家鴨
葛城 大
序章
何も変わらぬ日常。変化を加えたくて、通い出したこのバアも、すっかり日常に溶け込んでしまった。
そんなことを考えていた、ある日の出来事でした。夜も更け、店内にはもう自分とマスタアしか居ない。これはもう、いつもの事で、そんな時、自分は大体マスタアと他愛もない話をするのでした。今日も話をしていると、ドンドンドンとドアの方から音がしました。何やら騒いでいるようです。
バアにそんな入り方をする奴もいるのか、なんて常識知らずなのだ、と思いつつも自分はマスタアに任せて、ウイスキイを流し込みました。
やがて男は店に入ってきました。大柄と言うほどでもないのですが、なかなかに良い体付きをしていて、歳は20代後半ぐらいの男でした。
男は酷く酔っ払っている様子で、マスタアに、何でも良いから酒を出せと騒いで、酒を3、4杯煽ったかと思えば、暫く黙り込んで泣き出しました。この情緒の不安定さにか、マスタアが男に話しかけていました。
「あの、どうかしたのですか。」
「どうもこうもありませんよ。人生ってのはどうしてこうもうまく行かないのかねえ。」
と言い、泣きながら更に酒を飲んでいました。
自分は面倒なことに巻き込まれそうな予感がしていましたが、なぜだかそこを離れることが出来ませんでした(普段なら、振り払うべき火の粉が見えた時点で、そこにはもう居ないのですが)。
すると、暫くして男の方がまた話し始めました。
「親友が自殺しましてね。」
自分は言葉を失いました。今この台詞を聞くまでは、当然知る由もないわけですが、何となく横暴な人間として彼を見ていた自分に嫌気が指しました。さらに、話は進みます。
「それはご愁傷様です。こんなことを聞いて良いのか分かりませんが、そのご友人は何故亡くなってしまったのですか。」
「僕はね、彼は自殺するような人間ではないと思っていたんですよ。顔も悪くなくて、仕事も出来て、人望があって、明るい性格をしていて、趣味も多くて、女性関係も…まぁ多少は問題がありましたがね、それにしたって楽しくやってました。正直、僕は彼が羨ましいぐらいでしたよ。」
確かにソノヒトは恵まれている人かもしれない、と思いました。世の中には、何も持っていない人も存在している中で、ソノヒトは充分楽しそうに見えました。しかしまぁ、他人には分からぬ、本人のみぞ知る悩みと言うものは、往々にしてあるものです。なんて考えていると、
「彼は、死ぬまでの間に日記を書いていたようで、最後には僕のところに届けるようにと。あれはもう日記というよりは、遺書ですよ。あまりにも分厚い遺書ですがね。ただまぁ、あれを読んだ時に、僕は衝撃を受けましてね。彼の抱えているものは悩みなんてもんではなかったんです。闇、とでも言いましょうか。人類が、闇という存在からは逃げられないように、彼にこべり付いた深い闇。そんなところでしょうか。」
自分はそれを聞いていて、脳が追いつく間もなく、初めてその男に言葉を発していました。
「すみません、そちらを見せていただけませんか。」
家鴨 葛城 大 @katsuragi_dai
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