岬にて
藤光
岬にて
岬には、強い風が吹いていた――。
東京から飛行機に乗って、一時間半。さらに、空港から乗ったバスに揺られること三時間。舗装の剥がれかけた道路を土煙を立てて行くうちに、ようやく、おれはカナン・フフラの地に足を踏み入れた。
なにもない土地だな。
どこまでも続く大地。広い空。波打つ草原。
なだらかな起伏が続く平原はやがて海へと落ち込んで、カナン・フフラは終わっていた。
だが、悪くない。思った以上に悪くない。
観光資源庁の担当者から打診されたときは、どうにもならない
複雑な権利関係のことは分からないが、この土地のもつ景観はすばらしい。思惑どおりのリゾート開発が進めば、都市から大勢の観光客が見込めるだろう。もちろん、景観以外の付加価値がそれにふさわしいものであればの話だが。
「さて、どうかな――冴羽?」
帯同してきたカメラマンの冴羽はバスを降りるとそのまま走り出して、あちこちにレンズを向けてはシャッターを切っている。いい傾向だ。今回はいい仕事ができそうだ。
カナン・フフラは、インフラ整備が遅れており、公共の交通機関がない。曲がりくねった道は、未舗装で自動車も入れない。デベロッパーはおれたちに案内人兼運び屋を手配していた。
運び屋は、浅黒い肌をもった初老の小男で、おれたち2人分の荷物をひとりで運ぶようだった。いぶかしむおれたちの前で男は、山と積まれた荷物をひょいひょいと両肩に載せると、揺るぎない足取りで岩だらけの道を歩きはじめた。
汗止めのタオルを巻いた頭に数本の突起――“角”が見える。
「キ族だったのか。どうりで」
キ族は闇の眷属である。
カナン・フフラを根拠地に世界各地に出没し、魔獣を操って、作物や家畜を略奪して女子供を拐かすなど、長年にわたってわれわれを苦しめてきた。その国が滅びた後、彼らは人間社会に溶け込むようにし生きのびている。
キ族は、人と比べて長命で、腕力も非常に強い。しかし、知能は劣っており、人と同じように知的作業をこなすことはできず、単純労働に従事していることが多い。
「お前はここで暮らしているのか」
「……そうです」
くぐもって聞き取りにくい声だった。おれと目を合わせず、まっすぐ前を見たままだ。
「ここに観光客はやってくるのか」
「こない……いや、来ません」
敵意とはいえないまでも、抑揚の欠けた言葉には厚い感情の壁を感じる。もっともキ族に人間らしい感情があればの話だが。
「名前はあるんだろう」
「……ザムザ」
「ザムザか。高城だ」
ザムザからの返事はなかった。
黙々と道を歩きつづける。
どこまでも続く緑の草原を縫うようにして続く道は、大小の石や岩が転がる干上がった川のようだつた。
「手つかずの自然っていうの。歩くだけでも大変だけど、ここは素晴らしいところだね」
冴羽は、よほどここが気に入ったとみえて、一瞬たりともシャッターチャンスを逃すまいと、さっきから手にカメラを持ったままだ。手つかず……か。
「なんで、こんなきれいな場所がいままで開発されてこなかったんだろう。とっくにリゾート開発されてて、よさそうなもんだ」
「お前、ほんとに知らないみたいだな」
「えっ、なにが?」
不思議そうな顔で振り返る冴羽に、知っている限りのことを説明してやった。
ここ――カナン・フフラは、魔獣とかれらを操っていたキ族の根拠地だった。われわれ人類は有史以来、魔獣におびえて暮らしてきたが、すべての元凶はここと、ここに住むキ族にあった。あらゆる人間にとって憎悪と禁忌の土地。それが、カナン・フフラだ。
魔獣とキ族の側に傾きっぱなしだった運命の天秤が、18世紀末に始まる産業革命で人類の側へと逆転した。地球上のあらゆる場所で、近代兵器を手にした人類が魔獣とキ族を駆逐していき、ついには根拠地、カナン・フフラに追い詰めたのが、20世紀半ばのことだ。そして、ある晴れた日の朝のこと――。
「アメリカとソ連の原子力潜水艦から、それぞれ発射された二発の核弾頭が、ここで炸裂した」
「……」
「地表のものは、すべてが一発目で燃え上がり、二発目で蒸発した。カナン・フフラが何もない土地なのは、当然なのさ。なにもかも、灰とがれきに
「それじゃ、放射能が?」
廃墟に亡霊を見つけ出そうするかのように、青ざめた顔で冴羽が周囲を見回した。
「もちろん汚染されたさ。だからだよ、カナン・フフラがいつまでも手つかずでいたというのは。じっさい残留放射能の影響は20年間でほぼ問題のないレベルにまで下がっていたようだけど。国はここを60年間立入禁止した」
一般人がカナン・フフラに立ち入ることができるようになったのは、ここ10年余りのことだ。
ここはどんな地図にも載っていない、忘れられた土地。亡国の徒、キ族の故地。
「キ族はどうしたんだ、高城さん。ここに住んでいた連中は」
「もちろん、やつらの国もろとも蒸発したさ。カナン・フフラはキ族の
おれたちは先導して歩くザムザの後姿を見つめた。
キ族は、カナン・フフラにばかり住んでいたわけではない。人間社会に溶け込み、人と共に暮らす者も少数ながら存在した。ザムザもそうして暮らしているはずだ。
3時間ばかり歩いただろうか。行く手に大きな門――鳥居のようにも見える――が現れた。風が潮の香りを運んでくる。門の向こうにひときわ高い丘陵が望める。やっとおれたちの目的地が近づいてきたようだ。
この門の先が、
門には、しめ縄に似た細い藁のロープが渡してあった。
その意味するところは明瞭だ。
ザムザが足をとめて言った。
「着きました」
「いや、まだだ。用があるのはこの先だ」
「……この先は
「それを決めるのは、お前じゃない」
おれはポケットから取り出したナイフで、藁のロープを切り捨てた。ザムザが、自身の首を切りつけられたかのように、小さいからだを折り曲げてうめき声をあげた。
――ゆるせない。
ふん、
この地の主人は、さいごの魔王が死んだ日から人間だ。すべては、人間が決定し、人間が利用する。決して、キ族ごときが口出ししていいはずがない。
しばらくの間、ザムザはひざまづくようにその場にたたずんでいたが、おれたちが丘を登り始めるのを見て、ふたたび歩き出した。
丘を登るにつれて、眺望が開いてゆく。背後には緑の大平原、左右と丘の向こうには大海原が広がっている。そして、抜けるように青い空の
「すごい景色だ。こんな場所があるなんて」
冴羽は、カメラを構えてひっきりなしにシャッターを切っている。
彼がいうように素晴らしい風景だ。これは金になる。金を払ってでも体験したくなる風景だ。手つかずの自然、素晴らしい眺望、敵を屈服させた記念碑としての
「そう遺跡だ。ドラマだ。ここを人類が魔獣とキ族の脅威に勝利した証として宣伝しよう。キ族たちが、人類からかすめとった莫大な財宝が、カナン・フフラの大地には眠っている――ということにすればいい」
「じっさいに発掘をしてみるのもいいですね」
「そうだ。そういうツアーがあってもいいな」
調査報告は、決まった。
リゾート開発は続行だ。
十分、いや十分以上に採算がとれる
見ると、運び屋のザムザは、首をうなだれ、足を引きずるようにして歩いている。
丘を登る道は傾斜を増し、視界はどんどん広がっていった。息をのむ景色がつづく。丘を登ること1時間。ついにおれたちはマスト・マフラの頂上にたどり着いた。
海に突き出た丘の先端は、360度さえぎるものがなにもない眺望が広がっていた。緑の大地と、青い海。そして、なにもかも覆い尽くす空だけが光景が、こうも人の胸を打つのはなぜだ。
「高城さん。あれは」
ひとつの椅子があった。
ひとつだけ大きな椅子が据えられている。ゆるぎなく大地から生えてきたように。
「魔王の玉座だ。マスト・マフラは、かつて繁栄をきわめたキ族の宮殿。あれは代々のキ族王『魔王』が座してきた玉座だ」
『玉座』に手をかけると、いささかも風化していない、なめらかな質感が伝わってきた。
「触れるな! なにものも犯してはならない禁忌だぞ!」
ザムザだった。生き残ったキ族は、大地にひざまづき、まるで懇願するかのように両手を掲げ、おれに訴えた。
「黙れ! それを決めるのは、おれだ」
ここは巨大な建造物の玉座の間だった。
カナン・フフラに住む、何万、何十万ものキ族が仰ぎみる至高の存在『魔王』の宮殿。
70年前、この直上500メートルの空中で、2個の原子爆弾が相次いで炸裂し、忌まわしい悪魔どもの文明のすべてが灰とがれきに還元された。唯一、この玉座を除いては。
「ドラマだ。申し分のない舞台だ」
「観光客が押し寄せますね。大もうけだ」
――ゆるせない。
玉座に腰を下ろす。ぴたりと肌に吸い付くような座り心地だ。目の前には、どこまでも続く緑の平原が見渡せる。かつては繁栄し、そして、いまは失われたキ族の大地が広がっている。
「あはは。こりゃいい。おれが魔王になった気分だぞ!」
――ゆるせないゆるせないゆるせ……。
泣くな、ザムザ。さいごのキ族王。
デベロッパーの担当部門から契約書は送らせる。お前はその拙い文字でサインするだけでいい。悪いようにはしない。お前の城は金を生む。
岬には、強い風が吹いている。
びょおびょおと、鬼の
岬にて 藤光 @gigan_280614
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