賤しくも尊き人
南木
賤しくも尊き人
中学生にもなって「将来の夢」なんていう題で作文を書くだなんて、本当にバカげてる。
私たちはもう何も知らない子供ではないのだから、どんな夢も望めば叶うなんて思っていない。
それに、正しくない夢を願おうとすれば、怒られて、お説教されて、正しい道に強制的に戻されるのだから…………
「栗原さん、なんですこの内容は! 中学生にもなって「ユーチューバーになって稼ぎたい」だなんて、恥ずかしいと思わないのですか!」
「えー、恥ずかしくないから書いたんだけどー」
「えーじゃありません! あなたもあの「アルムテン」とかいうのに被れたのでしょうけど、ああいったのはきちんとした職業ではありません! とにかく、これはやり直し、再提出ですっ!」
「ちぇっ……」
ほらみろ。
作文に堂々と「ユーチューバー」になりたいと書いた栗原さんは、面倒なことに再提出になった。相変わらずお堅い先生だなぁ。教師がそんなに否定的でいいのかな?
まあでも、私の作文はもっとひどいはずだから―――――
「さて、先生が特によかったと思ったのは、飛鳥さんの作文ね。飛鳥さんは将来、努力して医者になりたいそうよ。さすがは成績優秀な飛鳥さんね。お母さま一人で大変だから、その助けになりたいという気持ちも立派よ」
「……ありがとうございます」
私……
周りからは「この似非優等生め」と言いたげな視線が来るけど、それはある意味正しい。
なぜなら……私は作文で医者になりたいと書いたけど、医者になりたい理由は作文用紙4枚のうちの1枚目半分だけで、残りの3枚半は、全部あのユーチューバー「アルムテン」の批判に費やした。
やれ「あんな不道徳な人にはなりたくない」だの「冬を越せないキリギリス」だの、将来の夢関係なくボロクソ書いただけ……なのに、先生はそれが気に入ったのか、私のことを褒めてくれた。
そんな薄っぺらい「将来の夢」が絶賛されるほど、私たちは期待されていないのかもしれない。
「みなさん! 最近インターネットでは下品な踊りやいじめにつながるような歌がありますが、そのようなものには決して影響されず、しおりさんのように正しいものを判断できる心を備えるようにしましょう!」
私の心なんか知らずに、先生は自分勝手な薄い理想を授業の残り時間で延々と語っていた。
今流行りの動画投稿者「アルムテン」――――派手なオレンジ色の髪の毛と、ぱっちり開いたきれいな瞳、それにすらっとしたアイドルもびっくりなボディを持つ、謎多き女の子だ。
男女問わず魅了するその高く澄み切った声は、一度聴いたらしばらく心に残り続ける。
けれども、その恵まれた声を発する喉から出る歌詞は、社会のルールに反抗したり、暴力的だったり、乱暴だったり……とにかく破天荒だった。
もちろん、世の中はアルムテンの存在に賛否両論あって、「面と向かって言えないことを躊躇なく歌にする勇気がある」という声もあれば「この歌が流行るようになった日本はもうおしまいだ」という意見もある。
アルムテンの奇妙なところは、その恵まれたルックスにもかかわらず、頑なにインターネットから出るのを拒み、テレビ局の取材にすら応じないことと、きちんとした歌を歌えば多くの人に愛されたであろう美声で、ひたすら不道徳な歌を歌うことだ。
そして、そんな生き様が、帰って人々の興味をひきつけてやまないんだろう。
ひとりで学校から帰る途中、すれ違った小学生の集団が、アルムテンの歌をバカみたいな大声で歌を歌っていた。
きっとあの子たちに悪気はない。
歌詞の通りにバットでガラスをたたき割ったりしないだろうし、自転車でがけの上から飛び降りることもないと思う。
でも、親は聞いたらやっぱりギョッとするんだろうな…………
「……ただいま」
「あ、お帰りなさい、栞」
私が家に戻ると、台所にいた兄さんが夕ご飯を作っていた。
「母さんは?」
「今日も帰ってこないよ。お金も置いていかなくなったし」
「あの人は……私たちが霞を食べて生きていけると思ってるのかしら」
「まあ実際、お金を置いていかなくて平気で生きてるからねぇ」
私の3つ上の兄さん……
兄さんは男なのに背が小さくて、すごくナヨナヨしてて、まるで引きこもりの女の子のような人だ。
うちは父さんと母さんが離婚して、私たちを引き取った母さんはすぐに新しい彼氏を見つけて遊び歩いてるから、収入がほとんどなくて、兄さんは高校に行っていない。
朝ご飯と夕ご飯は、母さんがちょっとだけ家に帰ってきて「これで何か食べなさい」といくらかお金を置いていくだけ。そして最近は、なぜかお金を置いていかなくても私たちが平気そうに見えるからか、食事代すらおいていかなくなった。
だから、家のご飯は基本的に兄さんが作っているんだけど…………
「今日は時間がなかったから、チャーハンと余りものでおかずを作っただけだけど、ちゃんと残さず食べるんだよ」
「うん……兄さんは食べないの?」
「僕はもう仕事に行かなきゃいけない。やることが多すぎて、とても休んではいられないからね」
「だったら、別に私の夕飯なんて気にしなくても……」
「いいのいいの。僕が大切な妹にできることはこれくらいしかないから」
そう言って兄さんは、机の上に私の分だけの夕飯を並べると、自分は栄養補給ゼリーを一気飲みして、ごみ箱に捨てると、近くにあった重そうなキャリーバックを手に取った。
「……そういえば栞」
「何よ兄さん」
「宿題の作文で、僕のこと結構ボロクソに書いてたよね。そんなに僕に仕事をやめてほしいのかな?」
「当然よ。あんなお仕事、とっととやめればいいのよ。そんなことしなくても……私も兄さんも、生きていけるって」
「生きていく……ならね。でもこれは、僕のやりたいことだから。僕は未来が怖い………だからこうして、命を燃やし尽くして、しまいたいんだ」
「っ!! そんなの……!」
「間違っていても、僕は自分の人生を自分で決める。だから栞、いい子にしてるんだよ」
そう言って兄さんは、こちらを振り向かず、玄関を出ていった。
窓の外から兄さんの行き先を追いかけようとしても、兄さんはすぐにタクシーに乗ってどこかに行ってしまった。
兄さんの正体は―――――今を時めく謎の女の子、アルムテンだ。
男なのに、骨格がまるで女の子みたいで、しかも声まで普通の女の子以上に奇麗な声が出ることを利用して、女装とメイクをして、ネット収録をしてる。
どこで収録しているのかは、私にも教えてはくれないけれど……兄さんは妹の私だけには、自分の正体を明かして、自分のやっていることを語ってくれる。
動画の中で、たった一人で縦横無尽に踊る
けれども、それは将来に絶望した兄さんが、命を削って、魂を削って、作り上げていると知っている私は…………素直に喜べなかった。
(かっこよくなんて、ならなくてもいい。貧乏でも構わない。私は、ずっと兄さんがいてくれれば、それでいいのに)
兄さんの作ったチャーハンは、とてもおいしかった。
そんな作り方をしているのか知らないけれど、私はこれ以上美味しいチャーハンは知らない。
本当は、私が兄さんを支えてあげたいのに、兄さんはそれすらも拒んで……
アルムテンとなった兄さんは、母さんに内緒でとんでもなくたくさんのお金を稼いでいた。詳しいことは聞いていないけれど、そろそろ家を買えるくらいのお金になるらしい。
こうして私が、母さんからお金をもらわなくても、ご飯を食べて、電気やガス、水道を使えるのも、全部兄さんのおかげ…………けれども、テレビの特集に映っているアルムテンの姿を見ると、いつかアルムテンが完全に兄さんを乗っ取って、どこかに連れて行ってしまうのではないかと、不安に思ってしまう。
(私が将来の夢そっちのけで書いた、アルムテンをけなしまくった作文……先生はすごく褒めてくれた。ふふふ……本当に、バカみたい。人を憎む心を褒めるくらい、兄さんが嫌われてるなんて、滑稽でしかないわ)
私はアルムテンが憎い。その気持ちだけは本物だ。
先生はきっと、そんな私の本心が文章に出ているのを評価したのかもしれない。
そして、学校の秩序に真っ向から反旗を翻すアルムテンを、力強く糾弾する私は、先生たちにとってとても賢い子供に映るのだろう。
でも私は、そんな兄さんが大好きで…………尊いとすら思っている。
悪魔アルムテンに魂を捧げ、世間の羨望と憎悪を一身に受け続ける兄さんは、私が無理やる止めない限り、そう遠くないうちに命を落としてしまうだろう。
アルムテンよ、お願いだからもう少し兄さんを長生きさせてほしい。
私は将来医者になり、ボロボロになった兄さんを直して、残りの一生を平穏に過ごさせてあげたいのだから。
賤しくも尊き人 南木 @sanbousoutyou-ju88
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