尊いボタン

棚霧書生

尊いボタン

 パルアの希望で青星とも呼ばれる惑星、チキュウにやってきたが、ここには妙な習慣があるようで誰もが小型タブレットを携帯している。それを持っていないと建物にも入れないし、買い物もできないらしい。

 入星審査を済ませた後、宇宙観光課で貸し出しをしている小型タブレット、スマホなるものを渡された。画面は小さいのに視覚情報を網膜に映す機能がついていないので直接画面を見なければならず、とても不便極まりない。

「パルアはなんでこんな星に来たかったんだ?」

 博物館の休憩ソファで一人つぶやく。連れのパルアは少し離れた場所にあるガラスケースの中の展示品を興味深そうに眺めている。しばらくするとパルアは辺りを見回し、俺を見つけると小走りに近寄ってきた。

「ヤガタミってば、もう疲れちゃったの?」

「ああ、ちょっとな」

 本当は疲れたのではなく展示にあまり興味がないだけなのだが、そのことを博物館を楽しんでいる様子のパルアに言う必要はないだろう。

「チキュウの紹介がたくさんあって面白いのに、座ってばかりじゃもったいないよ!」

「わかったよ……」

 パルアは俺の手を掴むと早く立て、というように引っ張ってくる。仕方なく重たい腰を上げるとパルアが嬉しそうに、こっちこっち、と言って迷いなく通路を進む。

 パルアに連れてこられた場所は展示物が置かれていない広い空間だった。壁には年表や解説ボードのようなものが貼り付けられている。そして、そこには俺たちが来る前からヒトが多く集まっていた。

「今からガイドツアーが始まるんだって。あの小さい旗みたいなのを持ってるのがガイドさんかな。楽しみだね!」

「ああ……」

「さっき親切な子にガイドツアーのこと教えてもらったんだ。ほら、あそこにいる子!」

 パルアが笑顔で手を振るとヒトの集団の中から髪の長い一人が手を振り返してきた。いつの間に仲良くなったのだろう。パルアのコミュニケーション能力の高さには驚かされる。

「ガイドツアーはわかったけどよ、なんでここに集まってる奴らは皆、同じ服を着てるんだ?」

「学校の制服だよ。ヤガタミは知らない? 同じ年頃の子どもが集まって勉強する施設が学校、その学校に通うヒトが着用するのが制服」

 知らねーよ、と面倒だったのでおざなりな返事をしてしまう。すると、もっと興味持ってよ! とパルアに文句を言われた。俺はチキュウに来たいとも思ってなかったんだから、無茶言うなよと思ったし、ちょっとパルアにムカついた。俺が黙り込み、パルアとの間に微妙な空気が流れるかと思ったそのとき、ちょうどガイドツアーが開始した。

「皆さま、チキュウ博物館へようこそお越しくださいました!」

 甲高い声でハキハキ喋るガイドはゲストへの挨拶を簡単に済ますとチキュウについて語り出す。チキュウの誕生から、主な国と歴史、チキュウに住むヒトについて。パルアは真剣にうんうんと頷きながら話を聞いている。熱心なものだ。制服を着た奴らなぞ退屈そうによそ見をしたり、仲間と小声で喋ったりしているぞ。

「では次に私たちの生活に密接に関わっているスマホについてです。皆さん、お手元にスマホはありますでしょうか」

 ガイドがこちらを見てスマホを出すように促してくる。一応、付き合っておかないと後でパルアになにを言われるかわかったものではないので、俺も観光課で貸してもらったスマホを手に持つ。制服集団も同じようにスマホを出した。どうやらスマホを持っていない奴はいないようだ。

「今回特別にお話するスマホの機能は“尊いボタン”です」

 ガイドの言葉にクスクスと小さな笑いが起こる。笑いの原因がなんなのか俺にはわからなかった。隣にいるパルアも首を傾げている。だが、制服の一人が、尊いボタンなんてみーんな知ってまーす、とおちゃらけた感じで言ったことで納得がいった。彼らにとっては、イチ足すイチはニです、といった当たり前のことを大の大人が真面目な顔をして人前で言ったようなものなのだろう。

「では、貴方に尊いボタンについて説明してもらいましょうか。今日はチキュウ外からのお客様もいらっしゃってますので、尊いボタンを知らない方にも伝わるよう丁寧にお願いしますね」

「えー、マジかよ」

 ガイドがおちゃらけた発言をした制服の一人にマイクを渡す。マイクを渡されたヒトは急なことに戸惑っていた様子だったが周囲からの声援もあり、やる気になったのか、一つ咳払いをすると尊いボタンについて解説を始めた。

「尊いボタンは、国が公式に提供してる国民アプリ、ワールドというのに搭載されている機能で、名前の通り尊いことを示すために使います」

 例えばですね、俺がこいつのことを尊いと思ってるとします、と言って彼は隣にいた人物を指差す。

「ワールドを開いて、こいつの名前を検索します。するとこいつのアカウントが出てきます。画面上部にフォローボタンと隣あって尊いボタンがあります。尊いボタンを押すと、こいつの尊いカウントがイチ増えます。こいつは自分が誰かに尊いと思われていることを数字で確認できるわけです」

 パチパチと拍手が起きた。解説をしていたヒトがちょっと頭を下げてから、ガイドにマイクを返す。その後もツアーは続き博物館の中をしばらく練り歩いた。


 ふんふふん、と上機嫌な鼻歌が助手席から聞こえてくる。横目で確認するとパルアが博物館のパンフレットを開いていた。楽しかったね、とパルアが口を開く。

「尊いボタンってやつ、ナニソレ! って感じだったね。面白そうだから僕もやってみたいなぁ」

「俺は恐ろしいと思ったけどな」

「えー、なんで? 尊いと思われてるのがわかるんだよ?」

「尊いカウントがゼロの奴もいるみたいだったろ。数値が低いことを気にする奴もいるだろうし、いいものだとは思えないね」

「まあ、確かに一年の初めに全員の尊いカウントがゼロに戻るとは聞いたけど、皆、尊いボタンを押す習慣が身についてるみたいだったし、カウントがゼロなんて一日や二日の話じゃないの?」

 パルアがあまりに純粋なので、俺は少し口ごもってしまう。

「俺、パルアが展示を見てる間に尊いボタンについてちょっと調べたんだけどよ、尊いカウントゼロはチキュウの社会問題になってるらしいぞ」

「そうなの?」

「尊いカウントゼロの奴は自殺率も高いし、一年以上カウントがゼロだった奴は心臓発作なんかを起こす確率が跳ね上がるんだそうだ」

「それってストレスとかが原因なのかな」

 パルアが暗い顔をして黙り込む。俺は伝えなくていいことを伝えてしまったことに気づき、慌てて話題を転換しようとした。が、悪いことは続くもので俺たちの車は突然、変な音を立て、止まってしまった。


「本当にありがとうございます」

「いえ、異星人の方に会えて私も嬉しいですから、ゆっくりしていってください」

 車が故障したときはどうなるものかと思ったが俺たちは通りすがりの親切なヒト、カナヤさんに車の復旧を手伝ってもらっただけでなく、日も暮れかかっているからと彼の家にお呼ばれすることになった。

 カナヤさんは山奥の大きな洋館に一人で住んでいた。部屋が余っているし話し相手になってほしいからと言って俺たち二人を招いたのは本当のことらしい。

「チキュウはどうですか?」

「楽しいです。昼間はチキュウ博物館に行ってきたんですけど、目新しいものばかりで退屈しません」

 夕食も済ませ、コーヒーという飲み物をいただきながらカナヤさんと談笑する。といっても主に喋るのはパルアの方だが。

「なにか、お二人の印象に残っているものはありますか?」

 カナヤさんの質問に一瞬、尊いボタンが頭をよぎったが、つまらないことになりそうだったので俺は制服と答えた。パルアも尊いボタンとは別のものを話題にする。

「とてもいい旅のようですね」

 パルアのお喋りをカナヤさんはニコニコと笑って聞いていた。しかし、穏やかなその表情がパルアのある一言によって曇る。

「カナヤさんのフルネー厶、教えてくださいよ。僕、尊いボタンっていうのを博物館で知って、自分でも試してみたかったんです」

 カナヤさんは困ったような顔をした。パルアもそのことにすぐに気づき、謝罪の言葉を述べる。

「あの、ごめんなさい。僕、なにか失礼なことを……」

「いえ、そんなことはありません。ただ異星人の方に貸し出されるスマホはワールドに対応していませんので、そのお望みにはちょっと応えられません」

「え、そうだったんですか!」

 パルアは肩を落としたが、カナヤさんの尊いカウントは僕が押さなくても大きそうですね、と明るく言って話を終わりにした。しかし、パルアがトイレに立ったとき俺はカナヤさんが小さい声で、私のカウントはゼロですよ、とつぶやいたのが聞こえてしまった。

 翌朝、俺たちはサイレンの音で目を覚ました。カナヤさんが亡くなったらしい。死因は心臓発作。俺たちは突然のことに動揺したし、カナヤさんの死について俺たちが関与しているのではないかと疑いをかけられることを覚悟した。だが、そんなことはなかった。ヒトが死んだというのに異様なほどあっさりと俺たちは解放された。

 まだ滞在予定日数は残っていたがカナヤさんのこともあり、俺たちは早々にチキュウを去ることを決めた。

 俺とパルアだけが乗った小型宇宙船はシンと静まり返っていた。

「心臓発作かぁ」

 パルアがボソッと言う。カナヤさんの死に思うところがあるようだ。それは俺も同じで、俺はどうしてもカナヤさんの死は尊いボタンが関係しているような気がしていた。

 俺は観光課にスマホを返却するときに気になっていたことを聞いた。貸し出し用スマホはワールドに対応していないのか、と。答えは、否。つまり、俺たちのスマホでもカナヤさんの尊いボタンは押すことができたのだ。

 なぜカナヤさんがあんな嘘をついたのか俺には全くわからない。

「ヒトは俺たちには理解できないよ」

 俺はそう言ったがパルアからは肯定も否定も返ってはこなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

尊いボタン 棚霧書生 @katagiri_8

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ