室内飼いのソロ美さんは御外(おんも)に出たい

水原麻以

第1話

猫耳セーラー服娘のソロ美さんは室内飼い。ご主人様に在宅勤務の癒しとして飼われ始めた。しかし、最近はご主人様も忙しいらしくなかなか構ってくれない。

毎朝、ご主人様を玄関先までお見送りしたあと、ソロ美さんは独りで寂しい時間を過ごす。

猫娘にとっては人間の一日が三日に相当する。

「寂しいにゃあ。ご主人様早く帰って着ないかなあ」

独り寂しくお留守番するソロ美さん。

ときどき、ベランダにオス猫が遊びに来る。アメショーの美形猫だ。おっとりとした足取りで王子様の風格。ソロ美さんのドストライクだ。

飛び込んでみたい。

しかし戸締りがしっかりしてあるせいでソロ美さんは外出できない。

「にゃあにゃあ。あたし、ソロ美ですう。構ってください」

窓越しに呼びかけるが声が届かない。

「にゃーにゃー。寂しいですぅ。あたしと遊んでください。窓越しの会話でもいいですぅ」

ガラスに爪を立てるが虚しく滑る。そのうち、ミャーという呼び声がしてアメショーは去っていった。

「か、彼女さんとまちあわせですか…」

ソロ美さんはがっくりと項垂れる。しかたなくパソコンチェア――ソロ美さんの定位置だ――に戻ってとぐろを巻く。

そして嘆くような遠吠えのような切ない甘え声。

にゃーにゃーにゃー。

「ああああ、もう。いいから寝るんだ」

いつもならご主人様が拾あげてくれる。

しかし、真昼間だ。とうぜん声がしない。

いつもと同じ。

コチコチと枕時計の秒針が響く。

「にゃ…」

かすれて声も出なくなっていた。

寂しい。ご主人様が帰ってくる気配はない。

どうして。

どうしてお外に出れなくなった。

と、その時、奇跡が起こった。

カーテンが風に揺れている。どうやらロックを忘れたらしく窓が半開きになっていた。

ソロ美さんは隙間に猫パンチを連発した。半身分の幅だけ開いた。

「にゃっ」

窓から飛び降りて、ベランダに出る。

目の前にご主人様がいない。

「にゃああ。ご主人様あ、いるにゃあ」

あれほど出たいと望んでいた御外おんもデビュー。しかし、ソロ美さんには大好きなご主人様しか眼中にない。アメショーに彼女さんがいるというのが現実なら、わたしの彼氏はご主人様しかいないのだわ、と悟った。

「ニャー。ニャー」

紺色の人影を探しておうちの周囲を巡る。ご主人様が昼間はどこへ行っているかわからない。

ただなんとなくわかる。ソロ美のために美味しい猫缶や鶏肉やチュールを狩りに言っているのだろう。室内飼いで育った彼女は狩場を知らない。

「お母さんが言ってたにゃ。知らない場所にいくより優しいご主人さまにずるずるべったりしてた方が安全だって」

ソロ美さんは素直に言いつけを護ることにした。「あああ、ご主人様、まだですかあ」

ニャーっと思いの丈を吐き出す。

すると、また声が聞こえた。

「やっぱりこの家、うちじゃない。あ、ここはおうちだよ。お外が見えないけど。もしかしてお内儀さんに家を変えられたか」

スコティッシュの雌がぶつぶつ屋根をうろついている。グレーのブレザーにパリッと糊の効いたプリーツスカート。大事にされているお嬢様猫だと一目でわかる。もしかしたらご主人様の行方を知っているかもしれない。

「みゃっ」

ソロ美さんはスカートのすそを気にせず雨どいに飛びつく。

「ねぇねぇちょっと待ってくださあい」

猛ダッシュで瓦を駆ける。スコティッシュ嬢はのたりのたりマイペース。

「ご主人様と呼んでいたのが、猫娘になってしまっていた。そのことに気が付いて、ご主人様との関係、家族であることが本当になってしまったことに気が付いた。それでも、ご主人様が戻ってくる気配が全くしない」

すっかり自分の世界に浸っている。その行く手をソロ美さんが塞いだ。

「ねぇねぇっ!貴女」

「なによ。あんた」

現実に引き戻されたお嬢様。お約束通りブリブリ怒っている。

「ソロ美の御主事様、知りませんかあ」

「あんた、室内飼い? しつけがなってないわね。それにだっさいセーラー服。飼い主のレベルが知れるわ・」

スコティッシュのお嬢様は高圧的だ。

「ご主人様の悪口はゆるせないですうう!」

シャーッと威嚇し猫パンチを顔面にお見舞いする。

しかし、お嬢様もさるもの。ひらりと軽い身のこなしでかわし、ソロ美さんを抑えにかかる。しばらくくんずほぐれつの格闘戦が続き、隣家おとなりの干し布団に沈んだ。

「ぜい…ぜい…悔しいですう」

ソロ美さんは右前足で顔を洗う。

するとお嬢様が言い放った。「飼育環境の違いをわきまえるんだね」

「わたしの御主人さまだって『じょーじょーきぎょーのえんじにゃ』ですう」

と飼い主の決まり文句を返した。猫頭なので意味は理解してないが。

「ほぉ~っ。上場企業のエスイーが愛猫に貧相な食事。バリバリの虐待だね。儲けはおおむね人間の女に注いでるんじゃ?」

お嬢は身も蓋もないことをいう。

「うるさいですう!ソロ美のご主人様はそんな人じゃないですう」

力を振り絞ってスコティッシュに再び襲い掛かった。

と、その時。

「もういいでしょ。エリザベス」

ふわっとした感覚。背景がチーズの様に溶け落ちた。

そして、知らない腕がソロ美さんを抱き上げた。

「にやっ」

誰あろうとご主人様以外には爪を立てる。

「痛っ! 乱暴な子ね」

女は指を消毒し、絆創膏を巻いたあと、チュールを取り出した。

「うぅう、ソロ美を釣ろうったって…そうは」

怒りと警戒心がご褒美の誘惑に打ち負かされていく。

気づくと女が転がすコロコロをスコティッシュと一緒に追っていた。


「あら、遅かったじゃない」

女は壁のインターフォンに答えた。どういうことだろう。人間の会話が手に取るようにわかる。

エントランスにいるのはソロ美のご主人様だ。思わず愛しい名を呼ぶ。

「ご主人様あ」

にゃ~っという甘え声が人間の声域に変換される。

「おおっ、ソロ美さん。ばっちり聞こえているよ」

ご主人様は嬉しそうだ。そして言った。

聖羅せいら、エリザベスとソロ美も連れてきてくれないか」

女は「まぁっ」と嬌声をあげた。

「今日は家族の特別な日だ。君と素敵な彼女たちにも」

「じゃあ、ねコミュニケーションuiの発売日が決まったんですね!」

ご主人様は自信たっぷりにいう。

「ああ。保健所でも正式採用される。人と飼い主の離縁調停や嫁ぎ先カウンセリングにも導入される。もう猫のお気持ちを察しなくていいんだ!室内猫にお朗報だよ。VR技術でお散歩し放題だもんな」

難しい人間の単語も猫の鳴き声に逐次翻訳される。

ソロ美さんは思い切ってたずねた。

「ご主人様。エリザベスの飼い主さんとずっといっしょですの」

「ああ」

それを聞いてソロ美さんは一番の心配事を質問した。

「ソロ美も一緒ですか?」

「ああ、もちろんだよ。ずっとずっとずっと一緒だよ」

ソロ美はマンションの階段を駆け下りた。

「ご主人様あああ」

そこへクラクションが鳴った。



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室内飼いのソロ美さんは御外(おんも)に出たい 水原麻以 @maimizuhara

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