ソロリスト

七四六明

ソロリスト

 まるで、砂糖に群がるアリだ。

 もしくは、光に集まる蛾か。


 例えとしては後者の方が近いかもしれないが、実際、どちらが正当な表現であろうとも関係はなく、どちらであろうとこれからする事は変わらない。


 例え砂糖に群がるアリだろうと、そこがアリジゴクの巣と知れば避けよう。

 光に集まる蛾であろうと、そこに蜘蛛が巣を張っていれば、多少は距離を取るくらいはしよう。


 自分はまさしく彼らにとってのアリジゴクであり、蜘蛛である。

 人間である彼らにとっては、抛られた爆弾ないし手榴弾と言ったところか。

 危険と知れば逃げ惑う。侮り、近寄ろうものなら傷つけ、時に殺す。自分は、そう言った武器であると自覚していた。


 そう、自分はテロリスト。

 ただし向かう戦場には、弾薬もなければ兵糧もない。武器もなければ、戦車の一台もありはせず、命の一つも奪えない。

 奪うは心。殺すは自信。武器はこの、神の手と讃えられ、謳われし細指の両手。


 周囲が自分に気付き、散開する。

 先に戦線へと出立し、斥候を務めていた名も知らぬ青年がそそくさと撤退していく。

 備え付けられているレンズを下に向け、自分の姿を公共の録画映像に残すまいとした行動が、周囲で隠し撮りしようとしていた者達の戦意を削いだ。


 名前、素性は公表していない。顔と技量だけが知られている。

 初めはどこの家電量販店だったか。ともかく、某家電量販店の電子オルガンから始めて、ピアノ、オルガンのある場所に前触れなく現れるテロリストとして、いつしか知られていた。


 だから、同じクラスの人達はもしかしたら知っているかもしれないけれど、クラスでも誰とも会話すらしない自分の事を、果たして認識しているクラスメイトなどいるかどうか。

 まぁ、いようがいまいが、やる事に変わりはない。

 譲られた席に座り、目の前の鍵盤を撫でる。


 幾人ものピアニストが触って来ただろう、漆黒の打弦楽器。

 ただ一つの鍵盤に指を落とすだけでも、聞こえて来る音色は人々を魅了するだろう。

 今の今までヘッドホンをしていたので、音は聞いていない。だが、見ればわかる。

 外に置かれて随分と年季が入っているようだが、調律は万全。清掃も隅々まで行き届いていて、ただの飾りでない事が見て取れる。


 だが果たして、このピアノが満足するような演奏を弾いた者は、果たして幾人か。

 鍵盤に触っただけなら千は下るまいが、果たして、指折り数えて足りるかどうか。

 そして、自分もまたその一人に数えられるかどうかは、この演奏次第。


「……」


 周囲の目が邪魔だ。

 ピアノの旋律が好きなのは自由だが、そうも好奇心をそそられ、興味をくすぐられた目で見られても困る。

 演奏とは本来聴かせるものであり、公然で行う演奏ともなれば猶更の事だが、テロリストにとっては、好奇心だけで向けられる視線が邪魔でしょうがない。

 今すぐその目を抉り、鼓膜を破ってやりたいが、残念ながらそんな権力もなければ、力もない。


 何せ、ソロリストなんて呼ばれるくらいだ。

 戦場は常に鍵盤の上。奏でる旋律の上。

 誰かに聴かせる演奏ではなく、自分一人が浸り、黄昏る世界を構築するために弾く。


 他人の評価などどうでもいい。

 むしろ邪魔だ。要らない。欲しくない。

 するなら勝手にすればいい。誹謗中傷も賛美の声も、こちらは聴かぬ。


 その分野で勝負したいわけではない。

 公の場でピアノを弾くのは、単に自宅にピアノがなくて、家電量販店では、店内では迷惑になるからと断られ続け、ついにブラックリストに載ってしまっているらしいから、仕方なくだ。

 学校だって、ピアノのある部屋が常に空いているわけではない。


 そんな時に、どうぞ弾いて下さいと置かれているストリートピアノに着目し、ストリートピアノのある場所を渡り歩いているわけだが。

 やはり顔を隠すべきなのだろうか。が、フードは邪魔だし暑いし、帽子も同様。面を被る手もあるが、返って目立つ気がしてやる気にならない。


 何より、周囲が注目するのは演奏の腕だ。その人そのものには興味がない。

 だから無駄に飾ると、無駄に注目を浴びる。それでは意味がない。

 自分はただ、弾きたいだけなのだから。


「……!」


 幕は開いた。

 ソロリストの中に観客はなく、旋律にいるのは自分とピアノだけ。

 拝聴する客はなく、招き入れてすらいない。ただ自分自身の世界を広げ、自分の世界に浸りたいというだけの自己満足。

 

 賛否も賛美も拒否も知らぬ。

 ただ自分は自分の世界を表現するため、全力でピアノと向き合うだけ。

 強いて言うならば、目の前のピアノこそ自分の曲を聴かせる相手であり、挑戦している唯一の相手。


 だからこそ、全力を賭して弾く。

 例え周囲から蔑まれようと関係ない。

 ただただ夢中になって、自分の中で混沌と蠢いていた世界の表現に没頭する。

 そこから生じる悦楽と快楽が、脳から生じさせる興奮物質アドレナリンに身を委ねて、指はより軽快に、爽快に弾む。


 曲が終わる頃には全身汗だくになっていて、走った事もないフルマラソンを走ったかのような疲労感が込み上げて、息苦しくて呼吸が荒くなる。

 だが、全力を出したという開放感が何物にも代えがたく、心地いい。

 周囲はそんな自分を呆然と見つめ、次にピアノを弾こうとしていた者達は自信を喪失したのかあるいは自分を気持ち悪く思ったのか、足早に去って行く。


 別に構わない。

 評価して欲しくて弾いたわけではない。

 千人が千人満足する演奏など、この世には存在しないのだから。


「いやいやいやぁ、素晴らしいねぇ」


 と、一人拍手してくる男の人がいた。

 言うまでもなく、知らない人だ。黒いサングラスに花柄のシャツと、南国リゾート地にでも遊びに来たかのような格好をした男が、わざとらしく大きな拍手を響かせてやって来る。


「ここ最近このピアノを弾いてる奴らの中で一番良かった! うん、実にいい!」

「……どうも」


 褒めてくれるのは嬉しいが、変な気分だ。

 早く帰りたい。汗だくになった体をシャワーで流して、それで――


「で、どうだった? 

「え……」

「自分自身の世界に閉じ籠って弾いてた感想さ。最初から最後まで、君は自分の世界に浸り切っていた。途中変わるのかと思えば、そのまま完走しちまった――いや、完奏しちまった。もったいない。実にもったいない。バレンタインチョコを貰っておきながら、封も空けずに捨てるような物だ。さては君、バレンタイン母親からしか貰った事、ないな?」


 矢継ぎ早に繰り出される言葉について行けない。

 が、言っている事は何となく理解出来る上、芯を的確に捉えられている気がしてならない。

 突如現れたアロハ男から、目が背けられない。


「そりゃおめぇ、自分の作品の一番のファンは自分さ。当然の事だ。だがおまえは、そこで完結しちまってる。そこで終わっちまってる。空しい事だ。寂しい事だ。自分で自分をぼっちですと断言して、何が楽しい。自暴自棄にも程がある」

「あなたは……一体何を――」

「なぁ青年。

「……演奏なら、今」

「いや、今のは演奏じゃない。。ここに俺がいた事も、周囲に観客がいる事もただの偶然。おまえにとっては、音楽室の後ろでバッハらの肖像画が並んでいるのと代わりないだろう。それじゃあつまらん。上手いだけで納得してどうする。面白いだけで納得してどうする」


 似たような言葉なら幾らでも聞いた気がした。

 だけど今思えば、それはすべて他人から他人に向けられている言葉で、自分に向けられたものではない。

 今、男は自分に向けて語り掛けている。

 熱を帯びた言葉で、汗を握った手で、誘っている。


「来いよ、ソロリスト。てめぇの演奏で、ピアノの業界をぶっ壊そうぜ」


 これ以上なく怪しげで、これ以上なく奇怪な男の誘い。

 普通は詐欺か何かと疑うべきなのだろう。いつもだったらそうしてた。

 だがこの時の自分に、その選択肢はなかった。


 何せ今の言葉を聞いて、自分が、自分が今弾いていたピアノが、喜んでいるように見えた。


「……」

「とりあえず、そこのマックで話そうぜ。コーヒーのSサイズとハンバーガーで良いだろ? 生憎と俺はケチなんだ、勘弁してくれ」


 同情したのか同調したのか。

 とにかく自分はこの日、この時、妙に自分の事を理解してくれる人に会って、ここから、人生を変える事になった。


 そういう意味ではこの日、この時、自分が行ったテロ活動は、成功していたのかもしれない。

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ソロリスト 七四六明 @mumei

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