大好きな純愛モノの漫画が寝取られモノになっていた。

狼二世

我儘厄介ファン

 広場のブロックに雑誌が落ちた。乾いた音は雑踏に吸い込まれていった。


「うつだしのう」


 ロボットみたいに機械じみた動きで立ち上がる。だらりと垂らした手にはさっきまで読んでいた雑誌は握られていない。

 まあ、別にいいや。ゴミを捨てるなって怒られそうだけど、今更拾いなおす気もないし、手に取ったらビリビリに引き裂いて完全にゴミにしてしまうだろう。


 俺には楽しみにしている漫画があった。高校生の頃に卒業した週刊誌の定期購読を再開するくらいには気に入った漫画だった。

 名は、『虹色恋模様』。

 バイタリティ溢れる少年が、異国のお姫様と純愛を育むラブコメ。二人の微笑ましく甘酸っぱい交流は乾いたコンクリートジャングルで生きていく俺にとっての救いだった。ただただ、二人の行く末を見守りたかった。


 ダメだ、全て過去形で語れるのが本当に悲しい。


 まさか、漫画の結末が寝取られで終わるなんて思いもしなった。

 いや、突然主人公が交通事故で意識不明になったあたりから怪しい感じになったんだ。まさかポッとでのチャラ男に寝取られるなんて想像してねえよ。なんか黒ギャル化してるしよ。


 怒りで集中できない。なんか遠くから音が聞こえる。

 あ、ここは横断歩道、それに赤信号――車が、突っ込んでくる!?


◆◆◆


 誰かの声が聞こえた。

 聞き覚えの有るような、ないような。


「――りにん、さん――りにんさん」


 目を開ける。目の前では朴訥とした顔の少年の顔がある。

 誰だ。友達の太郎か。いや、見覚えはあるんだが名前がどうしても出てこない。


「管理人さん、大丈夫ですか?」

「かんり、にん?」


 どういうことだ、それに、ここはいったい。


「本当に大丈夫ですか? 玄関を出たらいきなり倒れてて……頭は打ってないですよね」

「あ、ああ……」

「本当ですか? 本当ですよね。念のため後で病院にも行ってくださいよ!」


 何度も心配そうに問いかけてくる少年。学校があるから、と立ち去る時も何度もこちらを振り返っていた。

 しかし、彼は誰だ? 確かに、見覚えはあるのだが完全に名前が出てこない。

 それに、ここはどこだろう。

 周囲を見渡してみる。目の前には木造の大きな建物。多少古いがよく手入れは行き届いていそうだ。

 一軒家、と言うには大きすぎる。マンションかアパートか……塀の傍に立っているのは看板だろうか。こちらからだと裏側だから、確認してみよう。

 なになに、レインボーそう……うわ、丁寧に一文字ずつ違う色で書かれてる。ハッキリ言ってダサい。


「まて、レインボー荘だって」


 ひらめきが稲妻のように全身を駆け抜けていく。

 レインボー荘。そして人の良い少年……まちがいない。


「ここは、虹色恋模様の世界だって言うのか?」


 間違いない、こんなダサい名前の建物が出てくるのはあの漫画くらいしかない!

 頬をつねってみる。痛みはある。なにより、肌に触れる空気や匂いに現実感がありすぎる。

 いつの間にか着ているエプロン。名札を見ると、主人公の兄貴分である寮の管理人の名前が刻まれている。


「まさか、異世界転生って奴なのか?」


 我ながら漫画の読み過ぎだとはおもうが、そうとしか思えない。

 だとしたら、俺にはやるべきことがある。


「この物語の結末を、寝取られから返る!」

 

 こうして、俺の戦いの日々が始まった。

 その日の晩、戦闘機の爆音が響く夜空からパラシュートが落ちてくる。

 落ちた先は主人公の部屋。屋根を突き破ってヒロインが落ちてくる。


 最初は言葉も通じない彼女に、主人公は献身的に向き合っていく。

 不信はすぐに払しょくされ、信頼はやがて恋愛感情へと変わっていく。


 俺は、身近な大人としてそれを見守るだけ。ついでに交通安全のお守りを毎日のように差し入れをする。

 大きな動きはしない。全ては運命を変えるために準備をするのだ。


◆◆◆


 そして、運命の日は来た。

 些細なトラブルからケンカをしてしまった主人公とヒロイン。

 必死に走る主人公は、信号の確認を怠ってしまう。

 道を行くのはミサイルのように暴走する軽自動車。主人公が気が付いた時にはもう避けられない位置にいる。


 だが、意味はない。


「来たな」


 全身の筋肉を解放する。地面を蹴るとアスファルトに穴が開いた!

 自動車と主人公の間に割って入る。筋肉の壁が車を受け止める。

 この程度、造作もない。この日のために鍛えたからな。

 それに、俺――と言うか寮の管理人、NINJAの末裔とか言う裏設定があって助かった。


「か、管理人さん?」

「いいから、ここは俺に任せて先に行け!」


 叱責をして先に進ませる。

 そうだ、俺はお前たちの尊い恋を実らせるためにはなんだってやる。


「ふははは、貴様が物語の改変を拒む存在か!」


 邪悪な声が響いた。

 自分が悪だと隠しもしない、バカの声だ。


「出たな、おまえがラスボスか!!」

「な、なぜ知っている?」


 狼狽するのも無理はない。

 突如現れた爺さん。厳つい顔の黒マントの変態は空中で固まっている。


「くくく、異世界転生と言えば状況説明をする女神がつきものだからな。なんか一カ月くらい前に突然来たわ」


 この世界が人類の共通無意識が造った世界だとか、文化史におけるターニングポイントだとか言ってたが、どうでもいい。


「な、ならば、ワシが未来から純愛メインの物語しか生まれない世界を変えるために来たと言うのも知っているな」


 どうにも、このクソ爺は世間の主流が純愛に傾いているのが気に食わないらしい。

 そのため、あらゆる物語に介入して寝取られモノに改編し、自分の思い通りしようとする正真正銘のクソ野郎らしい。


「うるせえ! 俺にしたら尊いカップルを引き裂いた厄介野郎だ」

「黙れ! 貴様に分かるか!! 誰もが純愛純愛と口にし、寝取られ物がこの世界から消えていく絶望が!!」

「物理的制裁!」


 うるさいから殴った。


「き、貴様……何故分からん……自分の好きなものが異端だと断じられ、排斥されていく悲しみを」


 老人の言葉は、俺にも理解できた。


「ああ……俺も、虹色恋模様が寝取られで終わった時、全部を否定された気になったよ。読者にそんな権利はないって分かってても、望んだ未来を見れないのは物語から弾き出されたような気がしたよ」

「なら――」

「それでも、勝手に変えちゃダメなんだ」


 そう、どんな理由があっても、個人のエゴを押し付けてはいけない。


「俺も悩んだ。あの二人に自分の恋愛観を押し付けてるんじゃないかって……尊いって言いながら、自分の思い通りになるように動いてるだけじゃないかって。極端な話、二人にセックスしろって言い続けてるんじゃないかって」


 きっと、俺はこいつと本質は変わらないのだろう。

 思い通りにならない物語が嫌で、クリエイターの考えすら否定しかねない厄介ファンでしかない。


「我儘野郎はお互い様だ。なら、我を通させてもらう」

「……そうか」

「まあ、なんだ。性癖は誰にでもあるんだから、押し付けるなよ」

「そうだな……」


 力なく漏れ出た言葉には、諦観がにじみ出ていた。

 何と言うか、調子が狂う。


「その、な。俺はこの物語が好きなんだ。今度、おまえさんの好きな物語も教えてくれ」


 それが、礼儀ってもんだろう。


◆◆◆


 広場のブロックに雑誌が落ちた。乾いた音は雑踏に吸い込まれていった。


「ここ、は」


 気が付けば、絶望に支配されたあの日に戻ってきていた。

 慌てて雑誌を拾いなおす。開かれたページには、『虹色恋模様』の最終回。

 幸せそうに抱き合う主人公とヒロイン。そして仲間たちの姿が描かれている。


「……夢だったのかな」


 それがどこからだったかは分からない。

 でもまあ、夢ってことにしておこう。

 考えてもみろ、物語に介入するなんて烏滸がましいにも程がある。

 この最終回は、物語の登場人物たちが繋いだ未来だ。厄介なファンが勝手に捻じ曲げた物ではない。

 俺はただの読者でしかない。

 今はただ、この尊い物語が存在することに感謝しよう。


 ――なんて考えは、翌日に打ち砕かれる。


「うわ、本当に寝取られモノ送ってきやがった」


 郵便受けに入っていた一冊の本。

 送り主は――言うまでもないだろう。


《了》

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