“オチル”Cafe
連れられるままに路地を行く。何度か曲がり、十数分歩いた先で、広場に出た。
目の前の彼女の足が止まる。合わせて立ち止まる。広場の真ん中にある噴水が、心地いい水音を奏でていた。周りにも、花や街路樹が点々と並んでいて、この世界で見た中で一番お洒落な空間だった。広場を囲う建物も、他の場所のものより洗練された雰囲気がある。
「いいとこでしょ、ここ。落ち着いていて、静かで。好きなんだ、この場所」
リリィが振り向いて、そう言ってきた。無表情を気取っているが、角が取れたようなその表情に、この広場に対する愛を感じる。
「噴水の向かいに、よく行くカフェがあるんだ。いつもは一人でお茶してるんだけど、折角だし一緒に入りましょう」
カフェがあるらしい方向を指さし、言葉が紡がれる。シャーペンを使ったブーストを今日はしていないため、いい加減疲れてきた僕には、良い提案だった。
看板には、“lovers sanctu"と崩し気味の飾り文字に書いてあった。多少無理があるが、恋人たちの聖域、という意味だろうか。こんな店に一人で入っていたとは、恐れ入る。
前を行く少女がドアを引いた。今回は、鈴の音はなかった。
カウンターの奥に立つマスターらしき老人が、こちらに向かって軽く一礼した。皿を洗っているようだが、簡単な仕草でも熟練の美しさがある。
店内の雰囲気も、期待していた以上のものだった。他の建物と御多分をもれず、木が主となった建築だが、並のものとは一線を画すセンスを感じた。壁の造りとか、机の並びとか、一面のガラス、柔らかい光。僕自身がコーメーを嫌ってることもあって、今朝行った教会よりも遥かに良い内装だと思った。
一面がガラス張りの広場側の壁際にある、二人掛けの机に腰を下ろす。どこでもよかったけど、止める間もなく先に座っていた。
「私はここの紅茶が好きだから、それにするけど。あんたは?昼のタイミング逃したんだったら、スイーツとか食べ物もおいしいし、勿論紅茶もおすすめよ」
今はおそらく、午後三時から四時。福音荘に着いた頃が、昼食のベストタイミング直後のくらいだったはずだから、食べてないと思われてもおかしくない。実際は、歩きながらサンドイッチのような軽食を、ベテラン門番さんに奢ってもらったけど。
若干の空腹はあるから、ショートケーキを頼むことにした。紅茶も併せて。
「どう?なんか質問ある?この店のことでも、町のことでも、世界共通の常識のことでも」
注文を終えてから、リリィが尋ねてきた。福音荘で門番さんが言ってた、訳アリ、の言葉に気を使っているのだろうか。
特にはないよ、と返そうと思ったが、踏みとどまる。機会のある内に情報を集めておかないと。
「植物魔法ってのが、買い物中にも多かったけど、何か理由はあるのかい?」
取り敢えず、今一番気になっていてこれからも必要になるであろうことについて確認する。
「魔法が、この世界を支配してるってのはわかるわよね?魔法がなければ、一々手間暇かけてほんのわずかな成果しか得られない。魔法はよりよい生活のためのほんの技術。私たちの繁栄において、魔法は必要不可欠」
僕は、一応わかっているように、それらしく頷いた。魔法なんて概念について、全く知らないとも言っていいほどなのに。
でもリリィが、魔法を特別なものとして表現しないことに違和感を覚える。まるで、ありふれているけど、便利だから使ってるだけ、とでも言いたげな。
「植物魔法は便利らしいから、特に使われるのよ。形として残りやすいし、魔力もあんまり使わないらしいわ」
こともなげに、言い放つ。正直もう少し丁寧に説明してほしいが、これで十分だろう、という彼女の顔を見るとそうも言えない。お互いに、なんとなく口をつぐんだ。静かなひとときが店内に訪れる。
今聞いたことを、自分の中で少し整理する。魔法、というものについて、今まで全く知らなかった未知の現象である以上、不確かに何かすごいものとして認識していた。でも、その考えがもしかしたら間違っていたのかもしれない。
魔法がなければ、この世界はどうなっていただろうか。何も変わらないのか、あるいは。
この世界と前の世界は、何が違うのだろうか。文明レベル、とこの町に入る前に考えていた。こっちの方が前よりも、遥かに低い。と、思い込んでいた。
果たしてそうか?そういう風には見えるけど。町並みは確かに古いけど。科学は発達してるように見えないけど。だからと言って、この世界を中世と断じたのは早計かもしれない。
「高度に発達した科学は魔法と見分けがつかない」
中三の時の模試で、小論文の問題のテーマにあった一文。確か、いつかのSF作家の言葉だ。
今の今まで忘れていたし、特に生活に役立つ名言というわけでもない。ただ、今の僕の立場からすると、どうだろう、一考の余地のある示唆に富んだ言葉である。
すなわち、高度に発達した科学と魔法は、イコールで結べるのではないか、という考え。
この世界において、科学は高度に発達していない。
だが、この世界の文明は、前の世界と同じほど発達しているのではないだろうか。この世界も、前の世界の現代と同じレベルではないか。その社会を支えるのが、科学力ではなく魔法力である、という違いがあっても。科学技術ではプラスチックこそが安価な材料だったため、プラスチック製品がが溢れ、魔法技術では魔法植物こそがそれにあたり、だから見渡す限り木でできている。とも考えられる。
今日一日、町中を歩き回った結果、想像を超える技術や道具ばかりだったから、なんとなくそんな風に思った。前の世界に匹敵する感じだったから。
そんなことをつらつら考えながら、外の風景を眺めていた。光を浴びキラキラと輝く噴水や、慎ましくも可憐に咲き誇る花々に目を奪われる。平和であり、余裕のある社会の姿に見えた。
「お待たせ致しました。ご注文の品です」
気付いたら、カウンターの奥にいたはずのマスターが席まで来ていた。手に持ったお盆の上に、一枚の皿と二個のカップが置いてある。
最小限の言葉と動きで、手早く机の上に並べる。紅茶の芳しい匂いが、鼻腔をくすぐる。一緒に頼んだショートケーキも、とても美味しそうだ。
「さあ召し上がれ。きっと気に入るわよ」
リリィが、楽しそうに笑いながら話しかけてくる。自分のカップを手に取って、香りを楽しみながら。
喉が渇いていたから、まずは紅茶に手を伸ばす。こういうときのセオリーがどうなのかわからないけど、思うままに味わえばいいだろう。
「え!?」
あまりの美味しさに、思わず声を上げた。今まで紅茶なんて飲んだことがなかったけど、勿体無いことをした、と思わざるを得ない。
「フフ、そうでしょ」
満足そうな少女の声がする。
つい、リリィの方を見る。体を机の下に入れていた。どうやら、短杖を置き直していたみたいだ。
「………………」
何か呟いたようだけど、聞き取れなかった。
それにしても、紅茶が良い匂いだ。
再び向き直って、ティータイムを楽しむ。口が潤うと回りがよくなるようで、さっきよりも話が弾む。
「ねえ、君も福音荘に来たってことは、何か目標とかあったりするの?」
「まあ、一応」
「ふうん、そりゃそうだよね。人生は一度きりだもん。目一杯頑張って、充実したものにしたいよね」
そう言いながら、リリィは笑った。一輪の花が咲いたように思うほど、可愛い笑顔だった。
「私はね、この世界を旅してみたいと思ってるの。世界には、まだまだ見たことないものがたくさんあるはずだから……」
夢見るように、一人ささやく姿は、儚げでたおやかで、美しい、と心の底から思った。かつて、ただただ勉強するだけだった僕には、とても新鮮だった。そんな風に前を見る人に、初めて会った気がした。
「魔法とかもそうだけど、知らないことも多いんでしょ?頼ってくれていいわよ。私の方が先輩だし。君のことも、色々知りたいし」
「ありがとう、知りたいことって?」
「ん、別に今聞き出そうとは思ってないわ。それに、たいしたことじゃないし。珍しい名前だね、とか、どこから来たの、とか。もっと仲良くなってから、気が向いたときに教えてね」
少し気まずそうに、答えてくれた。朝ぶつかってきたときと同じ子とは思えない、お淑やかさだ。というか、あの事件からまだ半日も経っていないのか。今日一日沢山のことがあったから、随分前に感じる。
「苦労、してきたんでしょ」
少しトーンを落として、語り掛けるように言ってくる。
「私も、これまで辛いこととかあったから、わかるんだ」
少しづつ前のめりになって、リリィが続ける。
「もう大丈夫だよ、これからは一緒に頑張ろう」
机の上に置いていた僕の手に、彼女の手が重なる。
「今までの君の努力はきっと報われる。私は君をずっと見てるよ」
いつの間にか、リリィの顔が、目の前に来ていた。こんなことは、前の世界も含めて初めてだ。
でも、それ以上に、こうやって言葉をかけてもらったことが印象的だった。同級生との関係はこちら側の不干渉が理由で、決して良いものではなかったし、大人たちには、努力と成果の不一致を指摘されることが多かった。“彼女”も、優しかったわけではないし。
「大好きだよ」
もはや耳元まで来たリリィの口から、甘く空気が震える。脳が甘美に酔いしれる。
ふと気付いたら、彼女の手の中には短杖があった。
「催眠魔法『フォールモーメント』」
彼女が何か呟いた気がしたが、もう何も聞こえなかった。
視界が一転した。
動機が止まらない。
やばいやばい、ヤバい、ヤバい、ヤバイ。
落ち着きをなくした体が、もぞもぞと動く。
ポケットの辺りに置いた手が、慌てふためき蠢く。
リリィがさらに何か言ってるようだけど、聞き取れなかった。
店の外では、この世のものとは思えない、美しい花々が咲いていた。
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