03話 仮想世界へ

 入学式の翌日、すなわち晴れて創栄高校の生徒ととなった新一年生の、創栄高校の一生徒として過ごす最初の日。


 しかもつい昨日理事長から熱い言葉をもらったばかりのやる気に満ちた柿谷達が朝から行ったことは、身体測定、及び体力テストだった。勿論これは仮想世界ではなく現実世界での計測であり、項目や種目についても女子が1000m走ではなく男子と同じ1500m走だったこと以外は一般的なものと変わらなかった。


 こういった身体測定や体力テストは新年度の始まりにやるといっても普通は結局5月頃にやることが多く、少なくとも校舎の施設案内などよりも先にやるほど急を要することではないはずだった。


 しかし創栄高校ではこれを1日かけて実施し、その日はそれで解散となった。


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 その翌日。


 この日は国数英3教科の実力テストが行われた。ただし抜き打ちというわけではなく、春休みの時点で入学後の日程ということで知らされており、なんなら課題も課されていた。


 1科目60分のテストを15分の休憩を挟みつつ3教科分終えると、この日もそれで放課となった。


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 さらにその翌日。


 ようやく入学したてらしい行事、というほど大層なことではないのだが、学校の施設案内が行われた。しかし単に施設案内といっても体育館や特別教室の場所などを巡るといった、もはや場所を覚えるためのようなつまらないものではなく、流石は創栄高校といったところでVRの最新設備などを見て回ることができた。


 より仮想世界への期待が高まるなか、午後は明日から始まる土日を利用しての1泊2日のオリエンテーション合宿の説明がされた。


 オリエンテーション合宿というのは本格的に始まる授業に先駆けて、国数英の主要3科目それぞれ模擬授業を行い、どのように授業を受けてノートを取るかなどの説明や、予習復習をどの程度やるべきかといったことを学ぶためのものだった。

 そこには中学までの勉強とは難易度や予習復習の大切さが違うことを強調する意図があるらしいのだが、実際のところは新入生同士の親交を深めるためのものといっても間違いではないようだった。


 ただしこれは大抵の高校でも実施される一般的な高校一年生のためのオリエンテーション合宿であり、こと創栄高校においてはもう一つ大きな目的があった。


 それこそが仮想世界での死=退学の、生き残りを賭けた生活の全貌について、そして仮想世界への初リンクだった。


 大まかに授業の進め方講座が初日で、仮想世界についてが2日目に予定されている。初日は学校からバスで少し移動したところにある自然に囲まれた旅館にて数クラスずつまとまって模擬授業を受け、夜にはちょっとしたバーベキューのようなこともするらしい。

 その日はそのままその旅館に宿泊し、翌朝バスで学校まで戻って午前中のうちに仮想世界の説明。そして午後からついに仮想世界での生活が始まるという流れになっている。


 日曜の朝の時点で学校に戻ってしまうのは300人を一度に仮想世界へと送り込む設備を用意できるのは創栄高校の他にないからだ。実質合宿は1日だけのようなものだったが、そのことに不満を感じている生徒はほとんどいなかった。


 なぜなら皆の最大の関心は仮想世界だから。

 勿論柿谷もその一人だった。

 体が意思に反してぶるりと身震いする。果たしてそれは恐れか、はたまた武者震いか。それは柿谷自身にも分からなかった。


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 時間は過ぎる。


 学校を離れ模擬授業を受けて高校の授業の面倒くささを目の当たりにし、食卓を囲んで同じものを食べ、クラスメイトと交友を深めた。


 クラスに馴染めるか、クラス内での自分の立ち位置をどのように確立していくか。人間関係がリセットされた新しい環境下において様々な思惑が交錯し、手探りでの人間関係の構築が繰り広げられた。


 ここで出来上がった関係性は1年間、ひいては高校生活3年間にまで影響する可能性があるため軽視はできず、決して楽しいとは言い難い腹の探り合いが行われた。


 皆何かを求めて集まった者達だがその性格は千差万別であり、柿谷と同じで気弱で物腰の柔らかい人や増渕のような誰とでも気さくに接することができる人、寡黙な人やおどおどとしてしまっている人、反対に早速クラスをまとめている人や横柄な態度でもって自分を優位に見せようとする人、そんな人物に取り入ろうとする人やつまらなそうに一匹狼を貫く人がいた。


 垢抜けた俗に言うイケている男女の集団を筆頭に徐々に形成されていくクラス内での関係図。

 いくら変わろうと決意しても、実際に行動しようとしてみると空回りし、なんだかんだいって中学の頃と変わらないような立ち位置にすっぽりと収まってしまうのだから不思議だ。結局柿谷は孤立せずに済んだが煌びやかなカースト上位集団からは遠い、かといって上位集団にいいように使われはしないような微妙な位置関係の男グループに入っていた。


 ただ2番手グループに上手く馴染んだらしい増渕とは依然として仲良くやれていた。実際座席が自由だった翌日の帰りのバスでも柿谷と増渕は隣だった。


 学校に戻ってきた柿谷達1年生は各教室か体育館で説明を受けるのかと思いきや、向かわされたのは本校舎に隣接する仮想世界に関する施設や機械がまとめられている技術棟だった。


 技術棟は3棟から構成されており、縦と上に長い建物が3棟横並びになっている。イメージとしては団地のマンション群を思い浮かべると分かりやすい。


 1年生は全員そのうちの3番棟に入らされた。3番棟は漫画喫茶のような完全個室型のブースがひたすら続いており、この各スペースが仮想世界とリンクするための各生徒の場所だった。


 中は非常に簡素でデスクと安そうなリクライニングチェア、そしてデスクの上に置かれた間接照明とバイクのヘルメットのようなものがあるだけだ。

 このバイクのヘルメットのようなものが仮想世界とリンクするためのデバイスであり、これ自体は独立しているため充電さえしてあれば校舎内どこでも利用可能なのだが、如何せんリンク中は意識がないので現実の身の安全を確保するための手立てだった。


 席に決まりはないがクラスで固まって移動し、一区画を埋めるような形でそれぞれのブースに入っていく。ブースの位置関係はなんの意味もないのだが、こういうのは気持ちの問題だった。


 一人になった柿谷は大きく深呼吸をする。元々快適に過ごせるようには作られていはいないためブースは狭く、自分の息を吐く音がよく聞こえた。

 閉所恐怖症の人は辛いんじゃないかな、と緊張を紛らわせるべく適当なことを考えつつも、ヘルメット型のデバイスに学生証を差し込み、頭に被る。


 もう始める準備は万端だった。

 あとはボタンを押すだけ。

 カチッと重いボタンを押し込むと、ブゥーンと重低音を響かせて起動する。そしてそのことを認識した時には柿谷の意識は暗転していた。


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 目を覚ますとそこは森の中で不自然に開けた場所であり、空からは暖かな陽光が差し込んでいるおかげで周辺一帯がまるでスポットライトに当たっているかのようだった。


 柿谷は混乱を覚え眉をひそめる。何が起きているのか、と。

 しかしすぐに今自分は仮想世界に入っているのだと思い出し、強ばった表情筋をほぐす。


 柿谷の記憶に混乱が生じたのは意識を機械に取り込む際に不具合が起こったというよりは、仮想世界のあまりにもリアルな景色に柿谷の脳が現実世界の知らない場所に突然飛ばされたと誤認してしまったからという方が適切だった。


 現実と見間違えるほどのリアルさ。否、その表現では不十分だった。景色だけでなく、頬を撫でる心地の良いそよ風も、青臭い草葉の匂いも、風に揺れる草木の音やどこからともなく聞こえてくる小鳥のさえずりも、息をを吸えば感じられる新鮮な空気も、その全てがリアルであり、柿谷は五感でここが現実世界だと勘違いしたのだ。


 気付けば柿谷の周囲で創栄高校の制服姿のクラスメイト達が同じように辺りをキョロキョロと見回していた。

 自分の体を見下ろすと同じく制服姿だったが、柿谷はそれよりも気になるものを見つけた。


 辺り一帯の地面が土や草ではなく金属、それも全体としては綺麗な円を描き、中の模様には流線的で複雑なデザインが刻まれていたのだ。しかも一定の間隔で所々が点滅するというおまけ付きで。


 周りに広がる自然からは明らかに浮いた存在感を放つ近未来的な造りのナニカ。これが何なのか気になるところではあるが、そもそもここがどういう場所なのかすら分からない柿谷に見当がつくはずもなく、一旦考えるのを止めて顔を上げた。


 顔を上げたその先にはちょうど手を振りながら近付いてくる増渕の姿があり、柿谷も手を上げて応じる。


「柿谷も無事こっちに来れたんだな」


「うん。それにしても君はまんま増渕くんだね」


 純粋に思ったことを口にしたのだが流石にそれだけでは伝わらなかったようで、増渕は頭上に?マークを浮かべる。柿谷は続けて、


「ほらここはあくまで仮想世界でしょ? だから僕らのこの姿だってデータとして一から作られたんだろうけど、当然のように誰だか判別できるぐらい精密なのってすごい技術なんじゃないかな。まあ僕は他のVRゲームやったことないから比較も何もないんだけどね」


「あー確かに言われてみりゃマジで本物と変わらんぐらいそっくりだな。そっくり過ぎて逆に違和感がなかったわ。目線の高さとか体を動かした感覚とかもおんなじっぽいし。俺は完全没入型のVRゲームやったことあるけどよ、キャラメイクで実際より身長高く設定したらいつもより視点が高くて見づらいわ体の反応が微妙に遅いわで歩くことすら苦労したっけな。そう考えると自動で作られたくせにこの完成度はバケモンだな」


 今度は言いたいことが伝わったようで増渕も納得してくれた。


 増渕は自動と言ったものの、それは単に始めるにあたって自分達で何も手を加えなかったというだけで、学校側が相当細かな設定まで作り込んだであろうことは想像に難くなかった。その資料として身体測定や体力テストをし、さらには医療ドラマでよく見るようなMRI検査のようなもので全身をスキャンさせられたのだろう。

 ともあれ、


「ここにいるのは僕達のクラスだけみたいだね。他のクラスの人達は別の場所に転送されたのかな?」


 増渕と会話している間にも周りでは光と共に制服姿の生徒が姿を現すが、そのどれもが見知った顔だった。


「技術棟に着いたのは俺らJクラスが最後だったし、他のクラスの奴らが先にここに着いてないってことはクラスごと別々の場所に転送されたって考えた方が自然だよな。どうするよ、いきなりクラス内で戦わされて生き残った一人以外は皆退学なんてこと言われたら」


「……ひとまず逃げて一人勝ちの状況を作らせない、かな。一人しか生き残れない戦いならそもそもその戦いを終わらせなければ実質何人でも生き残ってられるでしょ?」


「ブフッ、お前面白いなー。普通どう勝つかを考えるだろ、こういう時はさ」


 増渕は思いっきり噴き出した。


 流石に初手で学年で10人しか残らないようなもしもの話はありえないとは思いつつも、増渕が真剣な顔で聞いてくるため柿谷も真面目に考えた結果がこれだった。なんとも釈然としない気持ちを抱え、反論する。


「大して身体能力が変わらない29人を相手に自分の実力でもって勝つなんて流石に無理があるじゃん、運で生き残るだけならまだしもね。そんな限りなく低い可能性に賭けるぐらいなら負けないことを優先するでしょ」


「いやまあそりゃ柿谷の言うことは正論だと思うけどよ、こういうifの話は合理的な解決策じゃなくてちょっとバカっぽいような理想を語らなきゃだろ。つってもさっきの答えは俺じゃ思い付かないような奇抜で面白いもんだったけどな」


「そんなに面白かった、かな」


 どうやらバカにしたというよりも単に面白かっただけのようなので柿谷もそれ以上言うのを止めた。


 気付けば森の中の開けた場所にJクラスのメンバー30人全員が揃い、これから何が起きるんだろうかと思っていると、


「はーい皆ちゃんと揃ったみたいねー」


 柿谷の後方で手を叩く音が聞こえ、振り返ってみれば担任の沢北紗夜さわきたさやが立っていた。


 年齢は20代後半(に違いないと増渕が言っていた)のフレンドリーな人柄で、いわゆるアタリの先生だった。

 入学して1週間だが既にクラスの男女から共に高評価だ。女子からは気軽に話せる優しい先生として、男子からは多少のやんちゃは黙認してくれるラクな先生として、という認識の違いはあるが。


「大丈夫だとは思うけど何か接続に問題があったりしたら今のうちに教えてね。他にも色々聞きたいこととかあると思うけど、他のクラスはどこも準備終わってるらしいから待たせるのも申し訳ないし後でにさせてね。でも今からの理事長の話を聞けば大体分かると思うから」


 理事長という言葉に何人かがざわつく。理事長の存在がこの高校に入学する後押しとなった者は少なくないはずで、それを考えれば期待と興味でざわつくのも理解できた。


 沢北先生は誰も意見や質問をしてこないことを確認してから、何もない空中を右手の人差し指と中指の2本でタップした。


 すると突然先生の前に青みがかったホログラムウィンドウが現れる。柿谷の距離からでは画面に何が映し出されているか判別できなかったが、タブレット端末を使うような気軽さでタッチしていき、ものの十数秒でこの場の全員が見えるようなサイズのホログラムスクリーンが頭上に投影された。


 スクリーンに映っているのは先生の言う通り神室理事長だった。

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