尊きもの、その影に

@owlet4242

尊きもの、その影に


 「尊い」という言葉がある。


 これは一般的に辞書に載っている方の言葉ではなく、いわゆるオタクやネット上のミームとしての「尊い」という言葉の方だ。

 つまりは、「自分があるものが大好きだと思う感情」、あるいは「あるものが取った行動などに対して好ましいと思う感情」このとである。


 では、そんなことを思っている私にとって「尊い」ものは何か。


 それは、このクラスの二大美少女である白梅咲と青葉若葉の二人の関係性に他ならない。


 私は、教室で廊下側の後方に位置する自分の席から、丁度対角線に位置する校庭側の席を眺める。果たして、そこに彼の美少女二人組の姿はあった。


 自分の席に慎ましく座る、黒絹のような艶やかな髪を流した深窓の令嬢とでも言うべき白梅さん。そんな彼女の机に寄りかかって、日に焼けて健康的なショートカットの少女、青葉さんが語りかける。二人の話す内容は他愛のないものだが、窓から入る木漏れ日の中で語らう二人の美少女というのはそれだけで既に「尊い」。


 しかも、彼女たちはただ、その表面的な部分が「尊い」訳ではない。彼女たちはその精神性においてもパーフェクトだ。


 白梅さんは元々体が弱く、あまり外で遊ぶようなタイプではなかったのだが、それを根気強く誘って外に連れ出したのが青葉さんだった。青葉さんと遊ぶようになった白梅さんはそれからめきめきと元気になって、今度は自分が青葉さんを助けるのだと、中学の頃から高校の今に至るまで部活のマネージャーとして陸上部のエースである青葉さんを支え続けているのだ。

 これを「尊い」と言わずして、何を「尊い」というのだろう。


 あまりの「尊さ」に思わず頬が弛みそうになるので、私は頬杖を付く形でじっと彼女たちを眺める。


 もちろん、彼女たちには気付かれないように細心の注意は払っている。「尊い」という感情には、「自分が近寄りがたい」という意味合いも多分に含まれている。ゆえに、そこに何かが介在するのは野暮というものであり、私の視線などを彼女たちに一瞬でも感じさせることがあるようなら、それは無粋の極みというものだ。

 だから、私は対策として定期的に何かを考えているように彼女たちから視線を逸らすし、机の上にはカモフラージュ用の小説まで置いてある。たまにページをめくって、いかにも読んでいますよといった空気も演出している。当然、中身など一切読んでないが。


「おーい、ショートホーム始めるぞ~、席につけ~」

「はーい」


 そんなことを考えているうちに、担任が教室にやって来て、朝の「尊い」二人の時間は終わってしまった。小さく手を振りあって別れる二人を見て残念に思うが、「なに、これからいくらでも見られるさ」と気を取り直して、私は担任の口から告げられるどうでもいい連絡を聞き流していたのだった。



◇◇◇



「おーし、これでホームルーム終わり、今日も1日お疲れさん」

「さよーならー!」


 あれから瞬く間にときは過ぎて放課後になった。間延びした挨拶を交わして、それぞれの目的地に向かう正との姿を眺めながら、私は今日の余韻に浸る。

 というのも、今日は昼ごはんのときに、青葉さんの頬についたご飯粒を白梅さんが指で摘まんで食べるというあまりにも「尊い」光景を見てしまったからだ。

 それ以来、腰が砕けたように私は自分の席から立てていない。移動教室の授業が午後になかったことは僥倖だった。


 しかし、そんな余韻もいよいよ抜けて、教室からは二人もいなくなった。二人のいない教室に意味などない。さぁ、そろそろ行こうかと立ち上がろうとしたその瞬間、ある男子生徒の口から聞き捨てならない言葉がこぼれるのを私は聞いた。


「俺、青葉さんに告ろうかなー」


 その言葉を聞いた瞬間、私は立ち上がるのを止めて、机の中を漁るふりをして聞き耳を立てた。


「え、マジで?」


 男子生徒の言葉に、周囲の友人たちが囃し立てる。


「うん、なんかさ、元から気になってたんだけど、今日の昼の白梅さんとのやり取り見てたらさ、ああいうおっちょこちょいなところもいいなって思って、ぐっと来たんだよね」


 照れくさそうに頭を掻く男子生徒に周囲は「いいじゃん、いいじゃん」と再び輪になって囃し立てる。


 ーーいいわけ無いだろこのクズ。


 私はあまりにも無神経なこの男子生徒に、脳髄が沸騰しそうなほどの怒りを覚えていた。


 あの二人は、あの二人でいるからこそ「尊い」んだよ。完璧なんだよ。それを部外者のお前が何割って入ろうとしてるんだよ。お前がいいと思ってた青葉さんを作ったのは白梅さんなんだよ。お前が来たら、お前が好きな青葉さんが変わってしまうのがわからないのか、この×××ピー野郎は。わからないから告白なんて考えるんだろうな、この本能だけで生きる原生生物め!


「それでさー、いつ告るんだよ」

「んー、二三日後かな? バイトの給料が入るから、それでプレゼントでも買おうと思ってるんだ」

「マジかー! 応援してるぜ!」


 二三日後か……私にお前を始末する猶予を与えてくれたこと、それだけはお前に感謝しなくちゃならないな。


 友人たちに肘で脇腹をつつかれたりしながら教室を出ていく男子生徒を横目で見送ると、私はゆっくりと席を立ち、彼の後を追った。


 奴の行動を把握して、告白前に消さなければ。


 暗い使命に燃えた私は、二人に気付かれないように磨いた気配を消す力を十分に使って男子生徒を見張る。


 確実にその命を奪うために。



◇◇◇



「よし、ここでいいな」


 住宅街のある道路で、私は電柱の影に潜んで男子生徒を待っていた。手には手袋がはめられ、中には細い金属ワイヤーが握られている。その先端は交差点の反対の壁に結びつけられている。


 私が取る作戦は単純だ。件の男子生徒はアルバイトにバイクで出勤している。ここはその帰り道に当たる道路だ。

 つまり、道路にワイヤーを張って転倒による自爆事故を装い、奴の排除を狙ったのだ。


「さぁ、来い。お前には消えてもらうぞ」


 そう呟いて、私は奴のバイクが通るのを今か今かと待った。奴のシフトはもう終わっているはずだから、後少しでここを通るはずだ。

 そんなことを考えていたとき、耳慣れた排気音が聞こえてきた。奴だ。奴のバイクの音に私の胸は高鳴った。

 電柱からちらりと身を出すと、確かに奴のバイクがこちらに走ってくる。


 ここで決める。


 再び電柱の影に隠れると、私は固い覚悟でワイヤーを握る。奴がここを通りすぎる瞬間に思い切りこいつを引っ張るのだ。それでおしまいだ。


 奴が迫る。心のなかでカウントを始める。


10.9.8……


 私は拳をぎゅっと握る。


5.4.3……


 少しワイヤーにテンションをかける。


1.0!


「それっ!」


 バイクの音が横切る直前、私は思い切りワイヤーを引いた。


 しかし、


「なっ!?」


 奴のバイクは車体を横滑りさせる急ブレーキをかけて、私が張ったのワイヤーの数センチ手前で止まった。


「やあ、こんばんは」


 呆気にとられて逃げるのを忘れた私の前で、男子生徒はバイクから降りる。


「……私がしかけることを知っていたのか」


 襲撃がバレていたことに内心焦りながら、努めて平静を装おうとする私に、奴は満面の笑みで頷いた。


「ああ、もちろん」

「どうやってだ? 少なくとも私はそんな素振りは見せなかった」


 そう言いきった私に、奴は首を左右に振ると再び満面の笑みを向ける。


「簡単だよ、それはね、僕は本当は君のファンなんだよ」

「……は?」


 時が止まった。


 一体、こいつは何を言ってるんだ?


「お前、一体何を……」


 混乱した思考がそのまま私の口から漏れたが、そんなことは全く気にしないという体で奴は言葉を続けた。


「僕は本当は青葉さんなんかどうでもいいんだ。僕が本当に好きなのは君だ。僕は君のことなら何でも知ってるよ。君が青葉さんを白梅さんとくっつけるために、小学校の頃に青葉さんが白梅さんを家まで遊びに誘いに行くように仕向けたことも。中学では席替えやクラス替えの度に担任を巻き込んで彼女たちが見える席を確保していたこと。そして、高校に入ってからは彼女たちに言い寄る男をこんな風に消していたことも、ね」


 一体、こいつは何を言ってるんだ?


 私の脳は先ほどと同じ言葉を反復する。


 しかし、奴が何を言っているかは理解できる。できるのだが、それを正しく認識することを私の脳が拒むのだ。


「…う、嘘だ」

「嘘じゃない」


 辛うじて絞り出した私の言葉は、やはり奴によって否定される。


「僕は君のことが好きだ。自分が生み出した『尊い』存在を眺めて、『尊い』と思っている君の横顔を、僕は何よりも『尊い』と思った。即物的な行為ではなく、精神的な好意で心を満たす君が好きだった」

「……」


 こいつは、本物だ。こいつは、私のことをよく見ているし、何なら私のことを私の親以上に理解している。同族だから分かる。分かってしまう。


 私が一歩後ずさると、奴は一歩こちらに進む。私たちの距離は変わらない


「でも、僕は君と比べたら精神がまだまだ未熟でね。『尊い』ものは手に入らないからこそ『尊い』。それでも僕は君が欲しくて堪らなかった」


 奴が一歩こちらに進む。私は下がる。


「だから、僕は君に降りてきて貰ったんだ。僕の手の届くところまで。あえてあんなことを目の前で言ってまで、ね。そして、君は僕の予想通りこんなに近くに君の意思で来てくれた」


 私は下が……れない。後ろは壁だ。路地だから当然だ。私がここを選んだ。選んでしまった。


 奴が一歩進む。その手には気がつけば血のように赤い薔薇の花束があった。


「『尊い』君、いや○○さん。僕の、僕だけのものになってくれるよね?」

「あ、ああ……」


 この時私は、信仰というものはどこまでも一方通行なものなのだということを、改めて認識させられたのだった。

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