唯子となった少女

マフユフミ

第1話


六実むつみは自分の名前が嫌いだった。


名前なんてここではただの記号。

親の願いなど一切含まれない、集団生活を円滑に行うためにナンバリングされただけのこと。

この村で6番目の子供である、ただそれだけを意味する名前だから。


ここは小さな山の中腹にある村だ。

20人の大人と7人の子供の総勢27名が、ある一つの神を崇め、その信仰心をもとに共同生活をしている。それはいわばカルト宗教と呼ばれる部類のもので、六実はその集団の中に生まれ育った。

この村以外の世界のことは、村の大人から受ける日々の授業と、時折与えられる外の世界の小説でしか知らない。

一般的な教育も、他人との適切な距離感も、六実の世界の中にはなかった。


通常の「家族」という概念すらここにはないのだ。

六実は自分の本当の親が誰なのか知らない。

ここの子供たちはみんなそうだ。

子供たちは皆「村のこども」であり、大人たちは皆「村のおとな」だった。

村の構成員は皆、神を崇め、称え、その教えを実現させるための道具に過ぎない。

神の喜ぶことはすべて良しとされ、それ以外はすべてが「いらないモノ」だった。


六実にとってこの村は、違和感しかない場所だった。

「むつみ」と呼ばれる人間は、一人の人間としてここにいるのに、ここではそれは良しとされない。

なぜ私はほかの人と違うことをしてはいけないのだろう。

なぜ私は私の意見を言ってはいけないのだろう。

物心ついたときから、その違和感はどんどんどんどん膨らんでいった。


一度、その疑問を村の大人の中でも一番子供たちに優しかった人間にぶつけたことがある。

「みんなこう言うんだけど、私はこう思うんだ……」

それを聞いたその大人は六実の手を取り、すぐにほかの大人たちのもとへ向かった。

「六実が神のご意思に背こうとしている」

と。

その後、六実を待っていたのは、大人たちによる特別授業だった。

一人の部屋に閉じ込められ聞かされる、代わるがわるやってくる大人たちによるありがたい神についてのお話は、六実の心に響くことは決してなかった。


なぜ私は私として存在してはいけないのだろうか。

なぜ私の意見を言ってはいけないのだろうか。

一人一人の思いを自由に表現できない世界。


そんな神様なんて、いらない。


たった独りの部屋で、六実は神を信じ崇めるのをやめた。


それでも六実はまだまだ子供であった。

この村を飛び出す方法も、逃げた先で一人生きていく術も持ち合わせていない。

違和感の中、その神を信じるふりをしながら表面的には「村のこども」であり続けた。

いつか自由な世界に羽ばたけることを信じて。


そんな六実に転機が訪れたのは、あの事件、六実が最初で最後の自己主張をしてから5年が過ぎたころだった。

「神のお告げが降った」

神妙な顔をして告げてくる大人は、六実にとって滑稽なものでしかない。

「今日の夜11時、私たちは神の御許に降るのだ」

その言葉の意味することを理解するのに少し時間がかかった。

神の身元に降る、それは神のもとへと行く、すなわち命をささげるということなのではないか?


「私たちはどうすればいいの?」

当たり障りのないように六実は問いかける。

「今から最後の祈りをささげる。そしてそのときまでに身を浄め、真っ白な衣装を身にまとい、時を待つのだ」

禊を行い、あとは死を待つということ。

それでも、神のお告げなど言っているが、待っていても死は勝手には訪れない。

そうなればすることは一つ。いわば、集団自殺である。


いつかこうなるのではないか、と六実はひそかに考えていた。

この村の大人たちの神への傾倒は最近ますますひどくなってきていたし、あらゆることへの見境がなくなってきていたように六実には見えていたから。

行き過ぎた信仰心は、死へと直結する。

そして、大人のそういった考えは、生まれてからずっとこの村に染まり切った「村のこども」たちにとって絶対だった。


そうか、私は死ぬのか。


妙に醒めた気持ちで六実は思った。

一度も私自身として生きられないまま、私は命を落とすのか。

いるのかどうかも分からない神のために。

自分を見失い、「神」という絶対的な言い訳に逃げた大人たちのくだらない傷の舐めあいのために。


そう考えるだけで身震いするほどの嫌悪を感じた。

嫌だ、そんなのは絶対嫌だ。

私は、私として生きたい。

六実はそのとき改めて強く願ったのだった。


それから六実は、ほかの子供たちと同じように祈りを捧げ、禊をすませ、白装束を身に着けてその時を待った。

この決断への嫌悪を誰にも悟られないよう、目立たぬよう時をやり過ごす。


「時は満ちた!いざ逝かん!」


大人の雄叫びが聞こえたと同時に、あたりは炎に包まれた。

誰かが火を放ったのだろう。煙を吸わないよう、六実は極力身を低くする。

周りにはひれ伏しているようにしか見えないだろう。

もっとも、炎の勢いに気を取られ、誰も六実のことなど見てはいなかったが。


「祈れ祈れ!すべては神の御心のままに!」

大人たちの言葉を受け、子供達も後に続く。

ちらりと周囲を伺うと、皆迫りくる炎から身を守るように地に伏せていた。


今しかない!


六実は立ち上がり、炎の様子を窺った。

ぐるりと取り囲んでいる炎の中でも一番高さの低いところに狙いを定める。

白装束の裾をたくし上げ、六実は炎に向かって駆け出した。

「おい!六実!!」

気づいた大人が声をあげるけれど、六実はもう炎の間近だ。

逃げろ逃げろ。本当に神がいるのなら、私はこんなところで焼け死んだりはしないはず。


躊躇せず炎に飛び込み、それでも走る。

着物は焦げ、肌は焼かれるけれど、足だけは止めない。

六実は涙を流しながら、山を駆け下りた。


後ろで建物の崩れる音がする。

立ち上る炎の音がさらに大きくなる。

苦悶に満ちた声。大人も子供も、火にまかれていく。

「ごめんね、だけど私は生きるよ」

そうつぶやいた六実は、そのまま意識を失った。






目が覚めると、六実は真っ白な空間にいた。

柔らかなベッド、揺れるカーテン。

体にはたくさんのチューブが取り付けられ、全身が痛む。

「気づいたね」

優しくほほえむの若い女性。

「ここは病院だよ、もう何も心配することはないよ」

その言葉を聞いて、六実の目からは涙があふれてきた。

「生きてたんだね……」

生きていた。生き延びた。

神の御許なんかくそくらえだ。

看護師の女性は優しく目元をぬぐってくれた。

「大丈夫だから、もう少し寝ていてね」

頭をゆるゆる撫でられると、もうだめだった。

六実は再び目を閉じて、逃れられた安心感の中で眠りについた。


全身に大やけどをおった六実は、そこから約半年ほど入院生活を余儀なくされた。

治療は苦しかったけれど、六実は自分自身でいられることが本当にうれしかった。

村のことは大事件として取り上げられ、唯一の生き残りである六実にマスコミの目は殺到したけれど、病院と、六実の境遇を心配してくれた多くの福祉関係者たちにより手厚く守られたため、比較的のびのびと入院生活を送ることができた。


そして、そろそろ退院の話も出始めたころ。

「六実ちゃんを娘として引き取りたいんだけど」

いつも気にかけてくれていたケースワーカーが、親戚を紹介してくれた。

その家庭は子供に恵まれず、養子を探していたという。

「初めまして、六実ちゃん」

優しく笑いかけてくれる夫婦に、六実は久しぶりに涙を流した。

自分のことを、たった一人の子供としてみてくれる。

そのことに、ただひたすら涙が止まらなかった。





そして迎えた春。

「ちょっと待ってー!」

白い大きな一軒家から、少女の明るい声がする。

「もう、早くしなさいよ、唯子」

母親は娘をせかしながらも笑顔を絶やさない。

「まあ、あと少しくらいいいじゃないか。せっかくの入学式なんだから」

父親はひたすらに娘に甘い。

「お待たせしました!」

火傷の跡が痛々しいが、明るい笑顔の少女は両親のもとへ走り寄る。

今日は高校の入学式だ。

新入生を歓迎するかのように、道の桜がやさしく揺れている。

「さあ、行こうか」

3人は、手をとりあい歩き出す。


新しい両親に引き取られ、ゆっくり時間をかけて現在の境遇に適応していった六実は、今年から高校に通うことになっている。

引き取られるにあたり、六実はたったひとつだけ両親に願い事をした。

「私に、名前をつけて」と。

ナンバリングではなく、自分だけの名前がほしい。

六実のずっと願っていたこと。

両親は満面の笑顔でうなずき、考えてくれた。

「あなたは今日から、ユイコよ。唯一の子供で、唯子」

唯子となった六実は、大粒の涙を流し喜んだ。


私が私として生きられること、何よりも尊いこと。


唯子は今日も、幸せをかみしめている。




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