僕と彼女は(多分)恋に落ちない

夢月七海

僕と彼女は(多分)恋に落ちない


 漫画家が担当編集者と打ち合わせをするのは、仕事場と出版社以外だと、カフェが定石だ。ちょっと変わり種だと、レストランやホテルのラウンジが思いつく。

 僕は、いつも打ち合わせ場所を担当編集者の若い女性・塚城このみさんに決めてもらっていた。それに対して、文句を言ったことはない。


 でも、ずっと任せてきた分際で、今回ははっきり言ってしまおう。

 テーブルを挟んで真正面に座り、目線を下に向けて顔を綻ばせている塚城さんに対して、僕は心を鬼にして、口を開いた。


「……塚城つかぎさん」

「はい。何でしょう?」


 一匹のアメリカンショートヘアーを抱き上げた塚城さんは、でれっでれになった顔で返事をした。


「猫カフェはないでしょ」


 僕は両手を広げて、断言した。

 テーブルの周りには、猫があちこちにいて、にゃーにゃー鳴いている。ここに来ているお客さんたちも、「カワイイー」と連呼しながら、パシャパシャと写真を撮っている。

 しかし、僕の訴えも空しく、塚城さんは猫を抱いたまま、心から不思議そうに首を傾げた。


「なんでですか?」

「ほら、何というか、こうして仕事の話をするには、ここはちょっと、ねぇ?」


 さすがに、猫たちが邪魔だとは言えずに、相手に察してもらえるように歯切れ悪く言う。

 そんな方法では塚城さんに伝わるはずもなく、彼女はまだきょとんとしている。そこで、僕はアプローチ方法を変えてみた。


「いつも行ってるカフェがあるじゃない。君のお気に入りの。なんで急に変えたの?」

みち先生、新キャラに『尊い』が口癖の子を出すって言ってたじゃないですか」

「うん。そうだよ」


 話が見えないなりに頷くと、塚城さんは満面の笑みでずいっと猫を僕の前に押し出した。


「猫を見て、尊いとは何なのか、勉強しましょうよ」

「僕、犬派だよ?」

「世紀の凡ミス!」


 塚城さんが急に大声で叫び、天井を仰いだので、猫が驚いて、彼女の腕から逃げていってしまった。

 もちろん、こう騒ぐと店員さんから「お客さま」と注意されてしまう。塚城さんは、それに対してぺこぺこ頭を下げてから、苦い顔で僕に向き直る。


「リサーチ不足でした……ドッグカフェの方が良かったですね……」

「いや、そういう問題じゃないけど」

「本当は、カエルカフェがいいかなぁと思ったんですけど、見つけられなかったんですよねぇ」

「確かに僕のペンネームは『みちかえる』だけどそれは『見違える』のダジャレであって特にカエル好きではない!」


 大声で、学生時代に思い付きで決めてしまったペンネームの説明させないでよ! 顔から火が出そうだ!

 僕も、大声を出してしまったので、店員さんから注意されてしまった。これで、うるさい席だと目を付けられてしまったな……。


 余談だけど、このペンネームのせいで、ファンや漫画家仲間からのプレゼントは、九割がカエルグッズだ。もったいないので使っているけれど、その所為でさらに送られてしまうという悪循環に陥っている。

 自画像がカエルのイラストというのも原因の一つだと思うけれど……このペンネームで、カエル以外の自画像だったら、可笑しいので不可抗力だ。


「どうですか? 犬派の先生でも、猫の尊さにメロメロでしょ? これで、尊いの感覚が掴めたんじゃないですか?」


 アイスコーヒーを飲んだ塚城さんは、にこにこしながらそう言ったが、僕は小さくため息をついた。


「塚城さんの心遣いはとてもありがたいけれど、新キャラはギャグマンガに出てくるから、普通とは違うことに対して『尊い』って言うんだよね。例えば、磁石にくっついたクリップとか、角の無くなった消しゴムとかで、『尊い』って悶絶するイメージなんだよ」

「でも先生、何事も基準を知ってから、物事を崩すことが出来るんじゃないんですか?」


 塚城さんに痛い所を衝かれて、僕はぐうと言葉が詰まる。

 さすが三年目。群雄割拠の漫画雑誌編集部に、しがみついてきただけはある。本人は、まだまだ新人気分のようだけど。


「例えば、こういうのはどうです?」

「何かな?」


 満面の笑みで、塚城さんは頭の上に両手で三角を作った。それは、まるで猫耳のようにも見える。


「私が、たくさんの猫に囲まれた状態で、猫耳を付ける」

「……尊いまではいかないかな。それは、萌えだね」


 ちょっとだけ、可愛いかもと思ったのを表に出さないようにして、僕は澄まして答える。

 不服そうな塚城さんは、「じゃあ」と食い下がる。


「夜道をドライブしていると、目の前に猫耳を付けた私が現れる」

「……それは、ホラーじゃない?」

「猫耳を付けた私が、ぬめぬめ触手モンスターに襲われる」

「……自分で言っちゃってもいいの? まあ、それはエロスだね」

「私が、兄の遺品の猫耳を付けて、兄の夢だった甲子園のマウンドを目指す」

「要素が多すぎてごちゃごちゃしているけれど、ジャンルで分けるとしたら、燃えだね。メラメラ燃えるの、燃え」


 話が迷走してしまったので、分かりやすく塚城さんはうーんと腕を組んで唸った。


「というか、なんでそんなに猫耳に拘るの?」

「そりゃあもちろん、猫大好きだからですよ」

「じゃあ、今すぐにでも、猫たちと戯れたいんだ?」


 僕は、周りでそれぞれ好き勝手に寝転んだり、歩いたり、おやつを貰ったりしている猫たちを見ながら言う。

 塚城さんは、敢えてそれを見ないようにしながら、手だけわきわきと動かした。


「本当は、猫たちをむしゃぶりつくしたいです」

「まだ仕事中だから、理性は保っていてね」


 僕が釘を刺したので、塚城さんはしっかりと頷いたが、急にはっとした表情になった。


「私ばかりじゃなくて、先生も考えてくださいよ、尊いについて」

「えー、そうなるのかー」


 いきなり指名させられて、僕は困惑したが、こういう話は意外とぱっと思いつく。


「例えば、二人の剣豪が、対峙する。お互い、相手に親しいものを斬られていて、いわば仇だ。枯れすすきが揺れる草原、刀を構え、どちらかが一歩踏み出せば、一瞬で勝敗が決まるだろう。そこへ、二人を狙った剣客たちが、徒党を組んで襲ってきた。二人は、何も言わずとも背中を預け合い、百を超える敵と戦う」

「うわー! 確かに尊いですね!」


「あるいは、小さい頃から、一緒に育ってきた愛犬。実家を出てしばらくした後、その愛犬が老衰で危ない状態になったが、仕事が立て込んでいて、最期を看取ることが出来なかった……。そのことを後悔し続けていると、霊感のある女の子と出会う。彼女に、その愛犬のことを話し、恨まれているんじゃないかと愚痴ると、『大丈夫ですよ。その子は、あなたの守護霊として見守ってくれています』と断言された」

「あうー! 切ない! 尊い!」


「または、母の日、ずっとお金を貯めてきた小学生。カーネーションを買って、よく行くケーキ屋さんで、お母さんの大好きショートケーキをホールで買ってみる。だけど、いざ持っていこうとしたら、カーネーションとホールケーキを一緒に運ぶのに苦労して、途中で転んでしまう。ケーキは崩れて、酷い姿になっていた。泣き出してしまう子供に、お母さんは優しく『その気持ちは十分伝わったから』と言って、抱きしめてくれる」

「はわー! 可愛い! 尊い!」


 塚城さんは顔を覆って悶えまくっている。注意されるほどではないけれど、店員さんの視線が痛い。

 ぜいぜいと息をしながらも多少落ち着いた塚城さんは、はたと気が付いたように言った。


「そう言えば、今までの例に、恋愛関係の話はありませんでしたね」

「あー、まあ、そうだね」


 僕は気まずさから、目を逸らしながら言う。

 恋愛の話は、正直苦手だ。ラブコメを書いたこともあったけれど、どちらかと言うとコメディー色の強い作品になってしまっていた。

 そんな僕の様子には頓着せずに、塚城さんが「では!」と提案する。


「恋愛における、尊いは何ですか?」

「うーん、そうだなぁ……」


 僕はちらりと、塚城さんの期待に満ちた顔を窺う。

 ……天真爛漫な言動で、担当漫画家を振り回す編集者……そんなワードが思いついたけれど、流石にそのまま口に出来ない。


「――思わせぶりな態度の女の子と、それにドギマギする男の子」

「おお! いいですね!」


 塚城さんは、すぐに喰いついた。流石に、自分がモデルだとは思っていないようだ。

 確かに、僕はもう「男の子」という年齢ではないし、塚城さんもギリギリ「女の子」ではないのかもしれない。見方によるのかもしれないけれど。


「それで、どうなるんですか?」

「ええと……。女の子の真意が分からずに、男の子はどうすればいいのか分からなくなってしまう。正直に、好きなのかどうか聞いてみればいいのかもしれないけれど、勘違いだったら、自分が傷ついてしまうから、それも出来ない」

「確かに、本当のことを知るのは怖いですよね」

「でも、ある日、女の子が、転校することが分かる。男の子は、どうしようか思い悩む。その間に、女の子が町を出る日が来てしまう」

「うん、うん」

「……女の子を乗せた電車が、ゆっくりと出発する。見送りに来た人の中に、男の子の姿はない。だけど、窓の外には、男の子がいて、彼女に向かって、走りながら、大きな声で、」


 自分でも熱が入った状態で話していた所、「にゃーん」という鳴き声で、中断させられた。


「ああ! 尊い!」


 テーブルの足の所にちょこんと座り、こちらを見上げた黒猫に、塚城さんは歓声を上げて抱き上げた。自分の席に戻ってから、その猫に頬を寄せたり、耳を食べる真似をしたりする。

 僕は、彼女の溺愛っぷりに苦笑していた。どんなにフィクションが頑張っても、猫の鳴き声一つに負けてしまう。


「道先生! 尊いですよね!」

「うん。尊い」


 塚城さんが、という言葉は、心の中だけにしておく。


「ここで、私が猫ちゃんにおっぱいを触られたりしたら、さらに尊さがアップしますよね!」

「なんで君は身を削るような発言をするの」


 笑みを零しながらツッコむ。

 僕と彼女の関係は、やっぱりこれくらいがちょうどいいのかもしれない。


































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