永遠の旅路

明弓ヒロ(AKARI hiro)

母から娘へ

 新たなる天地を目指して地球から旅立ち、船内時間ですでに50年が過ぎた。目的地となる星は遥か彼方にあり、宇宙船の旅は未だ道半ばだが、私の寿命は尽きようとしている。


 残りの旅は私の娘に引き継がれ、私の娘の旅はそのまた娘へと引き継がれていくだろう。


 そして、旅とともに先祖からの歴史も私の娘へと引き継がれていく。


 私が母から聞いた歴史、私の母がその母から聞いた歴史。決して途切れることのない、決して途切れさせてはいけない歴史。


 私は一族の歴史を思い出しながら、永遠の眠りにつく。



◇◇◇◇◇◇◇



 私の母が、いや、女王が亡くなった。愛情豊かな母であり、偉大な女王だった。


 そして、私は母を超える偉大な女王となるであろう。なぜなら、私は人間と精霊との間にできた子なのだから。


 私は物心つく頃からそう育てられた。母や年寄りたちは、本心から私が精霊の子だと信じていた。しかし、私に何か特別な力があるわけではなく、それは王家の権威を示すためのただの伝承であると、私や若い世代のものたちは考えていた。


 だが、私は本当に精霊の子だったのだ。


 もうすぐ、女王の座を受け継ぐ儀式が始まる。母から私へ、そして、私が死んだ後は私の娘へと王座は引き継がれ、この国は永遠に続き繁栄していくだろう。なぜなら、この国は精霊に守られているのだから。


 私が精霊の子だと信じた理由はただ一つ。私もまた精霊の子を身ごもったからだ。


 私の母は男と交わることなしに私を身ごもり、私を生んだ。

 私もまた男と交わることなしに娘を身ごもり、娘を生んだ。


 男と女が交わって生まれた子は、母と父の特徴を受けつぐ。


 だが、私は母と瓜二つだ。そして、私の娘も私と瓜二つだ。


 精霊と交わり子を作ることができるのは、精霊と交わってできた精霊の子だけだ。


 私は偉大な女王となり、この国を永遠に繁栄させよう。それが女王の義務であり、精霊の子の定めなのだから。


 今日から私は『マリア』と名乗る。母から私が引き継ぐ名だ。



◇◇◇◇◇◇◇



 イエスが十字架に架けられている。傷ついた体から出る血はすでに枯れ、わずかばかり残された命の火も、今にも消えようとしていた。


 本当なら十字架に架けられているのは私だった。


 処女出産した母と私は、この地を支配するローマ帝国により呪われた存在として追われていた。異形のものへの怖れだけでなく、この世の理を超えた存在が皇帝の権威を脅かす存在でもあったからだ。


 だが、たとえローマ帝国に追われなくとも、私は自らこの呪われた血筋を終わらせるつもりだった。母も祖母も曾祖母も、男と交わることなしに子を作ることを誰にも知られないよう身を隠してきた。それが可能だったのは、代々の女たちが、一ヵ所に留まらず永遠の流浪を続けてきたからだ。そして、一族の過酷な宿命にも決して挫けることのない強さを備えていたからだ。


 だが、私は弱かった。一族の姿かたちは引き継いでも、心の強さは引き継げなかった。そして、永遠の旅を続ける一族の宿命の重さに耐えきれず、ついに自ら命を絶とうとした。そのとき、私を助けてくれたのがイエスだった。


 この世の誰よりも深い愛を持つイエスに、代々の女たちが決して口外しなかった秘密を私は話した。イエスは、私の血は人々をいつか神の国へと導くだろう、決して途絶えさせてはならないと私に説いた。


 そして、私の身代わりとなって母マリアの子としてローマ帝国に処刑された。


 私の心の弱さを許し、私に進むべき道を与えてくれたイエスよ。私は、決して私の一族の血を途絶えさせないことを誓います。そして、あなたから貰ったマグダラのマリアの名とともに、あなたへの愛と教えとともに生きて行きます。



◇◇◇◇◇◇◇



 十字架の上で、女が燃えていた。私と同じ顔をした女が、私の母が燃えていた。


 魔女狩りの嵐が吹き荒れる中、母と私は、人目を避けながら逃げるように暮らしていたが、常に覚悟はしていた。いつかこの日がやってくるだろうと。そして、そのときは母が犠牲となることも。


 異端審問会の追手が迫った時、母は私を逃がすために自ら魔女だと名乗り出て追手を引きつけた。


 これが私の一族の宿命だ。女一人で子どもを作る魔女の一族。何の力も持たない普通の人間が魔女として惨たらしく殺されるなか、私たちだけは本当の魔女だ。


 だが、私たちは滅びはしない。けっして、滅んではならない。


 私たちを異端と呼ぶ彼らこそ、異端なのだ。いつか、人間を神へ国へと導く存在が私たちだ。


 母の血を、一族の歴史を、私は娘に伝えなければならない。


 私の腹には娘が宿っている。私にはまだ希望が残っている。



◇◇◇◇◇◇◇



 僕の子が作れなくてもかまわないと彼は言った。そして、生殖に関わる遺伝子に何らかの突然変異が起きた結果、私の一族は単為生殖を行っているのだとも。


 熱心なプロポーズをずっと断ってきたが、君と結婚できないなら死ぬと脅かされ、言葉どおり本当に自殺しかけたのには驚いた。逆上して殺されなかったよりは、ましかもしれない。


 本当のことを言って信じてもらえればよし、頭のおかしい女だと思われても、それはそれで諦めるだろうと思って代々の秘密を告白したところ、予想外に真面目な反応が返ってきた。世界有数の大富豪の後継ぎとして生まれながら、周囲の反対を押し切って学者になるぐらいだから、もともと相当変わっていたのだろう。遺伝子的には私の方が変わり者のはずだが、もしかすると彼は脳の遺伝子が他の人とは変わっているのかもしれない。


 生殖時には、女性の卵子と男性の精子が結合して受精卵となる。この時、卵子も精子も減数分裂をして、染色体の数が通常の細胞の半分の数になる。そして、両者の染色体が組み合わさることで、母親と父親の遺伝子が混じった受精卵が作られる。子どもが、父親と母親、両方の特性を受け継いでいるのはそのためだ。


 だが、雌雄を持つ生物でも稀に雌が単体で生殖することがある。よく知られているのがミジンコだ。環境によっては卵細胞が減数分裂せず、母親のクローンが発生するのだ。


 代々自分たちは特別な一族だと思っていたご先祖様が、ミジンコと同じだと知ったらさぞ驚くだろう。


 神は死んだとニーチェは言ったが、幽霊の正体見たり枯れ尾花と言った方が、この場合は正しいのだろうか。



◇◇◇◇◇◇◇



 人類初の恒星間宇宙船。片道切符のその旅に私は志願して選ばれた。ご先祖様の財力と先祖代々受け継がれてきた遺伝子のなせる業だろう。


 目指す星への旅にかかる期間は船内時間で300年。気の遠くなる時間だ。そして、気が遠くなるだけでなく人間の寿命を遥かに超えた時間でもある。フィクションの世界で大活躍するコールドスリープもワープも現実には不可能だ。つまり、たどり着くには一世代では絶対に無理で、一世代30年として計算すると10世代が必要となる。


 普通の人間では、当然のことながら子を作るには男女の二人が必要となる。さらに10世代を経るためには、近親婚を避けるために大人数が必要で、必然的に巨大な居住スペースを持つ宇宙船が必要となる。宇宙船という特殊な環境下で生まれ育った子どもが、使命を果たせる精神的な強さを保てるかも不確定要素だ。


 だが私の一族であれば、私と娘の二人、孫を入れて最大でも3人が居住できれば良い。そして、過酷な環境に耐えてきた我が一族の精神力は折り紙付きだ。


 まさに、宇宙の旅をするために生まれてきた一族だ。

 

 かつて、私の先祖たちが望んだように、人々を神の国へと導くことはできないが、私の子孫たちは、人々を未知の世界へと導くことができるだろう。


 だから、私は旅に出る。私の一族は旅に出る。


 私の思いは私の娘へと、そして、その娘へと引き継がれていくだろう。


 私が母から、そして、その母から引き継がれてきたように。


 私たちは永遠に旅を続ける。


 どこまでも遠く、宇宙の彼方へ。

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