第三六話 力
音の正体は和登のバイクだった。
某メーカーの『ストリート・スクランブラー』というモデルで、バイクの中では比較的小ぶりかつ細身のボディーをしている。全体が黒色、シートの全面だけはロゴが入った赤い金属、そしてその他のパーツには金色に輝く箇所もある。里佳が身近でバイクを見るのは初めてだ。
「ああ、バイクだったんだ。びっくりした」
「なんだと思ったんですか。あと……なんですか、その状況は」
和登は里佳の全身に向かって問いかけた。
里佳は体を横に向けて転がっており、頭も体も葉っぱだらけになって顎を押さえている。
「ええっと……敵の来襲かと思って、隠れようかと」
「敵って……」
里佳は両手をついて起き上がろうとするが、うまくいかなかった。
「あはは、しかも腰が抜けちゃったみたい」
和登は大きく息をつき、手を差し出した。里佳がそれを掴むと和登がぐいと引っ張り、ようやく体を縦に向けることに成功した。しかし、またしても背筋の凍るような寒気が里佳を襲う。
「まったく、間抜けすぎますよ。
明らかに褒められていないのに、里佳は顔をほころばせる。目つきも愛想も悪いし、とげとげしい物言いをすることの多い和登だが、優しい人だということを里佳は分かっているのだ。
里佳には日を増すごとに和登のいいところが見えてきていた。今だって、和登は呆れながらも里佳の頭についた葉っぱを払ってくれている。
「うん、平気っぽい」
「なんですか、転んだっていうのにへらへらして気持ちが悪い」
こんなことを言われようが、里佳はいつまでもうれしい。
「そうそう。和登くんこそ、なんでこんなところにいるの?」
里佳が問うと、和登はウインドブレーカーを脱ぎながら答える。
「学校から帰る途中でした」
「てことは、この道の先に学校が?」
「ええ」
和登によると、ここから三キロほどのところに学校があるらしい。バイクは昨年小遣いで購入したそうだ。二輪車での登下校は校則違反だが、バレなければいいのではないかと索田が言うため、学校の八百メートル手前まではバイクを使っているという。なお、実は過去に一度バレている。
「散策はここまでです。帰りますよ」
和登がバイクを引きながら歩きはじめたので、里佳もそれに続く。里佳が裏口からこんなところまで出てきてしまっていることについては
「今日のご飯はもう決まってる?」
里佳は和登の作る料理がどれも例外なく大好きだ。
「いや、決めてません。何か食べたいものがあれば作りますが」
「え、リクエストしていいの?」
「どうぞ」
里佳は指折りしながら考えはじめる。
「うーん、何がいいかな。中華料理、洋食、もちろん和食でも……。あ、ベトナム料理とかでもいいかも!」
「食材にあまりにもマイナーなものが含まれるやつは無理ですよ」
そう和登は言うものの、野菜や果物の一部がこの山や庭のビニールハウスで栽培されているし、味や見栄えが劣化しにくいものは冷凍保存されているし、厨房にはほとんどの調味料が揃っている。ないのは和登が嫌いな貝類と甲殻類と、極限にニッチなものだけだ。ロマネスコやギギ、ピッキーヌなどといった。
「餃子とかチャーハン、それにパスタやハンバーグなんかもいいなあ。もちろん豚汁も。フォーは食べたことないし……」
里佳がさまざまな選択肢を挙げていくので、和登は結論が出されるまで相づちを打たないことにした。こうなった以上相づちは意味のないものだと考えたのだろう。
「春巻き、
和登は一つ一つに相づちを打たなくて正解だと思った。里佳が料理を列挙しているうちに、五百メートルは歩いている。それにその間に何度か腹を鳴らしている。料理名に呼応しているようだった。
「……あっ、そうだ! カレーが食べたい!」
「カレーでいいんですか?」
「うん、カレーがいい」
和登は里佳があまりにも簡単な要望をよこしたので、いささか拍子抜けした。しかし、そうと決まれば必ず作ってあげねばならない。和登はせっかくなら具だくさんのものを作ろうと決めた。
「分かりました。それなら」
やや顔を上げて考え事をしているようだった和登が、すっと両の手のひらを上向きにした。
「わっ」
突然に一陣の風が起こったため、里佳は思わずまばたきをする。そして次の瞬間には、先ほどまでなかったものが和登の手に収まっていた。
「……? さつまいもと、カボチャ?」
里佳は目をこすって三度も見直したが、やはりどうしても和登がさつまいもとかぼちゃを持っているようにしか見えない。しかも土まで付いている。
「はい、この二つだけ今は屋敷にないので。じゃ、帰りましょう」
――――――――----‐‐
「……いただきます」
和登が作ったカレーには、鶏むね肉、にんじん、さつまいも、れんこん、カボチャ、ズッキーニがごろごろと入っていた。トマトと玉ねぎでじっくり煮込んだカレールウが香り高いうえに、隠し味のスパイスもよく効いている。
ダイニングは二人だと広すぎるということで、今日は厨房の小さなテーブルと二脚の椅子が食堂代わりだ。
だが里佳にとっては、そんなこと今日ばかりはどうでもよかった。
里佳には帰路につく途中に和登の周りで起こったことが気になっていたが、いくら尋ねても、尋ねかたを工夫して聞きなおしても、今のところ的を射た回答を得られていない。
「ねえ、和登君」
「はい?」
向かい側に座る和登は、素知らぬ顔ですでにカレーの三口目を口へ運んでいた。それを見て里佳はわずかに腹を立てた。なぜ一発で核心を説明してくれないのか。それでも里佳はめげない。
「あのさ、何度も聞いてるけど、さっき一瞬のうちに野菜を持ってきたやつ! どうやったのか教えてよ」
和登は食べる手を止めて目を伏せた。さっきもそうしていたが、そのときから里佳は珍しいと思っていた。
「力ですよ……やっぱり里佳さんの力はすごいですね」
「ちから?」
里佳には和登の言葉を正確に聞きとることができたが、なんの話なのかはいまだに掴めない。
「何? どういうこと?」
ですから、と和登は続ける。
「俺ら人類が皆持っている力のことですよ。俺の力は簡単に言うと、所在さえ分かれば人であろうがモノであろうが、重かろうが軽かろうが引き寄せられるんです」
和登は両膝に手をつき、
「つまり、里佳さんをさらったのは俺です。謝って済む問題ではないですが、本当にすみません……」
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