02話 入学式

「……さて、改めて新入生の諸君、入学おめでとう。未来ある300名の入学を大変嬉しく思うとともに、心から歓迎いたします」


 4月の陽気で心地の良い日差しが窓から差し込む体育館。厳かではあるがどこか緊張感の欠けたまったりとした雰囲気の中で入学式が進行していた。


 学校行事において式とつくものは一概に退屈でつまらないというのが柿谷の印象だった。中学校の卒業式ですら中学生活が終わる悲しみよりも早く式が終わってくれと感じていたぐらいだ。そんな柿谷にとって形式張った無駄に長い入学式は退屈以外の何物でもないはずだった。


 そう、はずだった。


「諸君は1000名を超える受験者の中から入学者選抜を勝ち抜いた実力ある300名……というわけではない」


 壇上の人物の言葉を右から左へと聞き流していた柿谷は一気に現実に引き戻されたような気分だった。隣からは「へ?」という間の抜けた増渕の声がしたことから柿谷の聞き間違えということはないはずだし、新入生が座る席のあちこちがざわつき始めているのが現実である証拠だった。


 壇上に立つ人物は慌てて取り繕うようなことはせず、むしろ新入生の反応を楽しむかのように見守っている。その人物こそこの学校の理事長、神室優かむろすぐるだった。


 30歳の若さで新設校の理事長に就任し、革新的な経営方針、教育方針を進めてきた第一人者にして、その経歴等は明かされていない謎多き人物。強気な態度と口調は世間から批判を受けつつも人々を引きつける魅力を備えており、柿谷もまたそんな神室理事長の言葉に突き動かされた一人だった。


 制止せずとも話し手が沈黙を貫けば聞き手にも伝播し、自然と再び体育館に静寂が訪れた。神室理事長は不敵に笑う。


「勘違いするなよ、今のお前達は特別な何者かなんかじゃない。お前達の中には疑問に感じていた者もいるだろうが、筆記試験の結果で合格者を選んでいるわけじゃない。

 高校受験の筆記試験なんてのは努力すれば誰でも解けるようになる問題が大半で、所詮はその人の努力量を測るためのものだ。だから筆記試験で高得点を取れる者が特別な存在だということはない。

 だが勿論努力は価値のある行動であり、一発勝負の場で実力を出して高得点を取れることは評価すべき点だと俺も思っている。ゆえにしっかりと努力すれば解けるような問題をほぼ間違えず高得点を取った者、それに加えていくつか設けた俗に言う超難問を解けている者は無条件に合格させている。

 しかしまあこれに該当するのはほんのひと握り、正確には27名だけだ。残りはたとえその点数の差が50点でも100点でも開いていようが、強制的にでもなんでも努力させれば簡単にひっくり返すことが可能な誤差としか見てない。

 つまりだ、ここにいる中の273人は学力という要素においては落ちた700人以上となんら変わらない存在だってことだ」


 典型的な時候の挨拶とかしこまった口調で始まった式辞は一変し、もはや神室理事長の言葉からは厳かさというものは欠片も感じられなかった。というかその後の内容が続けて書いてあったであろう式辞用紙は壇上に置かれ、チラリとも見てなどいなかった。


 明らかに予定調和から外れた言動。しかし周りの教師陣や2学年合わせても新入生より少ない上級生達、そして一部の来賓からは驚いた様子は見られなかった。額に手を当て溜め息をつく者におかしそうに無言で笑う者、もはや諦めきって無表情を貫く者など反応は様々であったが、総じて神室理事長が予定調和から脱線するのはお決まりということが察せられた。


 柿谷にしてもニュースや記事を通して神室理事長という人間が良く言えば厳格な、悪く言えば型に嵌ったつまらない人間だとは思っておらず、これぞ神室理事長だとすら思っていた。そしてその考えはざわつきこそすれ明確な非難には繋がっていないことから、他の新入生も共通して抱いることのようだった。


 神室理事長は生き生きと、それこそ読むだけの最初よりも流暢に言葉を紡ぐ。


「考えてもみろ、勉強することを強制するだけで誰でも身に付くような学力に、どこの学校だってやろうと思えば到達できるような結果に、今後いくらでも巻き返しのきく程度の成果に、15歳という人生の序盤の時点で達していることのどこに価値があると言うんだ?

 確かに大学受験という点においては現時点の学力、より正確には努力できる力はそれなりの意味があるだろう。だが俺は大学進学なんていう本来人生における目標の通過点に過ぎないものを高校教育のゴールとして設定していない。

 俺が目指すのは本物の強さだ、それさえ身に付けば学力も難関大学合格なんてものも自然と後からついてくるような、そんな強さだ。

 通過点を目標と勘違いしているような奴には魅力を感じないし、他の学校に行った方がそいつ自身にとっても幸せだろう。だからここでは特に点数が高い奴以外は全員学力は変わらないと見ている」


 神室理事長は今度はざわつきを無視して話し続けていたが、いつしか理事長の声以外に体育館内に響く音はなかった。それは偉い人が話しているから黙るという受動的なものとは違った、この人の話を聴き逃してはならないという能動的な気持ちから生まれた静寂だった。


「だがだからといって残りの273人は抽選で選ばれたただの運が良かっただけの奴ってわけじゃない。調査書とここ独自の追加資料、そして個人面接の3つから俺が独断で決めた」


 調査書は高校受験をする際どこの高校にも出願時提出したいわゆる内申点などが記された資料で、追加資料とはそれとは別に中学の教員3名から主に人となりについてより詳細に書いてもらって提出したもののことだ。異動などによって必ずしも書いてもらえるとは限らないため3学年時の担任以外の他2名の指定はなく、柿谷の場合は部活動の顧問と2学年時の担任に書いてもらった。


 神室理事長は独断で決めたと言ったが、もしそれが本当なら1人で1000人以上の受験生の資料と面接映像(面接官は理事長ではなかったが面接開始前に選考材料とするため録画することを伝えられていた)を見たということになる。理事長1人でそんなことをするなど普通ならありえないが、この創栄高校というところは普通ではない。しかも受験日と合格発表までの期間がとても長かったこと、そして何よりも神室理事長という人間がテレビや新聞で見た通りの人だと考えるとやりかねないと柿谷は感じていた。


「俺が求める学生は本気で強くなりたいと思っている奴、そして変わりたいと思っている奴だ。特別でもなんでもないお前達が本物の強さ、それこそごく稀にいる生まれつきの天才なんかにも負けないような実力を手に入れるために必要なのは成長し続けること。

 そのために何よりも大切なのは覚悟、やる気、向上心、すなわち意志だ。意志なき者に可能性はない。

 いくらよく乾燥した細い枝から太い枝まで集めて丁寧に積み上げようと、そこに種火がなきゃ焚き火なんてできやしないように、いくら強くなるための素晴らしい環境を整えようとそこに強くなりたいという意志がなきゃ成長なんかしない。

 逆にだ、現時点では松明にもなっていないようなどうしようもない状態だとしても、風が吹いても雨が降っても体で上手く庇って消えずに燃え続けているのであれば、それをキャンプファイヤー並の火にすることは不可能じゃない。

 要するに消えない固い意志があれば強くなれる、そのための環境を俺は創ったわけだからな」


 柿谷は面接でまず言われたことを思い出していた。それは要約すると綺麗事を並べるよりも正直な考えを述べた方が合格するというものだった。柿谷は緊張も相まって変に作り話をする余裕などなく、結果として全て正直に回答をしたのだが、もしあそこで下手に余裕をもっていたらどう答えたか自分でも分からなかった。


 筆記試験はそこそこ自信があったが受験者のうちの上位数パーセントの中に入っているとは思えず、そう考えるとあの面接の受け答えが合格に大きく影響していたことになり、今更ながら背筋が寒くなるような感覚を覚えていた。


 それはさながら暗闇の中足元も見えないためなんの気なしに歩いた後、夜が明けて来た道を振り返ったら実は左右には深い谷が広がっていたことを知ったかのような気分だ。


「俺は面接をする際とにかく正直に答えるよう強調しろと面接官には伝えたし、実際お前達もくどいと感じるぐらい言われただろう。これは当然建前なんかになんの価値もないからで、それでもなおつまらない綺麗事を言うような、自分の本当の意志を口にすることすらできないような奴は即弾かせてもらった。

 これでも俺は何年も多くの学生を見てきたからそういうのは分かるんだよ、そういうつまらない奴は合格することが目標になっていてその先が見えてないんだ。だから分かる。

 その上で俺が面白いと感じた意志の強い奴や考え方をする計273人を合格者として選んだ。勿論その中には建前を貫き通した奴もいるだろうがそれでもいい、それもまた一つの実力だし、そいつらがここでどう成長していくのか興味あるからな」


 柿谷は体の芯が熱くなる感覚を味わっていた。自然と太ももの上に軽く握るようにして置いた手に力が入る。


「あえてもう一度言おう、お前達は特別な存在なんかじゃない。そこら辺にいくらでもいる奴らとなんら変わらない凡人だ」


 いっそ清々しいまである神室理事長の言葉に、反発心など湧いてこなかった。自分がただの平凡な人間であることなど柿谷自身が一番よく理解していた。


「だがお前達は一歩を踏み出した。凡人であることを甘んじて受け入れる人間が多いなか、自分の選択でもって本物の強さを手に入れる可能性を切り開いた」


 しかし平凡であることは諦めることの言い訳にはならないのだとそうはっきりと断言した。


「今この場にいる300人が揃ってまた集まることは二度とないだろう。気付けば今隣に座っている奴がいなくなっているかもしれないし、お前達自身がここを後にしているかもしれない」


 もう立ち止まることも後戻りすることも許されない。しかし関係なかった。


「だが臆するな、後ろを見たところでそこには何もない。前を見ろ、未来を見ろ。お前達が望むものはその先にしかない。ここでの全てを吸収し自分の糧としろ、そして自分の手で掴み取れ、本物をな」


 前に進む以外の選択肢なんてここに来た時点で存在しないのだから。


 人知れず高揚感に包まれて覚悟を固める柿谷。


 その周りでは同じように興奮が頂点に達したであろう学生の1人が「うぉぉぉぉ!」と叫んだ。

 つられるようにして隣の増渕も叫ぼうと大きく息を吸い込んだため柿谷は慌てて袖を引っ張って落ち着かせた。


「あー1つ言っておくが俺は常識に囚われない奴は大歓迎だが常識を知らないバカは求めてないから覚えておいてくれ。……えーと最後に新入生諸君の充実した高校生活を願って式辞といたします」


 神室理事長は何事もなかったかのように式辞用紙を再び開き、最後の一文だけ取ってつけて締めくくる。そしてそのまま礼をして降壇してしまった。


 おそらくこの時皆が思ったことは同じであったであろう。すなわち、お前が言うな、と。


~~~~~


 その後はおかしなことも起こらず滞りなく入学式は終わり、体育館では上級生達によって片付けが行われていた。


 理事長である神室がいつまでも体育館に残っている理由はないためその場を離れると、後を追うようにしてついてくる一つの影があった。三雲真由美みくもまゆみ、今年度から理事長秘書として働くこととなっている人物だった。


 三雲は大学を卒業したばかりの新社会人であり、前年度まで勤めていた秘書が辞めることとなったためその代わりとして採用していた。


 なぜ秘書経験のない人物を理事長秘書にしたかというと、創グループ内の神室と意見の合わない輩達の息がかかった者の介入を手っ取り早く避けた結果新卒者を雇うことになったのだ。複数の応募から三雲を選んだのには大した理由はなく、神室の行動に余計な口を挟まなそうだから程度の考えだった。


 実際三雲は有能というわけではないが真面目に取り組んでおり、特に不満はなかった。ただドラマの見すぎなのか、秘書とは常に補佐する相手に付き添うものだと思っているような節があり、今も神室の2,3歩後ろを健気に小走りしていた。


 小走りなのは神室の身長が180cmを超えているのに対して三雲は160cmない程度であるため歩幅に差があることに加え、神室は基本的に歩く際は早歩き気味だからであった。


 別に何か連絡事項等があれば口頭でなくとも電話かメールでしさえすればいいと一度言ってあるのだが、これが仕事ですのでと言われて今に至っている。神室もどうせそのうち常に付き従うのも止めるだろうと思っており、今は好きなようにさせていた。


 しかしカツカツカツとハイヒールでビニル床タイルの上を小走りする音はやたらと耳につくうえ、転ばれても困るためここでは神室の方が歩く速度を緩めた。余裕をもって追いつけるようになった三雲は話しかけるチャンスだと思ったのか、神室に声をかける。


「あのっ理事長、保護者の皆さん唖然としていましたけど大丈夫なんですか?」


 いつと何がが抜けた質問であったが理事長式辞とクレーム等であることは神室も理解できたためそのまま流した。


「大丈夫かそうじゃないかで言えば想定範囲内の反応だから大丈夫だ、どうとでもなる。というかあれが本来正常な反応なんだがな。あんなイカれたスピーチで興奮していた子供達の方がおかしい」


「普通ではないことはご自覚あったんですね」


 割と失礼な発言とも取れることを素で言ってしまうあたり社会経験が乏しいことがよく分かるが、高説垂れるのが嫌いではない神室としては特に気にするようなことではなかった。


「俺が普通じゃないのはあくまで考え方や思想であって、常識が分からないわけじゃない。常識を理解した上で俺はイカれた人間を演じているだけだ」


「はあ」


 まだ神室の元で働き始めてから日の浅い三雲には判断しかねる内容だったのか、肯定とも否定ともいえない生返事だったが神室は構わず続ける。


「そしてイカれた人間を前にした時の反応は大きく分けて拒絶と憧れの2つがあって、俺はそれを見分けるためにイカれた人間を演じている。今日確かめたかったのは生徒達の反応だった。心の奥底に狂気にも似た同種の何かを抱えた奴らにはイカれた人間の言葉は響く。結果は上々、大半の子供達が期待に胸躍らせたような顔していた。俺の選んだ生徒達はいい感じに狂気を内包していたってことだ」


「……」


 そう語る神室もまた確実になんかしらの狂気に突き動かされている人物の一人であり、その姿を見て三雲は怯むような表情を浮かべた。


 神室は三雲の反応を見て見ぬふりをする代わりに歩く速度を戻した。


「さて、明日からは忙しくなる。しっかり働いてくれよ」


「は、はい!」


 廊下には再びハイヒールの高い音が響くのであった。


~~~~~


 結局その日の晩のニュースでは創栄高校の話題が上がりはしたものの、専ら取り上げられたのは入学式の神室理事長の式辞の様子であり、増渕のインタビュー映像が流れることはなかった。

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