恋人はダンジョンで遭難中です

吉岡梅

期限は10日間

「ミア・オイルの話をしましょうか」


 神官ダードはルカの問いには答えず切り出した。戸惑うルカに目を合わせず宙を見つめ、一方的に話を続ける。


「ミア・オイルはこの地方特産のミアの花の種から採れるオイルです。滋養に富み、飲めば活力が湧くとされています。わが教会のポーションの原料のひとつです。効果のほどは人それぞれですがね」


 神官はそこで言葉を切り、微笑んでルカを見た。ルカは黙って聞いている。


「活力が湧き、意欲を増進する薬ですが、それより大切なのはミア・オイルを飲んだという事実であり、認識です。ミア・オイルを飲んだのだからやれるはずだ。あるいは、飲んだからにはやらねばならない。そう思って行動できるようになるのです。つまり、心身両面で行動を促進する効果があるのです」


 神官は聖書台の上に、ことりと小さなビンを置いた。


「人は罪深く悩みが絶えぬ、弱き生き物です。その弱さが身体をいましめ、動けなくなってしまいがちです。あるいは、悪魔の囁きによる怠惰の罪のため、動かずにいる場合もあります。そこで神はお考えになったのです。10日間の期限を設けよう、と。迷宮内で斃れた者の魂を留める事は神にとって易い事です。しかし、その力に依存してしまうと、人は堕落してしまいます。期限を切り、ゴールを定めたのです。行動を促すために。ミア・オイルと10日間の期限は、同じ役割と言えますね」


 黙って聞いていたルカが切羽詰まった様子で口を挟んだ。


「だったら、そんなことのための期限なら、なんとか延長を……」

「なりません」


 先ほどまでとは打って変わり、低く、強く口調でダードが遮る。


「ことこの街において、迷宮の女神ダイアナ様の決めた事は絶対です。何人たりとも例外は許されません。さあ、お行きなさい。この薬を差し上げましょう。あと10日あります。あなたと、斃れた友人に女神のご加護があらんことを」


###


 ルカは肩を落として教会を後にした。しばらくとぼとぼと歩いていたが、ふと、手にした小瓶に目をやり立ち止まる。振りかぶってそれを投げつけようとして、やめた。悔しいのか、悲しいのか、自分でもわからない。たぶん両方だろう。ぎゅっとこぶしを握り締めて自分に耐えていると、後ろから声をかけられた。


「大丈夫ですか。たしか、救難依頼に見えた方ですよね」


 振り返ると、銀髪の少年が心配そうな目で見上げていた。年の頃は12、13歳くらいだろうか。ルカよりも少し年下に見えた。救難騎士団ガーディアンの制服を身にまとい、腰にはカタナを下げている。


「ありがとうございます。騎士様。大丈夫――とは言えませんが、なんとかやってみます。お金が無いので。10日間しか無いので。失礼します」


 ルカが立ち去ろうとすると、少年は慌てた様子で言った。


「あのっ、もし僕で良ければ、話してくれませんか。立場上、手を貸すことはできませんが、何かお役に立つことを思いつくかもしれません」


 振り返ると、少年は歩を詰めて頷いた。ルカは少し嬉しかったが、同時に悲しくなった。どうしていつもこうなのだろう。


 どうして、ルカに力を貸そうとしてくれる人はみな、力のない人ばかりなのだろう。いつもそうだ。助けられるはずもないのに助けようとして、頑張ろうとしてくれる。あるいは、頑張ってくれる。その小さな力では何もならないのに。


 ルカも同じように力が無い。お金も、頭も無い。力のある人、お金のある人にとっては、肩に付いた糸くずを払い落とす程度の事が、ルカたちにはできない。その糸くずのために日々苦しみ、藻掻いている。


 この少年も、いいひとなのだろう。――でも。


 ルカは立ち去ろうとしたが、足が動かなかった。動けなかった。疲れ果てていて、どうしようもなくて、でも、誰かに話を聞いてもらいたい。その衝動に勝てなかったのだ。どうにもならない事を分かっていながらも、少年の勧めるまま小路の脇に横たわる丸太へと腰掛けた。


###


 故郷での暮らしはままならず、領主の家の奴隷として、日々言われるままに過酷な労働に耐えてきた。何度も逃げ出そうとしたが、その度に捕まって連れ戻された。手を貸してくれた仲間や、領主の使用人たち、そしてルカ自身も酷い折檻を受けた。皆、優しい人だった。優しい人ばかりが皆、苦しんでいた。


 だが先日、台所の火の番を任されていたユースフとルカが小火騒ぎを起こした。奴隷たちは消火作業へと追い立てられたが、皆の目に決意が漲った。小火を消さず、延焼させたのだ。たちまち屋敷は炎に包まれ、家人はもちろん、奴隷たちも命からがら逃げだした。


 どさくさにまぎれ、2人は手を取り合って国境を越えた。屋敷を全焼させた原因ともなれば、どんな処罰を受けるかわからない。とにかく遠くへ、遠くへと旅を続け、身分を問わずに一攫千金が狙えるという噂を聞いてこの女神の迷宮の街ラビリントスへと流れついた。


 ルカはもうくたくただった。普段は力強く、明るいユースフもそうだった。路銀もほとんど底をついていた。だが、迷宮に入ってマナ・ストーンと呼ばれる鉱石を持ちかえれば量に応じて換金してくれるという。なけなしのお金を迷宮管理ギルドへ支払い冒険者登録をすると、粗末な装備を携えて潜った。


「そこで、ミノタウロスに遭遇したんですね」


 ルカがそこまで話したところで、少年――、アルトが引き取った。


「騎士団にも連絡が入りました。ミノタウロスはかなり高レベルの魔物で、普通であれば迷宮の深層でしか遭遇しないはずなんです。それが、先日、第一階層で目撃され、被害が出た、と。僕たちはその原因を知りたいんです。覚えている限りの状況を教えていただけるとありがたいのですけど」


「ごめんなさい。私達、なにもかもが初めてで。わけも分からずに急に襲われて、ユースフに逃げろと言われて、それで……気を失ったらしくて。気が付いたら私は管理局ギルドへと運ばれていて、ユースフはおそらく……」


 ルカは語尾を濁して唇をかんだ。悲しくて、悔しかった。迷宮で命を失った者は、女神の加護により10日間の間、魂が迷宮内に縛されるという。その間に斃れた者の痕跡――身に着けていたものや身体の一部、を持ち帰り、教会にて蘇生の儀式を行えば、復活できるという。痕跡と、そして、お金さえあれば。


 ルカにはその双方が無かった。とにかく事情を話して相談しようと教会へ向かったが、小瓶を持たされ門前払いをされてしまったのだった。


「お気の毒です……。ルカさん、これからどうされるんですか。先ほど、『10日間しかない』とおっしゃっていましたけど、何かあてはあるのでしょうか」


「いえ。まったく。とにかく、もう一度迷宮へ潜るつもりです。冒険者に同行をお願いするお金もありませんので、とりあえずひとりで」


「それは危険すぎます。普段でもソロでの探索は危険なのに、今はミノタウロスの問題もあります。下手したらルカさんまで――」


 そこまで言って、アルトは言葉を切った。その翠の瞳は、掛け値なしでルカの事を心配してくれている瞳だった。これまで何度も見てきた類の瞳だった。ルカの胸がぎゅっとなる。


「ご心配ありがとうございます。でも、いいんです。大丈夫です。運よく痕跡を持ち帰れば2人でまた暮らせるでしょう。それが今の私が夢見る幸せなゴールです。そして、たとえ私も斃れる事があっても、それはそれでいいのです。どうしようもない私たちにとって、それもひとつのゴールなのかもしれませんから」


 ルカは微笑んでそう言った。心底そう思っていた。駄目なら、駄目でいい。最後に2人で旅ができただけで楽しかった。十分だ。ただ、悔しかった。アルトはかける言葉が見つからないのか、黙ったままだ。


「騎士様、大丈夫です。むざむざ斃れに行くわけではありません。4日間は体を休めながら、迷宮のことを勉強して、それから頑張ります。話を聞いてくれてありがとうございました。それじゃあ私、行きますね」


 アルトの返事を待たずにルカは立ち上がって歩き始めた。


――負けるものか


 ルカを突き動かしていたのは、怒りだった。ユースフを助けたいという思いはもちろんあるが、それ以上に、怒っていた。自分に、そして、この状況に。


 自分は弱い。弱くて、力が無い。そんな自分にユースフを、自分を助けられるのだろうか。ルカの一部はそう疑問を投げかけ、半ば諦めている。


――それでも、やるしかないんだ


 拳にぎゅっと力が入る。その手のひらの中に小瓶を握りこんでいるのに気が付いた。今度こそそれを投げ捨てようとして、そして、やめた。蝋の封を切って一気に飲み干す。


「ぷはー」


 ルカは空になった小瓶をバックパックへ押し込むと、迷宮の方角を見据えた。


「待っててね」


 誰に向けての言葉なのか、ルカはそう呟いた。その背中を、少年は心配そうに見つめていた。

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