尊き平和

ナナシマイ

第1話

 空を見上げる。

 何度も、何度も。その回数を数えたことはない。ただ、悲しいことがあった時も、嬉しいことがあった時も、そして、何も考えていない時も。視線は自然に上を向いた。


 何故だろうか? そこには、何がある?


 面白い形の雲。昼から夜に移り変わる空の色。地上を照らす、星々の光。

 見上げる者の感情を、何も言わずにただ包み込む存在。その優しさに、どれだけの人間が救われてきたことだろうか。


 低く、細い月に寄り添う金星は儚い。明るさの残る空の中、それは小さく切り取った穴のようで。

 こぶし二つ分、一日で最も切ないこの時間を演出しているのだ。頼りないはずの光が、静かにこちらへ手を差し伸べる。


 大きくなる影は、実はあまり黒くない。空気は次第に、空の青に染まっていく。

 いや、空気だけではない。木々も、建物も、皮膚も、全てが青く染まるこの瞬間。

 世界は、空になった。


 陽が沈む――。


 夜になれば、そこには無数の星が輝きだす。

 しかし、見えるのは照る空ではなく、照らされた空だ。都会のネオンが、星よりも強く、空に投影される。

 それは自然への冒涜なのだろうか。それとも、喜ばしき文明の発展か……?


 点と点を繋ぎ、人々は未来を知ろうとする。そこにあるのは、遥か昔の出来事だというのに。

 けれども、良いのだ。過去と現在、そして未来は繋がっている。このだだっ広い宇宙の中で、小さな小さな運命を見つけるなんて、そう、それはロマンというものだろう。

 ……この惑星は、どこかの星の何者かに、ロマンを与えることが出来ないけれど。


 別の日には、厚い雲が空を覆う。それは灰色で、それなのにどこか鮮やかで。まるで豊かさの象徴であるかのように。

 誰もが欲しがるような、ビー玉を落としていくのだ。


 タン、タタン。ッパラ、ッパラッタ。タン。ザァ――――


 リズムを刻む、恵みの雨。

 下から(ザァ)覗き込めば(ッパラ)、雨粒が落ちて(タタ)きているのでは(ッタラ、タタ)ない、(ザァ)自分が空に(タンタタン)吸い込まれているのだと(ザァァ)錯覚する。

 大合奏に紛れて大きくなる影は、あまり意識出来なくなっている。


 これらはすべて、目に見えるものだ。


 ――大切なモノは、目に見えない。ずっと昔から、そう言われてきたではないか。


 今この時も、惑星のどこかで空に怯える子供がいる。

 そこでの空は、手を伸ばしても届かない、ずっと遠いところを意味しているのだろう。

 火が飛び交い、鈍色の塊は希望を運ばない。

 広がる青に、零れ落ちる光に、彼らは何かを祈るだろうか。


 かつてはここもそうだったのだ。けれども、ここに立つほとんどの人間が、それを知らない。

 希望に手が届くのに、見ることすらない。手の中にある小さくて深い世界で、それだけで良いよ、と俯きながら。

 けれどもそれは、価値がないこと同じではないはずだ。


 何もないのだ。何もない、それこそが平和であることの証。

 それが何よりも――――




 数えることもなく、空に目を遣る。

 何かを壊すようなものは、見てこなかったように思う。……紫外線以外では。

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