見習い女騎士が、異世界転生してきた勇者に恩を受けてどうにかお仕えしようと頑張った話。

龍宝

『騎士の本懐』




 乾杯の声が上がる。


 葡萄酒の入った杯を傾けながら、ノエル・ブレターニッツはそれを遠巻きに見ていた。


 王国を長らく脅かしていた魔王と、その麾下の魔族軍団の壊滅を受けて、王都は上から下まで大騒ぎである。


 王都駐屯騎士団の兵営も、例外ではなかった。




「——なーに、しけた顔してんのさ。こんなめでたい日に」


「ヘルガ。……いや、楽しんでるよ。これで、王国に平和が訪れるんだからね」




 兵舎食堂の隅に居たノエルの傍へ、黒髪の女が腰掛けた。


 同期のヘルガ・キッシェである。




「平和。そうさな、平和だ」




 手前の卓に置かれた肉料理を引き寄せて切り分けつつ、ヘルガがノエルを見遣った。




「つっても、呑気に飲み食いしてられる身分かって言われりゃあ――まァ、微妙だわな」




 葡萄酒を流し込んで、ヘルガが肩を竦めた。




「平和になるってことは、つまりが帰ってくるってことと大差ねェ。そうなりゃ、あたしらみたいな戦時編成のにわか騎士がどうなるかは、普段の貴族様の態度を見てりゃ、馬鹿でも分かりそうな話だ」




 半ば諦めていたこともあって、ノエルは黙って頷く。




「そんで、あんたはなにを悩んでんだ?」


「悩み、というほどじゃないけど。——勇者様のこと」


「——出たよ! 勇者様、勇者様。あんたも飽きんな」




 くつくつと笑ったヘルガに、ノエルは一にらみくれた。




「悪かった。怒るなよ。勇者様な。……今度の武功で、一挙に国の英雄だ。まァ、さぞかし重要な役職にお就きあそばすだろうよ」


「そう。……益々ますます、遠くなっていくなって」


「何を、今更な話じゃねェか。あたしらは平民出の騎士見習いで、向こうは貴族連中すら口出しできん尊いお方だぞ」


「分かってる。でも、わたしには……返さなくちゃいけない恩があるから」




 ノエルが、騎士団に入ってまだ間もない頃である。


 ある日、ノエルは兵舎の食堂で係の者から余ったパンや干し肉を譲って貰っていた。


 兵舎で出される食事は非常に簡素であるとして、貴族出身者ならばそれぞれの邸宅に帰って済ませるのが当然だったのである。


 自分は貧しい平民の出で、王都城外の町には腹を空かせた幼い妹たち。


 食堂担当の士官も、そんな姿を気の毒に思ってか、黙認という状態だったのだが、偶然貴族出身者の一人、アルベルト・デューラーに見つかってしまったのが運の尽きだった。


 デューラー家は、王国貴族の中でも名門中の名門である。


 その男が、「残飯漁りとは、いかにも卑しい平民のやることだ」と言って、ノエルを騎士団にふさわしくないがために追放処分にしようと声高に主張したのである。


 取り巻きが賛同し、その場の収拾がつかなくなった時である。


 視察に来たらしい勇者が、どこかで話を聞いていたのか「家族思いの良い子ではないか。恥じることはない。私にも覚えがある」と、ノエルを気遣ったのだ。


 加えて、動揺するアルベルトたちに、「貧しい者を生かすために尽くす者こそが騎士である」として、これ以降の騒ぎ立て一切を禁じた。


 そのおかげで、ノエルは多少の嫌がらせを受けつつも、今日まで騎士の端くれとしてやってこれたのである。


 妹たちも、飢えさせずに済んだ。




「——だから、必死に鍛えてきた。ご恩返しができなくても、せめて、お仕えできればって。騎士なんかじゃなくて、従者としてでも、何か」




 三年も前の出来事である。


 日々忙しく働いている勇者は、もはや覚えていないだろうが――。


 それでも、ノエルにとっての生き方とは、それしかないのだ。




「……難儀なもんだな。勇者様の護衛は、どいつもこいつも名門子息揃いだ。高貴なる連中だけが座れる椅子さ。どんだけ腕が立とうが、一介の平民が招待状を貰えるわけもない」




 それも、今日までの話だった。


 強くなって魔王征伐の旅の供に、と思っていたが、自分は間に合わなかったのだ。




「高貴なる者、か……」




 努力では、埋まらない差がある。


 それは、分かっているつもりだった。




「どだい無理な話をあれこれ悩む前に、これでも食え」


「んぐ――⁉」




 顔を上げたところに、肉の切り身が詰め込まれる。


 ヘルガの気遣いだと分かって、ノエルはひとつ頷いて話題を切り替えた。









 夜も更けて、ノエルは部屋の外から聞こえる喧騒に目を覚ました。


 剣呑な雰囲気は、争いのそれだった。


 手早く装備を整えてから、愛馬にまたがって兵舎を飛び出す。


 王城に、火が回っていた。


 動揺を抑えられないまま、近くに待機していた部隊の陣地に駆け込む。




「何があったんです⁉」


「分からん! だが、どうも勇者様が叛乱を起こしたらしい! 王城の中から出すなと命令が出てる! ——あっ、おい!」




 皆まで聞かず、ノエルは駆け出していた。


 勇者が、叛乱だと。


 あり得ない。あり得るはずがない。


 疾駆する馬上に在って、ノエルには既に何が起きたか理解できていた。




「貴族めっ! わたしたちのみならず、勇者様まで用済みだというのか……‼」




 あるいは、王族も噛んでいるのかもしれない。


 急がなければ。


 王城の中は、どこも混乱している様子だった。



 内門に差し掛かった時、いきなり喚声が聞こえてきた。



 赤髪の女。勇者だ。囲まれている。






「——勇者様‼」






 槍を握り込んで、ノエルはまっすぐに突っ込んでいった。


 徒歩の兵を馬蹄で蹴散らして、勢いのまま指揮官と思しき騎士を叩き落す。


 孤立していた勇者の傍まで近付いて、その愛馬の手綱を駆けながら掴み取る。


 そのまま、反対側に馬をいていく形になった。




「君は――」


「ノエル・ブレターニッツです! こちらへ! 今は使われていない通用門があります!」




 非常時の部隊の配置は、頭に叩き込んである。


 強引に包囲を突破したノエルに続いて、勇者の仲間も駆けてきた。


 わずかに、数騎。


 救国の英雄に付き従うと決めたのは、それだけのようだった。




「待て! そいつ、信用できるのか⁉」


「そうよ! 騎士の風体じゃない!」




 後ろからの声に、振り返ることはできなかった。


 足を止める時間も惜しいのだ。


 それに、貴族相手に釈明など――。






「……いや、信じよう。ノエル、案内してくれ」



「——御意に!」





 勇者の自信に満ちた一喝に、誰より驚いたのはノエル自身だった。


 この危地に在って、自分のような小者を躊躇ためらうことなく信用するとは、英雄とはこういうものなのだろうか。






(……一命に代えても、このお方を脱出させねば――‼)






 手綱を握る手に力が入る。


 自分は今、あの勇者の馬を曳いているのだ。




「——ここです。まっすぐ行けば、騎士団の守備陣地の裏を取れます。後は、そのまま城外へ」




 古びた門の前で、ノエルは馬を止めた。


 黙って先行していった仲間をよそに、勇者が駒を寄せてくる。




「君もだ。ノエル」


「ここまで来るのに、城兵を蹴散らしての強行でした。場所が分かっている以上、すぐに追手が掛かります。誰かが、止めなければ」


「私が、殿しんがりに立てばいい」


「いけません。勇者様には、まだすべきことがあるはず。ここは、わたしの役目です」



「どうして、そこまで――!」




 初めて、勇者が声を荒げるところを見た。


 場違いにも、ノエルは一瞬そう思った。


 それが、どうにもおかしくて、笑みを浮かべて勇者に敬礼を取る。




「わたしは、あなたにお仕えするのが夢でした。ずっと……こうして、殿しんがりの栄誉をたまわっただけで、十分です」




 それだけ言って、ノエルは馬首を返した。


 動く気配のない勇者に向かって、前を向いたまま叫ぶ。




「さァ、行ってください! ここから先は、何人たりとも通しません!」




 横一文字に、槍を構えた。


 遠くに、敵兵の姿が見える。


 それでも、勇者は動かない。




「勇者様! 早く――」






「——妹は、どこだ、ノエル?」






 心臓が、飛び跳ねた。


 身体の奥から、どうしてか震えがくる。




「せめて、君の妹にまで累を及ぼす不義はすまい。私が、命を懸けて保護する。教えてくれ。パンを待つ妹は、今どこにいる?」




 頬を、熱いものが流れていくのが分かった。


 震えが、身体中を駆け巡る。






(——覚えて、いてくださった)






 それだけで、満足だった。


 勇者のような尊い人物には、下賤な自分はもう一生関われないのだと。


 ずっと、ずっとそう思っていたのに――。




「……今は、西へ行った先にある、トイブルグの町に」


「分かった。必ず、守ってみせる」




 ひづめの音。


 勇者が、馬首を巡らせたのが背中越しに伝わってきた。






「済まない、ノエル。——ここを、任せた」



「……ッ‼ はい、勇者様——‼」






 任せた、と。


 その一言が、たまらなく嬉しかった。


 最期に、自分を臣下と見てくれるのなら――。






「——見ろ、反逆者が逃げる! 殺せ! 逃がすな!」




 追手は、よく知った顔だ。




「……アルベルト・デューラー!」



「なっ⁉ ブレターニッツ平民⁉ ――貴様、裏切ったな‼ 構わん、奴も殺せ!」








「わたしは、勇者様の騎士、ノエル・ブレターニッツ! 一騎打ち所望!」








 愛馬のいななき。槍を振り回して、駆け出した。


 前を遮ってくる歩兵を突き倒す。アルベルトは、それだけで悲鳴を上げた。


 護衛の騎士が二騎、打ち合い、叩き落す。


 夜陰に、何かが光った。風切り音。




 どっ――。




 衝撃は、ず左腕に受けた。


 続けざまに、五、六、七——十を超えて、身体中に痛みが走る。


 蹴散らした敵兵の余白を埋めるように、弩兵の隊列があった。



 首と、胸の二本。血が噴き出している。



 長くは持つまい。


 崩れそうになる身体を叱咤して、ノエルは槍を投げ付けた。


 同時に、愛馬も矢を受けて倒れ込む。



 地面に転がったノエルの視界の中で、確かにアルベルトの胸を槍が貫き通すのが見えた。



 倒れ込んで夜空を見上げたまま、ノエルは涙ながらに微笑んだ。



 空。



 王城の大火で、赤く染まっている。




(あの人の、髪のようだ……)




 喧騒の中で、ノエルは意識を手放した。








 歴史家、イブン・ナシールは、自著『王国興亡記』の末文をこうつづっている。


 曰く、後に王国との内戦に勝利して建国の祖となった勇者は、最も功績のあった四人の臣下について問われ、他の将軍たちを差し置いて、騎士ノエル・ブレターニッツを第一等に挙げたという。


 ために、新都の勇者像の傍らには、今も若き騎士の像が仕えている、と。




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見習い女騎士が、異世界転生してきた勇者に恩を受けてどうにかお仕えしようと頑張った話。 龍宝 @longbao

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