この物語には2通りの読み方が許されるように感じます。
1つは比喩表現だと受け取る読み方。ただなにげない雨の日の一幕を夢心地の幻想的な比喩で語った話として読む。
もう1つは起きた出来事をそのままに受け取る読み方。異世界の不思議な出来事が実際に起きたのに、ただ微睡の中を過ごしてしまう話として読む。
そういう読みの柔らかさが魅力になってます。
なによりどちらの読みにしてもテーマは一貫していて、異世界でもないこの平凡な世界の中で余りある想像の余地について豊かに語っています。幻想郷は遠いどこかや異世界転生した先ではなくて、私達の日々のすぐ側の雨の日の途端屋根の下にある。そんな物語なのだと感じました。
おすすめです。
この物語を読んで、私はまず画面を閉じました。脳裏に残った情景をそのまま、しばらく過ごしました。
私はふとこう思い至りました。
文学とはこうあるべきではないか。
シクロフスキーではないけれど、『風景の再発見』ができた気がします。この文章には、見慣れてしまって目で見て知覚されないものを再認識させる力を確かに持っていると確信しました。
私はここで、敢えて物語の内容については触れません。と言うより、書けません。私が下手に考察を書いてもこの物語に泥を塗るだけだと分かるからです。そのくらい繊細で精神的な観念を内包しているからです。
本文自体は掌編で読みやすいと思いますので、まずは一度読んでみることをお勧めします。
作者さまにつきましてはさらなるご活躍を期待しています。