01話 入学

 4月初旬。

 新たな生活の始まりと出会いの季節。ことさら学生にとっては大きな変化が訪れることが多く、期待と不安がない混ぜになった特別な時期だ。


 今年高校1年になる柿谷一希かきたにかずきもまた、緊張した面持ちで私立創栄高等学校の校門の前に立ち、まだ新しく綺麗な校舎を見上げていた。


 校門横には『私立創栄高等学校入学式』と書かれた看板が立てかけられており、その周りにはまだあまり馴染んでいなさそうな制服に身を包んだ学生や、その保護者と思しき人達が群がっていた。そしてそれを遠巻きにしてカメラとマイクを構える報道関係者達、という構図が出来上がっていた。


 そう、今日はこの高校の入学式の日であり、1年生になる柿谷にとってはついに始まる高校生活の初日だった。


 たかが高校の入学式に複数のテレビ局がやってくるなどおかしな話に聞こえるかもしれないが、この創栄高校は今それだけの注目を世間から集めていた。


 私立創栄高等学校。

 この高校は埼玉県東部に位置する創立5年目の新設校であり、全国で他にも複数の私立中学と高校を経営する創つくるグループの系列校だ。創グループの学校は部活動では文武問わず全国大会や全国コンクール常連の部活を有し、創グループの学校同士が全国の場で競うなんてこともたまにあるほどだ。学業では難関国公立大学や最難関私立大学への合格実績が非常に高く、全国偏差値ランキングには上位に名を連ねている。


 しかしいくらそれだけすごい実績のもつグループの新設校といえど、入学式というのは話題性には乏しいし、何より開校5年目でテレビ局のカメラが殺到するのは異常だった。すなわち創栄高校が注目を集める本当の理由は他にあった。


 それこそが教育業界では初となる、カリキュラムに完全没入型VR技術を取り入れた教育方法だった。世間でも一般的になりつつある完全没入型VR(Virtual Reality)技術だが、従来とは全く異なるアプローチによる技術を使用して構築されたシステムを採用しており、よりリアルな世界を実現していた。これを学校敷地内という限定はあるものの、学生全員が利用できる設備と学校が独自に創り上げた専用ワールドを備えた環境を用意したのだ。


 これほどの大掛かりな設備を整えただけでも話題性としては抜群だったが、さらにその興味を引くこととして、学費が一般的な私立高校と比較しても安いのだ。これは取り入れた技術が限定的に人の意識を機械に移植するという、さらに研究が進めば人が肉体の制約から解き放たれ、太古からの人間の悲願とも言える不老不死の実現の可能性がある技術であるためだ。すなわち学校は夢のある研究の広告塔として、悪く言えば実験場として研究機関から無料で設備を貸与してもらい、さらにはこの研究に魅力を感じた企業等がスポンサーとしてお金を出したのだ。


 当然これには大きな議論を呼んだ。まだ安全だと確証のない技術を子供に使用させるなどあってはならないというのが反対派の主な主張で、学校側は入学希望者とその家族に対する十分な事前説明と、イレギュラーな状況が発生した場合はただちに中止すること、そしてカリキュラム内容や実施内容をしっかりと公表することを約束し、一応の収束を見せた。


 ただしこの学校側の発表はそれだけでは終わらなかった。第三者からすればこれ以上何をするんだ、という考えを抱いたであろうが、学校側としてはそもそもこれほどまで大掛かりな技術と設備を利用してまで行いたかった学校運営、つまり創栄高校設立の目的を発表していなかった。要するに完全没入型VR技術は手段に過ぎなかったのだ。


 そんな創栄高校の目的、否、30歳という若さにして理事長となった人物個人の目的は、「本物」を創り出すことだった。仮想現実を用いておいて本物とは皮肉のような言い回しだが、人生で勝ち抜いていける本物の実力、そして心の底から今を楽しめる本物の青春を約束するという発言は、理事長のカリスマ性も相まって多くの学生を魅了した。


 しかしそのための運営方針は再び世間の議論を巻き起こした。それはゲーム性をもたせた学校専用の仮想世界で命を落とした場合、即学校を退学しなければならないというものだった。


 勿論その後の措置として創グループ系列校への編入を無条件で認められ、その手続きに関しても学校側が手配するというサポートがつくのだが、一度高校を退学したという経歴は消えないため批判の意見は多かった。


 それらの声に対して理事長は、重いペナルティによって緊張感が生まれ、その中でも成長し続けられた者にしか「本物」は手に入らないとしたうえで、固定観念や安全志向が人の可能性を潰すのだと強気な発言をした。次いでなにも万人に受け入れられるとは最初から思っておらず、自分を変えたいと思っている人や自分の力を試し、さらに強くなりたいと思っている人に届けばそれでいいとし、結果は始まってみれば分かると最後まで強い態度を崩さなかった。


 その結果である入学希望者は募集人数の1.5倍も集まり、試験を経て300名の学生が創栄高校最初の学生として入学した。


 その後も創栄高校の話題は度々ニュースに流れ、また仮想世界で行われたゲーム性のある試験などは一般にも公開され、多くの人に視聴された。肝心の退学者数だが、ただの話題作りと脅し文句として言っていただけなのではないかという世間の憶測とは裏腹に、1年で半数が退学するという結末を迎えた。


 当然マスコミは食いつき、公表されていないはずの退学した生徒の個人情報を突き止め、情報を引き出そうとした。しかしあまり学校を糾弾する意見は得られず、むしろ特別な時間を過ごせたと好評で、その後の他の高校への編入もスムーズに進み、編入先でも創栄高校の話題を通じて上手く馴染めたとの話が多かった。


 結局2、3年目も入学希望者数が減ることはなく、3年目の終わり。初の創栄高校の卒業生は62名という、実に入学者の8割が退学した結果となったが、卒業生の進路は皆一様にいわゆる難関大学と呼ばれる大学かそれ以上の大学に進学していた。さらに面白いことに途中で退学した学生も相当数が偏差値の高い大学に合格しており、創栄高校の教育方針の評価が改めてなされる形となった。


 4年目に向けた入試は進学実績が出る前だったためその前年と倍率は大して変わらなかったが、その翌年の入学希望者は急増し、実に倍率3倍を超えた。その年の進学実績も優れており、ただの偶然ではないとされて再び注目が集まるなか、迎えたのがこの入学式というわけだった。


 これから待ち受ける学園生活に思いを馳せ、柿谷の体に自然と力が入る。彼にとってこの学校に通うことはある種の挑戦であり、過去との決別だった。新しい自分へと変わるための一歩。やや大袈裟な心意気に思えるかもしれないが、彼はそれだけの何かがこの学校にはあると信じていた。


 立ち止まったままの柿谷の横を通り過ぎていく他の新入生。その顔は期待に満ちており、足取りも軽やかなものに彼には見えた。


 柿谷は一度体を軽く反らせ、大きく深呼吸をして気持ちを切り替える。ずっと肩肘張ったってしょうがない、と。


「よしっ」


 幾分かリラックスした顔で周りの人には聞こえない程度の声量で呟いた柿谷は、一歩一歩を踏みしめるようにして校門をくぐった。


~~~~~


 校舎に入った柿谷はキョロキョロと周りを見回しつつも真っ直ぐ階段に向かってそのまま4階に上がる。階段を上り終えるとすぐのところに教室が並んでおり、各教室の入口上のプレートには廊下の奥から順に『1-A』『1-B』と続き、最後は『1-J』までの計10教室があった。


 柿谷は迷うことなく『1-J』の教室に向かう。というのも入学式の今日より前に既に何度か登校する機会があり、その際にクラス発表までされていたからだ。


 柿谷の席は教室入ってすぐの廊下側一番端の列で、後ろの扉から教室に入るとそそくさと自席に座る。すると先に登校していた柿谷の前の席の生徒である増渕弓影ますぶちゆみかげが音で気付き、柿谷の方を振り向いた。


 ちなみに名前がかから始まる柿谷の前がまから始まる増渕なのは、座席の並びや出席番号は受験番号から不合格者を省いた順で、名前のあいうえお順ではないからだ。


「お、柿谷じゃん、おはよー」


「おはよう増渕くん」


 増渕とはやはり事前登校の際に知り合っており、お互いの隣が一方は壁でもう一方は女子だったため自然と話し相手となっていた。


 ゲームを用いた学校ということもあって男子の方が多いかと思いきや、少なくとも柿谷のクラスは男女15人ずつと同じ比率だった。


「なあなあ柿谷が来た時も校門んとこにテレビカメラ持ってる奴らいたか?」


「いたよ、やっぱりすごい注目だよねここの学校は。でもそれがどうしたんだい?」


「俺インタビュー受けちゃったんだよな。どうしよう、これで俺も全国放送デビューだぜ」


 自慢げに胸を張る増渕に、柿谷は苦笑いを浮かべる。


「一応確認しておくけど変なことは言ってないよね?」


「ちゃんとカッコよく決めたぜ。意気込みを聞かれたからよ、俺が一番強い奴だってことを証明してみせるって言っておいた」


 苦笑する柿谷の口角が引きつり、それから恐る恐る質問する。


「インタビュアーの人の反応はどうだった?」


「ニコニコしながらあなたの活躍を期待してますって言ってくれたぜ?」


「うん、それは絶対にイタい奴だって思われたね」


「痛い奴? 別に俺は怪我なんてしてねえぞ?」


 ボケとかではなく本心から何言ってんだ? と言いたげに首を傾げる増渕。


 相手や周りから変な奴だとかイタい奴だと思われないよう常に行動や言動に気を張ってしまう柿谷からすれば、それがたとえ聞いてて恥ずかしいようなことでも自分の本心をハッキリと言ってのけられる増渕が少し羨ましくもあった。


「まあ増渕くんもいずれ分かるようになるよ」


「なんだそれ、まるでオッサンみたいな言い方だな。インタビュー受けた俺を羨む気持ちは分かるが妬むのは違うぜ。なんせ俺は努力してインタビューまで漕ぎ着けたんだからよ」


 努力などと格好いい表現をしていたが、大方インタビュアーやカメラの前をこれみよがしに歩いてアピールでもしていたのだろう。なんなら自分から話しかけた可能性まであった。

 柿谷と増渕は出会ったばかりではあるものの、そんなことを察せられるぐらいには交友を深めていた。


「そこは努力するもんじゃないと思うけどね。なんにせよ僕はインタビューとかは絶対に御免かな。もし変なこと言ってそれが全国の人に見られるかもしれないって考えるだけで恐ろしいよ」


「なーに弱気なことばっか言ってんだよ。そんななんでもかんでも気にしてて人生楽しいかよ」


 なんの気なしに言ったであろう増渕の一言だが、柿谷には効果抜群だった。言葉に詰まり、顔を強ばらせる柿谷。しかしそれは一瞬のことで、すぐに意識的に口角を上げて笑顔を作った。


「……楽し、いよ」


「ふーん。まー楽しさなんて人それぞれだもんな」


 増渕は柿谷の動揺を察してか、はたまたちょっと聞いてみた程度の気持ちだったのか、それ以上深くは尋ねてこなかった。

 ただそのことにホッと胸を撫で下ろす柿谷自身がいた。


「増渕くんはさ、どうしてこの学校に入学したの? 何かここでやりたいこととかあるの?」


「んーやりたいことっつーかなんつーか、面白そうだからってのが一番しっくりくる理由だな。だってそうだろ、こんな文字通り高校生活を賭けた日常なんてここ以外ないぜ? せっかくの機会を逃す手はないっしょ」


 あっけらかんとした調子で言ってのける増渕。ただ面白そうだから、それだけで退学する可能性を受け入れるだなんて、柿谷には考えられなかった。もし退学なんてことになったら将来就職する時不利になるのではないかと考えてしまい、将来苦労しないためなら今我慢することを選んでいたであろう。


「退学は怖くないの?」


「そりゃ怖くないっつったら嘘になるけどよ、でもだからって失敗した時のこと考えてそれで諦めるってのはなんか違うっしょ。それに勝ち続ければいいだけの話だし俺は負けるつもりなんか微塵もないからな。退学のことはなったその時に考えるわ」


 自信満々に語る増渕の言い分は、いわゆるやらぬ後悔よりやる後悔というやつだった。それも自分の能力に相当な自信をもち、失敗した時の対応を考えないタイプの。


 柿谷はこういった考え方が必ずしも正しいとは思えなかった。取り返しのつかない失敗をして人生を台無しにするぐらいなら、多少の我慢をして全体として楽しい人生を送る方がいいんじゃないかと。

 ただ多少の我慢は歯間に魚の小骨が挟まったような、大した痛みではないがやたらと気になる違和感を残すことを柿谷は知っていた。そしてそれは簡単には取れず、長く引きずることも。


 どちらが正解かなど15年しか生きていない柿谷に分かるわけがなかったが、少なくとも今くよくよせず真っ直ぐ前だけを見ていられている増渕は、柿谷には眩しく感じられた。


「つーか柿谷の方こそ何でここを選んだんだ? ぶっちゃけこれから楽しみだなーって感じには見えないぜ?」


 質問をした当然の結果として増渕も柿谷と同じ質問を問い返してきた。


 柿谷は言い淀む。適当に緊張が勝ってるだけだとか言うこともできたはずなのに、だ。ここでも自分の本当の気持ちすら言えないのであれば、もうおしまいな気がしたのだ。

 なんのためにこの学校に来たのか、それを今一度心の中で確かめ、柿谷は前を向く。


「……僕は……自分を変えるためにここに来たんだ。ここでなら弱い自分を変えられるんじゃないかって。ううん、自分を変えるにはここしかないって、そう思ったんだ」


「へー、いいじゃんそーゆーの、俺は好きだぜ。改めてこれからよろしくな、柿谷」


 増渕は笑った。しかしそれは嘲笑ではなく、楽しそうな自然な笑みだった。


「うん、こちらこそよろしく、増渕くん」


 柿谷もつられて今度は自然と笑みを浮かべることができた。

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