アンサンブルはできないね

柳なつき

ソロとレジスタンス

 彼の背後に忍び寄り、その首筋に私はナイフを突きつける。

 椅子に座って作業をしていた彼は、動揺した様子もなく両手を挙げた。


「レジスタンスのかたですか」

「ご明察の通りだ。ウイルスの作成をやめてもらおうか」

「僕が作っているのは、人類を破滅させるウイルスではなく人類を進化させるミームです。レジスタンスのみなさまにも、再三、説明申し上げたはずなんですがね」


 広々とした地下室には、おそろしく高度な設備がそろっている。

 彼の座る、さまざまな機能を搭載したらしい椅子。無数のモニター。電気信号。

 まさしく、ウイルス作成基地だ。


 気になるものがあった。

 部屋の隅に立てかけられた、もう長年手入れさえもされていないと思えるチェロ。

 ……私も、かつて。バイオリンを、やっていた。


「無駄ですよ。僕の生命維持機能は別のところに移してありますから。いま僕の首を切り落としたとしても、僕は問題なく生きることができます」

「……人間を捨てたか」

「心外な! リスクの分散ですよ。僕は何としてでも僕の目的を果たさなければいけないのでね」


 その身体は、たしかに――すでに人間離れしている。首筋や腕は人間らしい肌を残すものの、機械に覆われている部分が多い。VRゴーグルで世界を見て、拡張ヘッドホンで音を聞いて、両手はパソコンの機能と同期しているようだった。

 もしかしたら心臓や頭蓋骨も金属で覆っているのかもしれない。代替心臓や代替脳で生きているのかもしれない。脳と身体をケーブルで繋いであるのかもしれない。


「もう一度だけ言ってやる。ウイルスの作成をただちに中止せよ」

「あなたたちレジスタンスがおっしゃるのは、僕の可愛い可愛いソロ・ミームのことですよね」

「ソロ・ウイルスだ。表現を間違えないでもらおうか」

「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ」


 彼は、ソロと名乗る、一般的には正体不明の人物。

 十年ほど前に、颯爽と世界にあらわれて。それから驚くべきペースで、世界に影響を及ぼし続けている。




 ソロ行動、最高です。


 ソロと名乗る彼は、最初はプロフィールにそう書いていたらしい。ある日SNSを始めたソロは、またたく間にフォロワーを増やしていった。

 初期の人気コンテンツは、自身のいわゆるソロ充活動――つまりひとりで楽しく過ごす時間をシェアする動画だった。ソロ映画。ソロカラオケ。ソロファミレス。ソロ焼き肉。ソロ寿司。ソロ遊園地。

 ソロ活動をしている間は視聴者に語りかけることもなく、ただひとりで過ごす時間を淡々と映すだけ。だが見ているだけでとても楽しそうだと人気になった。ひと区切りつくと解説が入り、それがまたユーモアがあって面白いと人気になった。


 そして彼はやがて、常識の範疇を超えるようなソロ活動を始めた。ソロ進学、これは自分で学校を立ち上げて自分だけが生徒となり教師となり校長となる。ソロ就職、学校を企業にそのまま置き換えたパターンだ。ソロ恋愛、ひとりで恋愛相手を探しに行くのではなく、鏡のなかの自分とどうにか恋愛する。ソロ結婚、自分と結婚するのだ。

 すべての企画は無茶苦茶に思えたが、彼はひとつひとつ実現させていったのだった。

 初期の企画の単純明快さは失われ、意味不明と離れるファンもいた。だがそれ以上に、たったひとりでもここでもできる――そう気づいて感動し、勇気をもらったひとのほうが多かった。


 インターネットを通じた彼のそういった行動は、ひとりで生きる人間を増やすという目的なのだと社会の一部のひとびとが気づいたときには、後の祭りだった。

 ソロの投稿によってひとびとは、ひとりでも生きていけるという価値観を構築し、その信念を確かなものにし、ひとりで完結する生き方を好むようになった。極度に。


 しかし社会の一部のひとびとは、それではいけないとソロ対策を開始した。それが、レジスタンスである。

 研究すればするほどソロの行動は、緻密な計算と大量のデータに基づき、悪意と意図をもって行われていることがわかった。もはや、ソロ・ウイルスといっていい。レジスタンスのリーダーは、あるときそう結論づけた。


 レジスタンスはソロとの平和的話し合いを試みたが、ソロは一切応じず。

 それどころか、ソロ・ウイルスの作成のペースを急に上げてきた。


 ソロ生き。ソロ死に。

 それがいまのソロ活動のトレンドだ。

 ソロで生きて、ソロで死ぬ。そのためにはソロでも生きていけるよう、完全な生命体を目指さなければいけない。孤独もいらない他人もいらない。栄養も取らなくていいし呼吸もいらない。ただそこに在るだけで完成している。自分自身がすべての世界になる。宇宙になる。

 精神的にも生命的にも完全なるソロを目指す彼の活動は、社会の大多数のひとびとにいま受け入れられ、そして世界は――子孫を残さず、平和のうちに滅びようとしているのだ。




「僕には、わかりかねるんですよ。レジスタンスのみなさんが。いまだに他人とつるんでいるわけでしょう? ソロで生きたほうが良いに決まっているのに」

「あいにく私はそのような価値観を持たない」

「どうして?」

「他人がいるからこそ、喜びがあり、悲しみがあり、生きている甲斐がある。ソロ。貴様は、……アンサンブルをしたことがあるだろう」

「アンサンブル。ですか?」

「他人との合奏だ。いや、なんのことはない。ただ部屋の隅にチェロがあったから。私はよく、ともに育った弟のような大事な相手といっしょにアンサンブルをしていたよ。むかしバイオリンをやっていてね」


 彼は、すこし黙った。


「それがなにか?」

「ひとりきりではアンサンブルもできないのだなと思ってね」

「心のなかでアンサンブルをすることは可能ですよ」

「ではそのアンサンブルを私に聞かせてもらえないか」


 彼は、またしても黙った。

 都合が悪くなると、黙る。この癖。……やはり。


「……エイフィ。なぜ、ここまで狂ってしまったんだ」

「――えっ」

「私はエイフィのことを――」



 言葉が、それ以上、出てこなかった。



 ソロ、という名の彼が活動し始めたときから気づいていた。

 彼はエイフィであると。

 私よりふたつ年下で。私たちを親としてとっても可愛がってくれた先生の施設で家族として、姉弟きょうだいみたいに、……でも姉弟と言いきるには少し甘酸っぱく過ごしたあのエイフィである、と。


 途中まではよかったのだ。

 彼は人生で楽しみを見つけたのだと嬉しく思っていた。

 ただ、途中からはどうも様子が違って。私は、レジスタンスに飛び込んだのだ。ソロに会うには、一番確実な道だった。

 凶器の扱い方や戦闘、心理術や盗聴術や暗号、とにかくありとあらゆる技術を身につけないとレジスタンスでは一人前として認めてもらえない。一人前でなければソロの本拠地に赴くこともできなかった。私は努力し続けて、今日ようやく彼に会えた。




「もしかして。ルル姉?」


 エイフィはゴーグルを取った。

 その顔は、十年ぶん大人になった、でもたしかに私の知るエイフィだった。意思が強くて、そのくせどこか不思議とあどけない。


「ううん、うそだ。ルル姉はあの日死んだんだ。この国のやつらの正義に殺されて」

「……そうね」


 私たちを優しく育ててくれた、私たちの親である、先生。

 先生が隣国にとって政治的に邪魔な存在だったなんて、小さかった私たちが知るわけもなかった。


 隣国、……いま私がレジスタンスをやっている国、そしてソロがいま滅ぼそうとしている国は、むかしから絆を大事にする文化があった。

 先生を排除することも、民意で決まったのだ。みんなで先生を殺すと決めたのだ。

 そこには彼らなりの正義があった。

 だから。彼らはあんなにも、先生をむごく殺せた。


 たとえ血のつながりはなくとも、先生の子どもである私やほかの子どもたちにも、言うもおぞましいことをして、……やがて彼らは満足して、私たちをいっしょくたに網で動けないようにして、こう言ったのだ。


 これが、絆だよ。

 絆っていうのは、もともとは動物を繋ぐ網だったんだ。

 みんなで仲よく死ぬことができるから、怖くないね?

 絆っていうのは素晴らしいものなんだよ。



 そして、火をつけた――。



 私は、あの日。

 エイフィを逃がしたのだった。


「ルル姉のわけがないじゃないか。僕の大好きなルル姉は死んだんだ。これはあいつらの罠だ。僕は負けないぞ。絶対にこの国の人間を根絶やしにしてやる――」

「エイフィ、きっと見ていたのよね。私たちが燃やされていったのを」


 彼の肩が、大きく、びくんと動いた。……人間を半分捨てかけているはずの彼の肩が。


「私はけっきょく死ななかったの。運がよくてね……ひどい火傷を負ったけど、隣国、……ここのことよね、この国の児童保護活動家が助けてくれた」

「ほかのみんなは」

「そのまま、燃えて死んだ」

「なんだよ、それ、やっぱり、けっきょく」


 私も、彼も。

 レジスタンスのメンバーと、ソロではなく。

 ルルとエイフィとして、……いま、話していた。実に十年以上ぶりに。


「許してないわ。ただ、助けてくれたひともいたのは、ほんとうよ。だからねエイフィ。私とみんなのために、ここまでしてくれたこと嬉しかった。でもやっぱり、この国を滅ぼしてしまってはいけない」

「ルル姉はけっきょくそうか、……寝返ったのか」


 そう吐き捨てたエイフィに抱きつきたかったけれど――十年という時間と、それ以上の隔たりが、そうすることを許してくれなかった。

 私はだから、距離をとったまま。

 ただ彼に、言いたかったことを。……私がすべてを賭けてでも彼に伝えたかったことを、伝える。


「エイフィ。ずっと、ひとりにしてしまって、ごめんなさい」

「これだから他人という存在は嫌なんだ」


 エイフィは、つぶやくように言った。


「ひとりだけなら。こんな苦しみも、存在しないのに」



 ソロという名のエイフィが、ゴーグルをつけたまま泣き終わるのを。

 私はじっと待っていた――エイフィの嗚咽と私の孤独が合わさって、この部屋に奇妙なアンサンブルをつくっていた。

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アンサンブルはできないね 柳なつき @natsuki0710

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