灰塵より産声あり
不屈の匙
犬
王となり、手始めに城内の汚物を燃やした。
幼少期に私を城から追放した仇敵、血税で私腹を肥やす者ども、敵国に国内の情報を漏らす売国奴、世継ぎを孕まんと忍び寄る女ども。
民衆は見せしめの火刑を手を打って歓迎した。
ついに燃やすものがなくなった。
手持ち無沙汰になった私は、民を燃やしはじめた。
対岸に燃える街を眺めていた。兵が余の命で火をつけた。夕暮れから夜へと移りゆく空に、赤い火の粉がまばゆく散る。
天幕をはり、絹の寝台に寝そべって、上物の酒を煽る。怨嗟の叫び、逃げ惑う泣き声、煙に苦しむ呻き声。煤とこびりつく肉の匂いに、杯を重ねる。
輿での帰り道、石畳の真ん中に粗末な布を纏った小柄な者が落ちていた。
「陛下。ゆく道に死人が……。迂回しまする」
「ならぬ。そのまま進め」
「しかし」
「ならば拾え」
小汚く、痩せこけた、今にも死にそうな子どもだ。
私は気まぐれにそれを拾い、
それに「
まずは食べ物、立派な着物。文字と算術、弁論術、治水に用兵術の心得、それに音楽。最後に一欠片の愛によく似た打算。
「とうさま!」
よく笑い、よく泣き、よく考え、よく喋る、よくなついた、私を知らぬ、無知で無垢な犬。
教えることもにももう飽きた。
「余は其方の父ではない。さらばだ」
そう言って私は別宅を去り、翌日、近衛に火を放たせた。
そうして存在を忘れることにした。
次は何を燃やそうか。
◇
火の映えそうな、暗く、そして美しい夜。
城内がいつになく騒がしい。それは剣戟の音にも聞こえた。
はて、何か祭りでも起きているのか。そんな許可を与えた記憶はないが、眠れぬほどでもない。
私が寝台に横になろうとした時、戸が静かに開いた。
現れたのは、ちぐはぐな青銅の鎧を纏った若武者だ。正規の兵士ではない。
「無礼者。許しなく王の寝室に侍るとは何ごとか」
近衛は義務としてそう述べた。
「首を刎ねよ」
私もまた、義務としてそう命じた。
まだ高い声が、困惑げに私たちを見返した。
「とうさま……? 私です、昔、可愛がっていただいた、カニスでございます。なぜここに。それに、お師さままで。ここは、王の寝室では」
近衛は剣を構えていたが、兜をとった若者の顔を見てその矛先を迷わせた。その顔は確かに、いく年か面倒を見た犬そのものであった。
「王よ。お許しください。できませぬ。私めには、弟子を手にかけるなど、到底できませぬ……」
近衛もまた、その顔を覚えていた。彼の剣の弟子でもあった。近衛は膝をついて項垂れた。
「余は其方の父ではない。余はこの帝国そのもの。臣民を統べる至尊である」
ようやくこの時が来た。私は内心笑っていた。ついに私が燃える時がきた。
この時をもって、この国は前に進む。忌まわしき帝国は革命の火に沈み、新しい王朝が芽生える。
「嘘だ、嘘だと言ってください。あなたが民を虐げていたのですか。あなたが王だったというのですか」
「さて、余は炎が見たかっただけだ。其方がいう民も、薪にしたやもしれぬ」
「あなたは……、あなたという人は……、もう、父とは呼びませぬ」
「最初から父ではないと言っておろうに」
慟哭しながらも、犬のその剣先が鈍ることはなく。
赤い血が豪奢な寝室に一直線に飛びちった。
「さようなら。あなたは僕の、少年時代の全てでした……」
首を検めて、少年は涙を拭った。
これより、少年は王となる。
◇
民は諸手をあげて、少年を革命王と崇めた。
圧政から民を救った王に、万歳と喝采した。
式典を終えた少年王は、王の寝室で隠されていた書物を見つけた。
燭台に火を入れて読むと、そこには国の現状と課題、貴族の誰にどのような能力があり、どの仕事を割り振るべきかが、事細かに書かれていた。これから国を運営するにあたり必要な全てが書かれていた。
間違いなく、かつて父と慕った男の筆跡であった。ぼたぼたと涙が溢れでる。
「ああ、父さま……。こんなに。こんなに未来を考えていたというのですか。穏やかな世代交代に、連綿と続いた悪の血を終わらせるために、あなたの死がどうしても必要だったというのですか……」
気づけば外は白み始めていた。
少年はぐいと目元を拭って、歯を食いしばった。自分は気付かぬうちに、後継者として育てられていたのだ。ならばこそ、この帝国をよく導かねばならない。
民の人気に加えて、若者には国を回すだけの教養が備わっていた。
だが、それだけではおかしいくらいに、帝国は隆盛を極めた。
なにもかも。おかしいくらい順調に。
灰塵より産声あり 不屈の匙 @fukutu_saji
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