あとがき

 藤堂平助という人物は、新選組のメンバーの中でも、とりわけわかりにくい部類に入る人だと思う。

 彼は、伊東甲子太郎という人とともに新選組を抜けるのであるが、たとえ伊東が昔馴染みで、例えば恩のようなものがあったとしても、数年間同じ釜の飯を食い、あの池田屋での激闘をともに潜り抜けてきた新選組の仲間と、簡単に袂をわかてるものだろうか、という疑問がどうしてもある。

 藤堂の人物像を詳細に語った資料がほとんどなく、想像をふくらませるしかないのであるが、彼の行動の根本にあるものは、潔癖さであったように思う。新選組が隊内粛清をくりかえし、仲間をどんどん切腹させていくのは、潔癖な人物からすれば、耐えられるものではないだろう。しかも、彼は近藤勇や土方歳三を尊敬していたはずである。近藤や土方たちは、組織の存続や拡張に、ある意味で熱中していき、かつての人間性を変化させていった(少なくとも周りからはそうみえたのではなかろうか)。尊敬していた人物が、変節していくというのは、無念であったに違いない。

 また、彼の最期の油のこうじの決闘では、元いた新選組の者たちはどさくさに紛れて彼を逃がそうとしたようだ。だが逃げなかったのは、これもかれの生真面目さのせいだろう。

 すべては、筆者の独断論的な想像ではあるが。


 さて、話は打って変わって、ここで、多少、言い訳をさせてください。

 最終章が意外とあっさりしていると思われたかたもいらっしゃると思います。

 ただ、これには理由がありまして、信十郎と平助のふたりのあいだには、第五章終了時点で、これ以上の物語も、会話さえも必要ないように思えたからです。ふたりの間にはもう、過去にしか物語はない気がしました。ゆえに数話の過去編を描いたしだいです。


 また、小説の内容から、筆者が小児性愛者ではないか、と疑われたかたがいらっしゃるかもしれません。

 筆者はそのような性癖はいっさい持ちあわせておりません。

 小児性愛者であると発覚した作家の作品がいまだに雑誌に連載されていたり、売れるからという理由でコラボ企画に利用されたり、映画化までされるなどという現状は、おかしいとさえ思います。はっきり言いまして、今の日本社会はまともだとは思えないくらいです。

 この作品の子供の性的な描写は、小児性愛者に対する憎しみから描いた、と受け取っていたきたいです。ご理解ください。


 長浜の描写には、滋賀県立長浜北高等学校の歴史部の皆さんが、(もう半世紀近く前のもののようですが)調べられた、「長浜の歴史」という研究資料をネットで見つけ、参考にさせてもらいました。実に詳細に研究されており、感服しました。大変参考になりました。https://nagakitahi.wordpress.com/about/

 ほんとうは、長浜くらいまででしたら、家から日帰りでも取材に行ける距離に住んでいるのですが、なにぶんコロナウイルスの影響で、遠出はひかえねばならず、ネットでの資料集めと、グーグルマップのストリートビューで想像を膨らませるしかない状況でした。無念でした。

 ですので、長浜北高校の歴史部の皆さんには感謝しかありません。


 最後になりましたが、この作品は、「アルファポリス第7回歴史・時代小説大賞」にエントリーしています。このあとがきを書いている時点では、コンテストの結果はでていませんが、応援してくださったかたがた、ポイントを入れてくださったかたがた、ツイッターの宣伝記事の拡散に協力してくれたかたがた、もちろん、読んでくださったかたがた、みなさまに感謝を申し上げたいと思います。


 2021年六月八日

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湖水のかなた 優木悠 @kasugaikomachi

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