第二六話 主の居ぬ間に
「そうだろうね」
チャイの入ったカップに手を添えて索田が頷く。里佳は顔を上げ、索田を見た。
索田は探偵事務所を営んでいる。そして山頂にたたずむ豪華な屋敷の麗しき
傾国の美女という表現があるが、索田はそれの男性版だろうという確信が里佳にはある。里佳は先週この屋敷へ迷い込んだわけだが、それから何日かはひどく悪天候だった。それで里佳はがっかりしたのだ。
しかし里佳は、自分がなぜ嵐にがっかりしたのか思い出すことができない。
「君が僕に恋愛感情を抱きたくないのは分かったよ。となると、和登くんが好みなのかい?」
索田の声で、里佳は現実に引き戻された。
「わ、私ね。違うの」
突然のことで、里佳は声を
「ほう、ではどんな男性がいいんだい?」
索田はしばらくのあいだ面白おかしく里佳の様子を窺っていたが、続きを促すと体を椅子の背に預けた。里佳は素早く頭の中を整理する。兄のことはいったん置いておくことにした。
里佳はスマートフォンやパソコンがないことでずっとおあずけになっていた作品を頭に浮かべる。
「プリンケプス、って知ってる?」
「それは、単語の意味を尋ねているのかい?」
「ううん、違う。ネット小説なんだけど」
索田はカップを持ち上げて言う。
「ネット小説の存在自体は知っているけど、一つも読んだことはないな」
里佳はそうだろうな、と思い概要を説明する。
「あのね、ジャンルはファンタジーだかSFだか歴史ものだかよく分かんないんだけど、舞台は特別な能力が人間みんなにあるっていう世界なのね。主人公はその能力のおかげで千年近く生きてるんだけど、平安から現代まで、いろんな時代の人と触れ合うのを描いた話なんだ」
「ふむ」
索田は軽く相づちを打ってチャイを口へ運ぶ。伝わっているのか自信がなかったが、里佳の頭は落ち着いてきたので続けることにした。
「といってもまだ完結してないんだけどね。私はその作品の主人公が推しなの。
里佳は両手で頬杖をつき、不死川を思い出して甘いため息を漏らした。
じゃなくて、と腕を膝に下ろす。
「その人、ちょっと筋肉質なんだよね。寿命が長すぎてすることがないから、筋トレしてたらちょっとがっしり体型になりましたっていう設定」
里佳は話の内容やコミカライズ版を思い浮かべながら話した。
「和登さんともまた全然違うんだよねー」
久しぶりに『プリンケプス』に思いを
「索田さんがきれいで完璧なイケメンだとすると、和登さんはツンデレで女子力の高いイケ……メン」
和登がイケメンかどうか怪しかったため、里佳は少し言葉に詰まる。
「それで不死川さんっていうキャラは、イケメンじゃないの。イケオジではあるけど。見た目は……うーん、時代によってちょっとずつ変わるんだけど、今はくたびれたおじさん。現代では四十歳手前くらいの見た目年齢なんだよね。それで」
流ちょうに話していた里佳だったが、ふと我に返った。今、自分が一方的に推しの話をしているのではないか。そう思い、里佳は恐る恐る索田を見る。彼は目を閉じてチャイを味わっていた。
索田はチャイを全て飲み干して、音を立てずにカップを置いた。表情を緩めて言う。
「君って面白いことを言うね」
「え、そうかな……」
誰かにも似たようなことを言われた気がして、里佳はなんだか落ち着かなくなる。
索田は腕時計を見ると、横の椅子に折り畳んで置いておいたジャケットを手に取った。
「ひとまず帰ろう。あまりに遅いと、和登くんが心配してしまう」
――――――――----‐‐
和登は裏口にある書き置きを見たところだった。索田は里佳を連れて出かけているらしい。
和登には索田の意図が分かるようで分からない。索田は探偵業以外のことをあまり和登に話さないようにしていたのだ。夕食は屋敷でとると書かれていたので、十九時頃に帰ってくると想定して作ることにした。
が、その前に――――と、和登は歩を進めた。
「
和登は似たような戸の羅列のうちの、奥から三番目の戸のドアノッカーを鳴らした。そわそわしながら
「何よ、珍しいわね」
ややあって、金髪の女が
ほとんど下着姿だった。それに、急にきつい香水のにおいが和登の鼻を通り抜けた。ケバケバした化粧が二十代という貴重な若さを台無しにしている、和登はそう思う。しかし今伝えるべきはそんなことではない。
「少し話せますか?」
村雨は和登をじろじろと見ていたが、思い詰めた表情をしているので入れることにした。
「いいわ、入りなさい。散らかっているけど適当に座ってちょうだい。お茶を出すから」
和登は軽くお辞儀をすると、招かれた部屋へと入っていった。
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