一人カラオケ略してひとから!

長月そら葉

ソロから始まる

「~~~♪」

 咲月さつきは一人、鼻歌を歌いながら自転車を走らせていた。今日受けるべき大学の講義は全て終了し、友だちとの約束もアルバイトもない。

 彼女がそんな日に必ずと言って良いほど訪れる場所があった。自宅近くの小さなカラオケ店である。

「おや、今日も来たのかい?」

「おじさん、こんにちは!」

 店主である男性とは顔見知りだ。大学進学を機に一人暮らしを始めた咲月だが、家の近所にこの店があると知ってからは週3回は通い詰めている。だから、スタッフとも仲良くなってしまった。

「こんな小さな店じゃなくて、町に出れば大きなカラオケもたくさんあるだろうに。咲月さんはいつも来てくれるね」

「ふふっ。だってこの店、最新機種すぐに入れてくれるでしょ? 最新の曲も入るの早いし、安いし。わたしの穴場だよ」

 そんな会話を交わし、いつもの個室に入る。店の一番奥の狭い部屋、それが咲月の「いつもの場所」だった。


「さて、今日は何から歌おうかな?」

 カラオケの選曲機を操作し、いつも最初に歌う曲を選択する。これだけは外せない、咲月の十八番おはこと言えるアニメソングだ。

 イントロが流れれば、そこは咲月の世界。ソロコンサート会場だ。


「歌った歌った♪」

 10曲目を歌い終わり、咲月は持って来たジュースを飲む。流石に喉が渇いたのだ。

 スマホの時計を見れば、そろそろ帰って夕食の準備をしなくてはいけない時間帯だった。毎回フリータイムにしているが、今日は帰ろうか。

 そう思って荷物をまとめ出した時、ふと隣の部屋の歌声が聞こえてきた。

「……え?」

 思わず、体が硬直した。そして、集中した。それくらい、良い歌声だった。

 選曲は、最近流行りのJ-popだ。テレビの音楽番組で見ることの多い、女性アイドルの最新曲。

 しかもその声は、男性のアルトだ。ソプラノで歌われるその曲を、アルトの声で歌いこなしている。聞き惚れていた咲月は、はっと我に返ってそそくさと逃げるように店を出た。

「なにあれ、なにあれ! すっごくいい声!」

 走っているせいか、それとも別の理由があってか。咲月の胸は高鳴っていた。




 翌日。講義終了と同時に咲月は大学を飛び出した。

 あの歌声の主を、店主に確かめるためだ。あの店には個室が5つしかない。客商売でもあるのだから、あの時間に入っていた客の顔くらいは覚えているだろう。

「おじさん!」

「うわっ。……どうしたの、咲月さん。そんなに慌てて」

 ぜーぜーと荒い息を吐く咲月に、店主は驚きを隠せなかった。しかし、咲月にとってはそんなことはどうでもいい。

 カウンターに身を乗り出し、店主に尋ねた。

「あの、昨日わたしが入った後、隣の部屋には行った人って誰? すっごく良い声だったの!」

「え~……個人情報だから教えられません!」

「駄目かぁ」

 撃沈し、咲月は崩れ落ちる。がっくりと残念がる咲月を不憫に思ったのか、店主は「これだけ教えてあげるよ」と嘆息した。

「あの人、毎週水曜日の夕方だけ来るんだよ。そして、一時間だけ歌ったら帰るんだ。……これでいい?」

「いい! ありがとう!」

 ぱっと顔を輝かせた咲月は、木曜日であったその日も1時間ぶっ続けで歌って帰った。


 翌週木曜日。少しだけいつもより遅い時間にカラオケ店を訪れた咲月は、自分の前にカウンターで手続きをする青年を見付けた。

 180cmはありそうな長身で、Tシャツにデニムパンツといういで立ちの彼は、短い会話の後であの個室に入っていった。彼が何者か知りたかったが、咲月は先にスタッフ相手に手続きを済ませる。

 青年の隣の部屋に入り、機械を操作しながら聞き耳を立てる。すると、青年の歌声が聞こえてきた。今日は咲月も好きなアニソンが選ばれ、それも見事に歌い上げていたのだ。

「素敵だなぁ……」

 思わず聞き惚れていた咲月は、頭をぶんぶんと振って自分の選曲に入る。そして無意識に、彼と同じ曲を選択した。

「あっ」

 気付いた時にはイントロが始まり、歌わないという選択肢はなくなっていた。

(しまったぁ~)

 頭を抱えたくなりながらも歌い切った咲月は、そっと見えもしない隣室を窺う。しかし、向こうは向こうで歌っていたようでほっとした。

「そうだよね。わたしのことなんて知るはずないんだから、気になんてしないよね」

 ちょっぴり残念な気持ちを抱えつつ、咲月は1時間歌いまくった。


 タイムリミットが来て、受付に戻る。すると、なんとあの青年も咲月の後ろに並ぶではないか。

 胸の高鳴りを押さえつつ、きちんと代金を支払う。そして、ソファーで青年がお金を払うのを待ってから、その背中に話しかけた。

「あのっ―――」

「はい?」

 決死の覚悟は、きちんと相手に届いた。顔を真っ赤にして、咲月は言う。

「歌声、とっても綺麗でした! 聞き惚れました!」

「……!」

 驚きを隠せない青年の顔を見られず、咲月は顔を下に向けてしまった。そして、ドキドキと早鐘を打つ胸を押さえ、少しだけ顔を上げてはにかんだ。


 恋ともまだ言えない、淡い憧れ。全ては、ソロカラオケから始まった。

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