者。一衛兵としての仕事もあったのだろう。

「わかりました。……、ではリリィさん、一心君にこの辺りを案内してきてあげてください。長い話になりそうなので、何時間か長めに。お金も渡すので、服や生活用品も買ってあげてもらえますか。いつまでも支給用の服では格好がつかないでしょう」

 グレイさんは、リリィに向かってそう言った。

 リリィも特に不満はないらしく、素直に頷いてグレイさんからいくらかのお金を受け取った。すぐに歩き出したから、僕もそれについていく。



「……。案内ってどこに行けばいいのかしらね。行きたいとこ、希望ある?」

「特にないよ」

「アハハ、野暮ったい男の返事ねえ」

 どうにも勝手がわからず、話が繋がらない。

「そうねえ、いろいろ買え、とも言われたし。必要そうなのを買うついでに生活に役立つ店でも紹介するわ」

 行く当ては決まったらしい。

「まずは服から買おうかしら。男物を扱っている店はあんまり行かないけど、同居人の一人に教えてもらった良い店があるはず」



 十五分ほど歩いて、目当ての店に着いた。

「へえ、なかなか良い店じゃない。初めて来たけど、センスあるの多いわね。手触りも良いし……。レディースメインの姉妹店も近くにあるのか。今度行ってみよ」

 お気に召したようだった。センス云々はわからないから、適当なものを見繕う。ただ、布の質とか店に用意されている服の量とか、中世というより現代に近いものを感じた。

「そりゃ、魔法植物の繊維だもん」

 それとなく疑問を口にしたら、リリィはそう答えた。


 向かいにあった靴屋にも寄る。

 木靴だった……。そんな文化だったのか。意識してみると、特別身なりの良い人以外は全員木靴だった。慣れるしかないのかな。

 履き心地は悪そうだけど、合わせて売ってる専用の靴下と履けば、そんなことはないらしい。何か、魔法的な工夫があるのだろうか。

「魔法植物製」

 何も聞かなくても、それだけ教えてくれた。


 そこから少し歩いて、コンビニに似たような扱いの店でこまごまとしたものを揃える。店の内装は木造だったから、少し違和感。

 魔法植物製は、ここにも多かった。




 買うものもなくなって、手持無沙汰の男女二人。まだ帰るには早いし……。

「寄りたいところあるから、付き合って」

 はい。

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