第四九話 曇天が包んだ日

「和登君、ちょっと待って」

 私が足を止めて声をかけると、和登君は立ち止まった。


 私には分かった。今朝和登君が私の部屋に来たのは、私がそう願ったからだ。今和登君が立ち止まったのも、きっと私が待ってって言ったから。他にも色々と思い当たる節がある。


「……私、今の天気は晴れじゃなくて、曇っててほしいと思うんだ」

 どうでもよくて、すぐには変わらないことを言ってみる。和登君と私は顔を上げた。


 すると、突然日が陰り、青かった空は鉛色に包まれた。見上げていた私たちの目に映ったのは、今にも泣きだしそうな空だった。

 一部始終を見ていた和登君が、歩きだしながら言う。

「やっぱりすごい力ですね……。こんなことも叶うなんて」

「でも私、不死川さんを殺せなかったよ」


 言ってすぐ、口を押さえる。あまりにも物騒なことを口走ったのに驚いた。鉄っぽい味が口の中にひたすら広がった。私は嘔吐えずいて、思わず口を覆う。

「大丈夫ですか」

 和登君が背中をさすってくれた。往復回数を重ねるごとに、どんどん落ち着きを取り戻していくのが自分でも分かる。和登君はやはり神様かもしれない。私はそう思った。


「……不死川さんとは、やはり初対面ではなかったんですね」

 和登君が確認するように言った。

「うん、夢で一緒にいた。夢っていうか、二週間ぐらい前のこと」

 夢ではない。本当にあった出来事なのは絶対に間違いない。私の細胞一つ一つが、それを必死に伝えようとしてくる。私は両手で髪に触れてみた。不死川さんの血がまだ付着しているような気がしたのだ。

「殺そうとしたんですか?」


「私は……不死川さんだけじゃなくて……誰のことだって――そう思ってたんだと思う。あの時の私は」

 和登君が祈祷かなえ、すなわち私のことをどう思っているのか分からなかったし、どんな言いかたをするとそれが叶ってしまうのか想像もつかないため、私は慎重に言葉を選んだ。

「先生が欲しがるわけですね」

 和登君はうつむいて言う。

「昨日も言ってたみたいだけど、索田さんは私の、この願いを叶える特殊技量アビリティが欲しいって言ってるの?」

 私は改めて聞くことにした。


「らしーな」

 

 和登君が答える前に、別の声がした。この現れかたは知っている。昨日も、それに二週間前にも体験した。

「不死川さん?」


「よっす、嬢ちゃん。それに坊主」

 不死川さんが目の前まで来て言う。

「おはようございます」

「どうも」

 私も和登君も挨拶を返した。今朝見た夢を思い出すと、なんだか気まずい気持ちになってくる。私が視線をあちこちへやっていると、和登君が一歩進んで言った。

「里佳さん、ここがあなたの住んでいた場所ですよ」


 私は和登君の立つ地点を見た。

 次の瞬間、ここが夢の場所だとすぐに分かった。掘っ立て小屋のような、小さな白い家があったのだ。不死川さんがあのとき座っていた岩もある。そのそばには野宿の形跡があり、よく分からない魚が木の枝に刺してある。

 ということは、向こうには細切れになった不死川さんの着物が、今もなお散らばっているかもしれない。でも私はそれを考えないようにした。


「これが、私が特殊技量アビリティで作った家……」

 きっと中は六畳ほどのワンルームで、三分の一を本が占めているだろう。なんとなく分かる。索田さんの屋敷から、歩いて十分もしていないと思う。私はこんなにも二人に近いところで暮らしていたのか。


「てこたぁ嬢ちゃん、やっぱり祈祷かなえだったのか」

「やっぱり?」

 不死川さんが驚く風もなく言うので、私のほうが驚いてしまう。

「なんか似てると思ったんだよなぁ。髪も服も、全然違うけどな」

 不死川さんは笑いながら私の頭をなでるものだから、私は恥ずかしくなってうつむいた。それでもなで続けられる。


 たしかに見た目はまったく違うだろう。私はこれまで、黒い服しか着ていなかった。黒色が好きだったし、そのほうが闇に紛れて身を隠すのにちょうどいいのだ。髪の色は真っ白だったから、結局隠れようにも目立ってしまっていたのかもしれないけど。

「で、でも不死川さんがどうしてここに?」

 私はなでるのをやめてもらうために尋ねた。不死川さんは手を引っ込め、歯を見せて笑う。

「いつかお前さんが帰ってくると思ってな。話の続きも気になったし、ここで待ってた」


「二週間も、ここで、ですか?」

 私は目を点にして問う。

「おれにとっては一瞬だからなぁ」

 不死川一といえば、平安時代から生きている。そんな太古から生きていれば、二週間も二か月も二年も下手したら二十年も、そう変わらないだろう。どこで平安時代から生きているという情報を得たのかは思い出せなかったが、納得した。


 しかし、中へ入ってくれてもよかったのに、野宿をしていたというのはなんだか申し訳ない。私が昨日右へ曲がっていれば、一日でも早く野宿を切り上げさせることができたかもしれないのに。

「すみません、ありがとうございます……」

 私はどちらを言ったらよいのか分からなかったので、両方とも伝えることにした。

「おれが好きでここにいたわけだから、嬢ちゃんは気にすんなって」

 不死川さんがまた私の頭をなでる。


「不死川さん、頼みがあります」

 和登君は私たちの会話に加わらず私の家の外壁を眺めていたが、突然切り出した。

「おう、なんだぁ?」

 不死川さんが楽しげに返した。この人はなんだかいつもご機嫌な様子だ。和登君はちらっと私を見ると、不死川さんに向かって言う。


「どうか、『櫛江里佳』さんを逃がしてあげてもらえませんか」

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