単独飛行
いちご
第1話
ついにこの日が来た。
退屈な座学だけでなく厳しい飛行訓練を繰り返し、仲間たちと隊列を組みながらお互いにぶつからないで飛べる距離を学び、その日の風向きや天候を読む勘を養い、教官に叱り飛ばされ、人格否定までされたあの日々が――ようやく終わる。
「準備は良いか?」
なんにもない広い屋上の端で教官がこちらを向く。
顔の右半分に火傷の痕がある教官をみんな怖いとか気持ち悪いとか言っていたけれど、あたしはとても嫌いにはなれなかった。
一番厳しくて、一番ひどい言葉で罵倒されたけど。
それはあたしたちのことを真剣に考えてくれていたからだって知っているから。
「はい。今まで本当にありがとうございました」
深々と頭を下げたあたしをどんな顔で見ているのか分からないけど、愉快な気持ちではないだろうということくらいは分かる。
「無事に任務を遂行してまいります」
真っ白な制服を着て初めてする敬礼。
教官は渋面のまま頷いた。
「そんな顔しないでくださいよ。教え子の門出ですよ?」
どうせなら笑顔で送り出して欲しい。
だけど苦難を乗り越え、生きて戻ってきてしまった教官には難しいお願いなんだろうな。
でもやっぱり最期くらいは教官の笑った顔を見てみたい。
「あたし落ちこぼれだったから、途中ではじかれて不用品として処分されるんだろうなって思ってたんですけどね」
「……俺も、だ」
「あれ?ひどい」
「なにをやらせても覚えが悪くて、不器用で、どうやって教えようかと苦悩の日々だったが」
教官は言葉を切ってはるか遠くにある空と陸の境界へと目をやった。
そこにはくっきりとした切れ目があり、ぽっかりと暗い世界が微かに見えている。
「出来の悪い奴ほど生き残っちまう」
「だめですか?」
「駄目だ」
お前は俺のようにはなるなと硬い横顔が告げていた。
「できればあたし生きてもう一度教官と会いたいですけどね」
その時は五体満足とは言えないだろうけど。
それでもなにかしら次に続く子たちに教えられるものがあると思うし、教官の孤独に寄り添えるかもしれないじゃないか。
もしかしたら憐れみをくれたりとか、少しは特別な気持ちを向けてくれたりとかあったりとかさ。
少しは夢見てもいいじゃない?
そうでなきゃ怖くて泣き叫びそうだ。
みんなどんな気持ちでここから飛び立って行ったんだろう。
「任務は覚えてるな?」
「覚えてますよ。さすがにそこまでおバカじゃありません」
ポケットから増幅器を取り出して見せる。それは小さな卵型をしていて持っているだけで魔力を高めてくれる優れものだ。
「あたし魔力だけはいっぱいありますから。少しはお役に立てると思います」
「……そうだな」
落ちこぼれだったあたしがなんとか落第せずに卒業できたのは魔力量が普通の子よりだいぶ多かったからでもある。
利用価値があるって思えてもらえてよかった。
こうして教官に見送ってもらえるんだから。
「では行ってまいります!」
「華々しく散ってこい。ここで見ていてやるから」
「はい!」
どこまでも白く透き通っている空を仰いで息を吸い込む。胸いっぱいまで空気を入れて背中の翼を広げ屋上の固い床を蹴り飛び出した。
一度だけ教官の上を旋回してから目的地へと向かう。
びゅうびゅうと風を切り、全速力で飛び続ければ仲間たちが鉄の塊を相手に苦戦しているのが見えてくる。
座学で習ったけれど実際に見るのは初めてだ。
鈍い色で固いのにどうしてあんなに速く動けるのか不思議だけれど、長くは飛び続けられないのかある程度交戦した後は撤退するので持久戦に持ち込めばなんとかいけるらしいんだけど。
根本的な解決にはならない。
「あれを塞がないと」
空にできた切れ目からやって来るあいつらからあたしたちの世界を守れない。
そのための任務。
あたしの役目。
混戦している中をぶつからないように飛んで進む。
何度も飛行訓練したから距離感はばっちりだ。
だいじょうぶ。
ちゃんといっぱい寝たし、ちゃんとたくさん食べてきた。できるだけ魔力を使わないように生活してこの日のために備えてきたから。
「あたしが」
終わらせるんだ。
落ちこぼれが世界を救うなんて素敵じゃない?
さあ、行こう。
たった独りで切れ目に飛び込み、増幅器を使って魔力を最大限に出力させれば。
光が満ちて。
やがて静寂が訪れる。
単独飛行 いちご @151A
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