第二五話 帰るべき場所
「ええっと……はい?」
あまりにも長い沈黙なので、里佳は二度言ってみた。索田はというと、左手で
「あの、何が言いたいのか……ちょっとよく分からないというか……」
索田がいまだに何も言ってくれないため、里佳は自分のボキャブラリーが少ないせいなのかと不安になってきた。
「おや、言いかたがおかしかったかな」
「言いかたというか……」
首をかしげる索田を見て、里佳はますます自分が悪いのかと思う。
「うーん、端的に尋ねられなかったかな。つまりね」
索田はまだ続けるらしい。
「普通ならすぐにでも僕に好意を抱くものだと思うのだけどね」
「ふ、普通はそうなの?」
そう言うや否や、里佳は首をぶんぶんと横に振って意見を述べる。
「い、いや、というより……こんなにもって、まだ会って七日しか経ってないよ」
「やっぱり君は変だな」
索田はまだ里佳をまじまじと見つめていたが、今はわずかに眉を寄せている。里佳の不安な気持ちは大きくなるばかりだ。しかし、と里佳は反撃を試みる。
「私じゃなくて、索田さんがだいぶ変な気がするんだけど」
「そうだろうか」
「明らかにそうだよ」
索田は椅子の背にもたれかかり、小さく息を漏らす。里佳は索田に不安と軽蔑を含んだ視線を送り続けているが、それについては意識されていないようだ。索田が口を開く。
「とにかく、君には僕のものになってもらいたいから。よろしくね」
索田は正面から笑みを向けて言った。里佳の
「……え? 索田さんが、私のことを好きっていうことなの?」
「まさか」
ガタッと音がしたのは里佳の椅子だ。里佳はここのところ、何度も椅子から転げ落ちそうになっている。
「ど、どういうこと? いったいどっちなの?」
里佳は周囲の様子を
索田は長いまつ毛を閉じて言う。
「どっちも何も、君が僕に夢中だろうし、僕は君が欲しい……そう思っていたんだよ。やはり君は手強いね」
里佳は先ほどから十分近く、一度も索田の言葉の意味を理解できずにいる。まるで里佳の苦手な英語を聞いているかのようだった。
「そういうわけで、君はこれからも僕の屋敷で暮らせるよ」
どういうわけなのか分からない……そう里佳は思ったが、索田には歩調を合わせる気がまったくないらしい。悠々自適にポットからチャイを注いでいる。となれば、里佳にだって索田の言うことに合わせる道理はない。里佳はいらだちが次第に押し寄せてくるのをこらえる。
「やっぱり、明らかにおかしいよ。仮に索田さんがほんとにわ……私を欲しいとしてもね、」
里佳は追撃する。
「それって相手がいいよって言わないとだめだと思う。ましてこういうのって、お互いが好きになって交際に発展するわけだし」
「うーむ、そういう話をしているのではないのだけどね」
索田は里佳の言うことを理解できないようだ。異文化交流は続く。
「そういう話じゃなくても! 私は索田さんのことがその……好きだけど、別に付き合いたい対象とかっていう意味じゃなくって」
空になった皿とポットを下げに来た店員が何事かと里佳を
「とにかくさ、欲しいものを一方的に願ったって、普通は手に入れられないよ」
索田は終始興味ありげに里佳のことを眺めていたが、組んだ両手を頬に添えて、微笑混じりに言う。
「君がよくそんなことを言えるね」
「え?」
「さて、ともかく。見返りがあればいいのかい? 本では不十分だったかな」
里佳は索田から十冊以上の本を受け取っている。どれも一切の傷みがなかったことから、おそらく新品だったのだろう。
「本のことはありがとう。でも」
「それとも屋敷中の部屋へ入りたいのかな?」
索田はにやりと笑って言った。
「き、興味はあるけど。そんなに深刻な理由があってしていたことではなくて」
ドアノブを回してまわっていたことについて言及されたと分かり、里佳は小さくなった。なんとなく怒られているような気がした。
「書庫もそうだが、今後はほとんどの部屋に入れてあげよう。他にも、君が願うことは全て叶えると約束する。これでどうだろうか」
里佳は自分の決心が揺らぐ音を聞いた。里佳がドアノブを回して歩いていたのには大した理由はない。しかし、知らない場所へ入ることを許可されるとなると、途端に冒険心がうずきはじめる。特に書庫である。
しかし里佳は、昨日から何か重大なことを忘れているような気がしていた。里佳がうつむいて押し黙っていると、索田が加えて言う。
「君には帰る場所もないだろうし」
「帰る場所……」
里佳は頭に引っ掛かりを感じたため、よく考えた。
――自分が帰るべき場所はどこだろうか
――というよりも、帰る場所とはなんなのだろうか
里佳の頭に兄の顔がぼんやりと浮かんでくる。
――――兄?
――私に兄なんていたっけ
里佳は目を見開いた。
――私は今、何を考えていたのだろう。兄がいないだなんて。
里佳は首を横に振る。そして頭の中で帰る場所についてよく考えた。じっくりと考えた。その結果、
「ない、と思う」
里佳にはこう絞り出すのが精一杯だった。
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