第58話 エピローグ2 いい日だ
龍を撃退した時の話――。
アレクセイとイゴール、ティモフェイや冒険者達が、それぞれ龍との戦いの話をしはじめると、あちこちで感嘆の声や歓声があがった。
むしろ、アレクセイから話すことが少ない。ティモフェイが妙に語り上手で、アレクセイの心情までも、まるで本人かのように巧みに語るものだから、ついつい本人だというのに聞き役になってしまった。
「最後はアレクセイの剣だったんだよね?」
それを聞いてきたのも同期の女戦士だった。
さすがにこのことまではティモフェイも語ろうとはせずに、アレクセイを見た。全員の視線が集まる。
アレクセイは一息おいてから、全員の視線を感じながら話し出した。
息吹に焼かれたこと。サーシャが立ち向かって守ってくれたこと。
ライヤが本国からの転送という機転を使って、イゴールの剣を届けてくれたこと。
その剣に全てを乗せたこと。
文字通りこれまでのアレクセイの全てを。
「おやっさんから託された剣、ライヤさんが作ってくれた人形、シスターが教えてくれた古い言葉、“龍へと至る道”で鍛えられた精神、騎士団の皆と訓練したマナの練り方、ずっと振り続けてきた剣と、あとサーシャがいてくれたことで……」
話しながら涙ぐんでしまう。
「そういうのが全部繋がって、今までで一番自然と剣が振れたんだ。その瞬間、龍がどうのっていうより、なんか今までのこととか、禁忌のこと、あと痛みとか辛さとか、そういうものが全部認められたような、そんな気がして……」
上手く言葉にできない。しかも気がつけば自分語りとなってしまっていた。
でも、アレクセイの禁忌としての苦しみを知っている者は、やっと解放されたからこそ生まれた渾身の一振りだったのだと喜び、幾人かはもらい泣きをしはじめていた。
「アレクセイのあの一振りだけが、龍に届いたんだ。そして龍はアレクセイを恐れて飛び去った」
イゴールが誇らしげにジョッキを掲げる。歓声が上がった。恐れて飛び去ったは大げさすぎる気もするが。
その話にシスターがエプロンの端で静かに涙を拭いた。
アレクセイの辛さを知る者は誰もが、よかった、とそう思った。
たった一人を除いて。
「んー? 全部繋がって? 全部認められたような? んー? 聞き間違いかなぁ? 今の話のどこに私がいたのかなー?」
もちろん神父ディミアンである。
確かに神父の名前はなかった。アレクセイはしまったと思ったがもう遅い。
「あれぇ? 私だけ繋がってない? アレクセイ、君と最も長く一緒にいた大人って誰だったけー? あれあれぇ?」
酒の力もあってからむ。からむ。アレクセイが謝ったりフォローしたりしてもからむ。周りが止めてもからむ。
さすがにうっとおしくなったアレクセイは、最終手段で逃げ出した。
<守人人形>へ憑依。
突然、アレクセイの上半身はかくんとテーブルに伏せた。それだけで驚きと心配で大騒ぎだ。ほぼ同時に少し離れた位置で、子供達の玩具になっていた人形の目が開き、こっちでもその子達が大騒ぎだ。
アレクセイが禁忌を使ったのが分かり、あちこちで「おお」、「すごい」と歓声が上がった。
神父が今度は人形にからもうと追ってくる。その神父を追って、周りの人も動き出した。
そしてアレクセイは本体の周りに人がいなくなったのを見てから、本体に戻ってこそこそと逃げ出した。
たまにはちょっと策士なアレクセイである。
「ちっ」
と物陰から舌打ちが聞こえた。副団長のエヴゲーニーだ。アレクセイが勢いよく振り返ると、あからさまに目をそらしてとぼけた顔をした。よく見ると手に自分の金勲章を握っている。
「あ、まさか……」
間違いなくそのまさかだ。
アレクセイが意識のなくしている間に、エヴゲーニーは七つ星勲章と交換する気だったに違いない。エヴゲーニーは何が何でも勲章を交換したい人なのだ。
本当に油断も隙もあったものじゃない。
「まったく……」
と、そういえば……。
辺りをキョロキョロと見渡してみる。
「あれ、サーシャがいない」
そうつぶやいた時、ふとアレクセイの頭に大きな違和感が生まれた。
なぜかじわりと涙が出る。
つい最近、この言葉を口にしたことがあるような気がする。その時も涙を流したような気がする。
いつ?
龍との戦いで意識が朦朧としていた時だ。
なぜ?
それはサーシャがいなかったから……。
いなかったのは、どこに――?
…………。
そうだ。思い出した。
その記憶が蘇ってくると、連鎖的に様々な映像が自然と浮かんできた。
「サーシャ……。サーシャはいなかったんだ」
アレクセイはサーシャを探して走り出した。大騒ぎをしている宴会から遠ざかる。教会の中に入る。いない。食堂。いない。礼拝堂。いない。
裏庭――いた。
サーシャは薄着になって両手を広げ、陽の光を一心に浴びて、止まっていた。
あの時、サーシャと魂の語らいをした日に見たのと同じ姿だ。逸る気持ちでここに走ってきたというのに、あの時と同じでつい見惚れてしまう。
本当に綺麗だ。
甘い匂いがまた届く。胸の奥にゆっくりと染みてくるような、そんな心地よさ。
「アレクセイ、惚けてどうした?」
近くにライヤも座っていた。意外にも酒が苦手だというライヤは、飲まされるのを避けてここにきたようだ。
「あ、えと……」
なんとなく今のサーシャに声をかけづらい。
と、思ったところで、
「アレクセ、イ?」
柔らかい笑みが振り返る。
アレクセイは前に出て、サーシャの手を取った。
「サーシャはいなかったんだよ」
「ん……?」
「俺ついさっき思い出した。龍に憑依を試した時、その記憶を見ていたんだ。あの龍は大陸を半分焼いた戦争の時も、天空からやってきていた――」
サーシャもライヤもこの話に驚いた。
キズビトの伝説の戦争だ。サーシャは自分も戦争を起こした張本人の一人なのか、そこで誰かを傷つけていたのか、その記憶がなく、自分が本物の化物なのではないかという不安と恐怖を抱えて生きてきた。
あの時、アレクセイは一瞬で龍の魂という世界に飲み込まれそうになったが、刻まれた記憶に触れていた。
「あの龍は見てたんだよ。サーシャと同じ模様をした人がいた。全員男の人で7人。7人だよ! だから、サーシャはいなかったんだよ!」
キズビトはたった七人で世界に対して戦争をしかけたのだ。
その七人すべてが男性なのを、龍の記憶の中でアレクセイは見たと言う。
サーシャが話を噛みくだこうと一度うつむいた。またアレクセイを見る。次第に表情が輝きだす。
「……ん、それっ、て!」
「そうだよ! サーシャはいなかった! 戦争なんて起こしてない! 誰も傷つけてなんかないんだ! <支配者>なんかじゃない! 覚えてなくて当然だったんだよ。だって、そこにはいなかったんだから!」
あの日教えてくれたサーシャの苦しみ。
自分は本当は誰かを傷つける化物なのかもしれないという不安。恐れ。
もうそんなものは感じる必要はない。
サーシャは誰一人不当に傷つけたりしていない。ずっと今と同じ優しくて強いサーシャだったのだと思う。
サーシャの瞳から涙がこぼれだした。頬を伝い、顎の先から落ち、あるいはその特徴的な模様の上にも流れ、土に染みてゆく。
アレクセイも感極まって涙があふれだした。
二人ともが嬉しかった。
「アレクセ、イ……」
小柄なアレクセイをサーシャが持ち上げて抱きしめた。
サーシャは大きく揺れる感情を味わっていた。
もちろん、自分の抱えていた不安が解消されたことによる喜びもあるが、それだけではなかった。
自分のために、一緒に泣いてくれるこの少年がいることが嬉しい。
でも、なぜか胸が締め付けられたかのようになる。長い時をゆったりとした気持ちで生きてきたサーシャにとって、この激しく震えるような感情は生まれて初めてのことだった。
その気持ちに“いとしさ”という名があることを、サーシャはまだ知らない。
ただ、その気持ちが欲するままに、今はアレクセイを抱きしめ、その名を何度も呼んだ。
アレクセイもなんだかすごくサーシャの名を呼びたくて、何度も何度も繰り返した。
ライヤがそんな二人を見て、わずかに苦笑した。
日は高く、二人を照らす。教会の裏庭。
一組の男女がお互いの名前を呼ぶ声が響く。
表の庭の方からも、少年の名を呼ぶ酔っ払いの声があるのはご愛敬――。
本当にいい日だ。
たとえば禁忌からはじまる小さな英雄譚 おくり提灯LED @dustman8791
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