第二七話 くろ

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 無精ひげを生やして服をだらしなく着崩した男が、最近とある町で聞き込みを続けている。一晩寝るところを貸そうかと提案しても、路上で眠れるから構わないと答える。こんな話が住民のあいだでもっぱら噂になっていた。そんなことが続くと、次第に住民は不安になってくる。治安がいいところなのになぜ浮浪者が跋扈ばっこしているのかと。


 辺りはすっかり暗くなっているのに、街灯はぽつぽつとまばらにあるだけで、しかも四つに一つは切れかかって点滅していた。電気のついている家より、真っ暗な家のほうが多い。過疎が進んでいるのか、高齢化が進んでいて早く寝る者ばかりなのか、あるいはその両方か。そんな特徴しかない小さな小さな町である。


 ある男がとっくに閉店している青果せいか店の戸を引いた。鍵はかかっていなかった。奥から足を引きずる音が聞こえてくる。


「なんや、おんしは」

「あ、どうも。ごめんくださーい」

 ひげ面の男が一応声をかけると、老齢の店主は電気をつけてその男をじっくり観察した。そして当分してから口を開く。


「ああ、おんしあれか。噂になっとる男かえ。あれやこれや聞いてまわっとるんやって?」

 店主が言う。

「おお、おれ人気者だなー。で、どうかな。この辺で行方不明になっている人の情報ってあるか?」

 男はひげを触りながら聞いた。

「そりゃあ、あるわ」

「あんのか? なあおっちゃん、教えてくれよ。なんか果物買ってくからさ」

 ひげの男は両手を合わせて頼み込む。気のいい店主は豪快に笑って、一番おいしそうに見えるみかんを差し出した。

「おんし、気持ちのええ男やな。ほれやったら、いっちばん出来のええやつやるで、えか」

「うおー、うまそうだな、これ」


 男は代金を支払ってその場で皮をむきはじめた。店主はみかんの並びを直しながら話しだす。

「ありゃー、わしの孫が七つになった年やで、四年は前やったかしゃん」

「ほうほう」

「あ、いんね、まーちっと前やったか」

 店主は考え込んでしまう。下手こいたら十年前かもしれぇへん、などと首をかしげている。


「おっちゃん、おれはどっちでも問題ないよ」

 男はみかんを真っ二つに割って、片方を口に放り込んだ。店主は店の左前を指さして続ける。

「えぇ陽気んときや。あっちの地主んとこの長女がおらんくなってまってよぉ。そこんとこの末の娘にゃ孫が分団で世話になっとったで、よーけ話聞いとったんやわ」

「ほうほう…………ん? 分団ってなんだぁ?」

 男は残りのみかんを口に詰め、店主に向かって手を差し出す。すると店主が無意識にもう一つみかんを手渡した。

「学校のあれや!」

「ああ、あれね。学校の……あれね」

 男は知ったかぶりをして二つ目のみかんに取りかかった。

「ほんで、聞いとるとどうも男と逃げたっちゅう話やって。でよぉ、もうけ話があるんや、そのぼんにれたんやっちゅーて父親と大喧嘩しとりゃーたげなで」


「んでその、男っていうのは?」

 二つ目のみかんも同様の手順で食べながら横やりを入れる。

「あっかん、分っからへん」

 店主はこめかみに手をあて、思い出しながら話す。

「男やのーて、あか抜けたおなごがおったんやったかしゃん」

「どんな女だった?」

「あかん、忘れちまっとる。まーぼけとるでかんわ。男やったかおなごやったか、やけどえーろう頭がなっげぇやっちゃって裏のおっさまが言っとらっせるの聞いたわ」


「おれより長いの?」

 無精ひげの男はにやりと笑って自分を指した。この男も肩にかかるほど後ろ髪を伸ばしている。

「おんしのようにおっぞぉ伸ばしとらへんて。長さはどうやったかのぉ……ちった覚えがあると思っとったけどあらへんでかん」

 店主は少ない髪の毛をきむしって言う。

「おっちゃん、その地主ンとこの姉妹の違いって分かるか?」

 男がそう聞くと、店主はわけ知り顔で答えた。

「おぉ、まるきしは忘れとらん。末は体がよわーてなぁ、よぉ学校休んどらっしたげな。ほんで力もよわーてよわーて。昔はよー上についたるいとったわ。やけども上は真逆やし、どぉらぁつえぇ子やったわ。ほんやけども、ハイカラなべべ着て、けっちな頭しとったのぉ。ほーやし、お大尽や」

「ほうほう」

 男はみかんを二つ食べきった。今回は大収穫だった。


「ありがとな、おっちゃん。近くまで来たらまた寄るわ」

「まーえんか」

 男がみかんの皮をポケットにしまった。それを見た店主が言う。

「ほんなもんそこんくろぶっとけ」

「え、いいの? おっちゃんの店でしょ」

「ええて。あすまわししとるときにほかるで」

 男は肩をすくめて、みかんの皮二セットを取り出す。そして自分から一番近い隅に向かって放り投げた。

「たぁけか! ほんな投げるやつがあるか」

 男は店主にぶたれた。この地域の言葉を多少は分かっているつもりだったが、意味をはき違えたようだ。

「ごめんごめん。そんじゃね、おっちゃん」

「おんし、宿はどうするんや。じっきくらなるぞ」

 店主が引き留める。

 この町の人たちは気前がいいのだ。それにふらふら立ち寄ってすぐに泊まれる施設などこの町にはないため、夜によそ者が歩いているとなると住民はどこで寝起きするのだろうと心配になってしまう。

「お気遣いどうも。でもおれ道端で寝れるから。んじゃな」



 ひげ面の男は青果店からだいぶ離れたところに来ると、町の観光案内板を見た。のべ一か月近くこの町で過ごしているが、観光客とは一度たりともすれ違っていない。

 おおむねの地区で聞き込みをすることができた。そして青果店の店主が有益な情報をくれた。


「あいつが……関わってるんだろうな」

 男は空を見上げた。この町では星がはっきりと見える。


 男はしばらくそうしていた。他人の生き様も星の流れほど遅く見えたらいいのに、などと考えながら。


「よし、急ぐか。とりあえず裏のおっさま。そんで寝ずに歩きゃ明日には着けるだろ」

 男は裏道へ向かって歩きはじめた。

「それにしても、すっかり腐れ縁の町だな。ここは」


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