生まれてきてくれてありがとう。
とりすけ
生まれてきてくれてありがとう。
大人になれば誰だって望めば母親になれると思ってた。
でも現実はそんなに甘くはなかった。
今年で30歳になる私は、産婦人科に来ていた。
「んー…大きくなってないねぇ。心拍も確認できない。今回も可愛そうだけど、諦めるしかないね。」
何度聞いただろうか。心拍が確認できない、成長が止まっている、残念だけど…。
テスターで妊娠マークが出てもエコー検査では確認されないまま生理を迎えるということもザラだった。
病院を出ると、生暖かい風が頬をなぞった。そういえばニュースで春一番が吹くとか言っていたっけ。私には未だ春が来ず、周りばかりが華やいで見える。焦ってもしょうがないことは分かっているが、焦燥感に駆られてしまう。
「ただいまー。」
「おかえりなさい。今日病院行ったんだけどね、駄目だった…。」
「そっか…。まぁ、そのうちできるって。焦らずに行こう?」
「焦らずにって、それ結婚してから4年も言い続けてるじゃん!私今年で30だよ?あと5年もしたら高齢出産とか言われるんだよ?もう少し私の気持ちも考えてよ!!」
理不尽な怒り方なのは自分でも分かっている。それでも夫に当たるしか私には出来なかった。泣き崩れる私を、夫は優しく抱きしめてくれた。
「ごめん。でも一緒にまた頑張ろう。な?」
「うん…うん…ありがとう。ごめんね。」
ー半年後ー
「…きた。」
テスターは妊娠を告げる2本線が浮き上がっていた。だがそこまでの喜びは無かった。
(…どうせまた心拍確認できないって言われるんだ。)
いつもなら焦って病院に行くのだが、診察代も馬鹿にならないし今回は少し待つことにした。
「どうだった?」
「線は出たよ。でも病院はもう少ししてから行くことにする。」
「…次行くとき、俺もついて行ってもいいかな?」
「え?」
「いや、妊娠が確定されたときその場で一緒に喜びたいだろ?」
「…どうせ今回も駄目だよ。」
「そんなこと言うなって。今だって妊娠は妊娠なんだぞ?」
「うん…」
数週間後、私は猛烈な吐き気に襲われていた。
「ゔぅ…」
「大丈夫か?ほら、飲むゼリー。これなら飲めそう?」
「うん、ありがとう…。」
「そろそろ病院行こうよ。これ悪阻だって。」
「…。」
ただの食当りです、なんて言われたらどうしよう。産婦人科に行くことがトラウマになりつつあった。
「動けるうちに病院行こう。このままなあなあにしてても駄目だろ。」
夫に連れられ、再び産婦人科に行くことになった。神様、どうか…。
「おめでとうございます!妊娠9週目ですよ。ほら、ここピクピク動いてるの分かりますか?これ心臓です。手と足もほら、ちっちゃく見えるでしょう。」
(本当に…?これ他の人のエコーじゃないよね?)
もう駄目だと思っていた。私には無理だと思っていた。やっと、赤ちゃんが私を選んでくれた。
診察を終え、エコー写真を受け取った。
「おめでとう。たくさん頑張りましたね。でもこれからが本番です。一緒に頑張っていきましょうね。」
「はい…、ありがとうございます!」
待合室で待っていた夫に写真を見せた。
「妊娠9週だって。」
「…やった、やった!」
つい大声で喜んでしまった夫を、周りの人が見る。恥ずかしかったが、それ以上に嬉しかった。
病院を出て、その足で保健センターに行き母子手帳をもらった。可愛い赤ちゃんのイラストが表紙に描かれていた。
「ここまで長かった…。本当に。」
私達は泣きながら静かに抱き合った。
「お゛えぇっ」
「大丈夫か…?」
悪阻のピークを迎えた私は今までのような日常生活を送れず、ほぼ寝たきりになっていた。
「食べれそうなものあったら言って?何でも買ってくるから!」
「…ケーキ。ケーキが食べたい。」
「え!?ケーキ!?めちゃめちゃ吐いてるけど大丈夫?」
「何でも買うって言ったじゃん!」
「はい!ごめん!買ってくる!!」
気持ち悪くて死にそうなくらいなのに、何故かケーキが食べたかった。妊娠する前はレモンだとかポテトだとかが食べたくなるのかと思っていたが、実際は違うものなんだなと吐きながら考えていた。
「おまたせ。何が良いか分からなかったからとりあえずいろんな種類買ってきたよ。」
「ありがとう。」
私はトイレの床に座ったまま手づかみでケーキを食べた。夫は引いていたが、恰好など気にしていられなかった。
「ど、どう…?」
「美味しい。生クリームすごい美味しく感じる。」
黙々と食べ続け、6個あったケーキは全て無くなった。
「…食べ終わったらまた気持ち悪くなってきた……。」
「えぇ!?」
「うん、順調に育ってますね。今日で16週、妊娠5ヶ月になるんだけど、それにしては少し体重が増え過ぎちゃってるから気をつけてね。」
「は、はい…。」
ついに安定期にたどり着いた。妊娠するまでがあんなに長かったのに、今はあっという間に感じる。私はお腹を擦りながら歩いた。気がつけば、心拍が確認されなくて自暴自棄になったあの頃からちょうど一年が経つ。諦めなくてよかった、と心から思う。
夫に経過報告をし、少し早いが戌の日参りをした。お腹の子の名前を決めている人はそこで名前を申し上げてお祈りするみたいだが、私達は顔を見て決めたかったので普通にお祈りした。
「絵馬もらったし、願い事書こうか。」
「うん、そうだね。」
『元気に生まれますように。あなたに会えるのが待ち遠しいよ。』
絵馬を飾り、その日はちょっと豪華に外食をして帰った。
「ふぅ、ふぅ。」
「おいおい、そんな重いもの持っちゃ駄目だろ。」
夫が慌てて私から荷物を取り上げた。
「だって、生まれたら暫く何も出来なくなるし、今のうちに要らないもの整理しないと…。」
「だからって重いもの持っちゃ駄目だろ。そういうのは俺が持つから。なんでも一人でしようとするなよ、わかったな?」
「うん、ありがと。」
私は妊娠7ヶ月になっていた。お腹はかなり大きくなっており、普通に歩くだけでも少し息が切れるようになった。悪阻はもう全く無かったが、未だに生クリームが食べたいという衝動は健在で体重増加に悩まされていた。
「ケーキ食べたいし、運動がてら歩いて買ってくる。」
「分かった。何かあったらすぐに連絡しろよ?」
「はーい。」
外に出ると強い日差しが目をさしてきた。丁度ゴールデンウィークに差しかかっており、子供たちが元気に外を駆けている。
「元気だなぁ。この子も数年後あんな風に走り回ってたりするのかな。」
微笑ましくてお腹を擦りながら歩いた。
ケーキを買った帰り道、なんだかお腹に違和感を感じた。
(あれ、なんだかお腹が突っ張る…それになんだかお腹が硬い気がする…。)
今まで感じたことのないお腹の張りに、怖くなって夫に連絡する。
『なんかお腹が変に張るの。近くのコンビニまで迎えに来てほしい…。』
夫はすぐに車で来た。そしてそのまま病院に向かった。
「切迫気味ですね。頑張りすぎると赤ちゃん焦って出てきちゃうから、お母さんは無理しないでくださいね。張り止めのクスリ出しますから、家で安静にしてください。張りが酷いようなら入院して様子見ましょう。」
「ありがとうございます。」
帰り道は二人とも無言だった。中々怒らない夫が、珍しく怒っているのを隣で感じた。
「そろそろベビーベッド買わなきゃな。」
お腹の子は38週を迎え、いつ生まれてもおかしくない時期に差しかかっていた。
「今3Wayのとかあるみたいだし、悩むね。」
パソコンで商品をあぁでもないこうでもないと二人で見る時間が楽しかった。
「ちょっと休憩しよう、お茶入れるね。」
そう言って立ち上がった瞬間だった。
ぱしゃっ
何かが弾ける感覚と共に、液体が足の間から流れ出た。
「は、破水したかも…。」
「え!?」
急いで入院セットを抱え、病院に向かった。前もって連絡したので、入り口には車椅子を用意した助産師さんが待っていてくれていた。車椅子に乗ると、そのまま処置室に運ばれ子宮口を確認された。
「3cm開いてますね。破水もしてるし早めに出しましょう。子宮口刺激しますね。」
ぐりぐりっ
(いったぁ…。)
言いようのない激痛が襲う。
「これで多分陣痛も進むと思うから。ベッドで横になっててね。」
「はい。」
先生の言うとおり、どんどんとお腹の痛みが増してきた。その痛みはお腹だけに留まらず、腰、足、背中と広がっていった。
「痛い、痛いぃぃ…」
夫が優しく腰を擦ってくれたが、そんなものでは痛みは収まらない。
「もっと力込めて押して!!そこじゃない!!」
痛みで余裕がない私は乱暴に叫んだ。
「お父さん、テニスボールをお尻に強く押し当ててあげてください。これで少しは楽になりますから。」
助産師さんが助け舟を出してくれたおかげで少しはマシになったが、次はトイレがしたくなってきた。
「すみません、トイレしたいです…!」
「あ、それ便意じゃないよ。いきまないように息を深く吐いて!」
「無理ですぅぅ!」
「今いきんだら赤ちゃん苦しいから!」
子宮口を調べられ、9cmまで広がっていた。
「分娩室に行きましょう!痛みが引いたときに車椅子乗って!」
「ずっと痛いです!!」
「じゃあ今乗って!」
半ば無理やり乗せられ、分娩室に。分娩台に乗ったときには既に子宮口は全開になっていた。
「深呼吸してー、もうすぐ赤ちゃんに会えるからね。」
先生が優しく誘導してくれる。
「はい吸ってー。…はい、いきんで!」
「ぐゔぅぅ…っ!」
「はい息吸ってー。はいいきんで!」
「痛い痛い痛い…!!!」
赤ちゃんの頭が引っかかり、会陰が避けそうに痛かった。
「…。」
先生は何も言わず、ただちょきん、と音がした。多分、会陰を切ったのだろう。
会陰を切って次のいきみで赤ちゃんは無事生まれた。
「おぎゃあ!おぎゃあ!おぎゃぁぁ!!」
「おめでとう!元気な女の子ですよ!」
赤ちゃんは体重と身長を測られ、そして私の胸に置かれた。
指を我が子の手元に持っていくと、きゅっと小さな手で握ってくれた。
「はじめまして。ずっと会いたかったよ…。」
生まれてきてくれてありがとう。 とりすけ @torisuke
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます