天上天下と唯我独尊【KAC2021作品】

ふぃふてぃ

天上天下と唯我独尊

「死にたい、死にたい、死にたい」


 今日という今日は、上司の態度に嫌気が刺した。意見や忠告があっても自分の考えが正しいと決めつけ、ああ言えばこう言うというの繰り返し。埒があかない、まるで話にならない。


 他人に厳しい癖に自分に甘く、ミスを指摘すれば笑って誤魔化す。こんな態度が、最近は目に余る。


「陰口が嫌いだ」と言いながら、人の悪口を平気で言いふらす。そのくせ過激なことは誰かに伝聞のように大声で呟き、さも自分は中立のように振る舞う。


 自分の言うことを聞かないと激怒し、知ったかぶり、それを指摘されると、話をすりかえる。その場をやり過ごし、話が終われば、必ず指摘した相手の誹謗中傷に勤しむ。


 権力者、知識人には弱く、あまり言い返さない人間を見下し、持論を振りかざし、相手を畳み込み、蔑み、追い詰める。それで何人の人間が病んでいってしまったことか、顔を思い出すだけで虫唾が走る。


 会議などで、意見を求めても、話は纏まらず。管理体制が真っ当な機能を果たしていない。ああいう人材は切り捨てるべきなんだ。「辞めさせる理由がない」意味がわからない。そうやって上層部が尻込みをしているから、本当に優秀な人材が壊れていくんだ。


「嫌な上司なんて一人くらいはいるさ」

 僕の求めている解答はそんな事じゃない。


 結局、人は自分が正しい、正義だと言い張るような傍若無人な奴らと、自分に被害がなければ、他人なんて無関心のイエスマンばかりだ。


 ーーああ。この世界は終わってる。



 憂鬱に押しつぶされ、トボトボと歩く。夕暮れの街並みは切ないほど紅に染め上げられ、見るも無惨に空と同系色に塗り替えられていた。


 ドュルルクッ!


 一台のバイクが後続する何台ものバイクを引き連れている。マシンの音色が僕の心臓と共鳴した。見ては行けないと思いつつ、赤信号で止まるバイクの群を率いるトップに目を向ける。


 最近ではめっぽう見なくなった特攻服。濃紺だぼだぼのパンツに、黒一色のジャケット。背中には『天上天下、唯我独尊』と刺繍がされている。


 ーー自分が一番か、突っ張ってるな。


 釈迦の産声の成れの果てが、ヤンキーの背中に乗っていると思うと、滑稽に感じた。笑いがでた。疲れ切った笑いだが、久しぶりに溢れた笑みだった。それは、嘲笑に近い。


 そんな僕を見てイラついたのか、後続バイクの一台が近づく。重厚なブラックベースに鮮やかなグリーンのアクセントが刻まれている。これがまた、ニヒルにも良い鳴き声をしていた。


 電子制御のサスペンション、フロントフォーク、リアショックが織りなす、静粛かつ上質なエンジンサウンドが、忍びのように精錬と厳粛を重んじている。乗りこなす餓鬼とは大違いだ。


「おい、何が言いたいんだよ。言ってみろ。人をジロジロ見て笑いやがって!」


 路側帯に丁寧にバイクを停めると、乱暴に胸ぐらを掴まれる。そのギャップに僕は、また笑ってしまった。

 半壊した僕の頭は怖いもの知らずだ。ストレスの溜まりきった脳内は、恐怖的な感情が働かない。


「そんな良いバイクに乗ってんだ。フルフェイスぐらい被れ、死んじまうぞ」

「はぁ、テメェなに言ってんだよ!」


 唐紅の商店街に怒声が響く。


「KAWASAKI ZR-10R SE。かっこいいじゃないか」

「うっせぇ、分かった口ききやがって」


 言えと言ったり、うっせぇと言ったり、話が波状している。


「ヤめろ!」


 目の前で叱咤するのは、天上天下の男にして唯我独尊な族のリーダー。そして、ドュルルクと雄叫びをあげるのは彼の相棒。Honda CBR1000RR-R。その名も、ファイヤーブレード。


「フルフェイスを被るのは当たり前だ。オマエが先導しろ。後は俺が話をつける」


 紅の空にも負けないほどの、燃えるような赤の車体に、アクセントに添えられたコバルトブルーの艶やかなラインが、暮れゆく太陽の光を反射していた。


 オーリンズのリアサスペンションが車軸を支えて、アクラポビッチ共同開発のチタンマフラーが震える。


 ドュルルクと生きた単車の音が香る。



「そんな生き方してたら、お兄さんこそ、早死にしますよ」


 漆黒のフルフェイスを外した。その顔は若々しい青年だった。バイクを路側帯に止め、人目を気にせず、ペタリと地面に座り込んだ。僕も負けじと座り込む。


「ならばいっそのこと、殺して貰いたいものだね」


 僕は知っている。手首を切っただけでは死ねない。高所から落ちても、目覚めるのは病院のベット。殺虫剤を飲み干しても見上げるのは病院の天上。首を括ろうが直ぐに見つかり、そう易々とは死なせてくれない。


 生命は尊く、死は遠のく。


 胡座で煙草を取り出す青年。マルボロメンソール。スッと煙草ケースから一本覗かせ、私に渡してきた。


「コレで、アイツのノーヘルは、見逃してやってはくれましませんかね」

「元より責めるつもりは無いよ」


 一本、拝借して口元へ運ぶと、すかさずライターを翳し、火を灯してくれた。


 ライターの火と、路側帯のファイヤーブレイドが重なる。魂に炎を焚べるような一服だった。メンソールの清涼な煙が肺に流れ、鼻腔を通り過ぎる。ワインレッドに変わりゆく空を、煙に巻いた気持ちになった。


「お兄さん。死にたいんスか?」

「仕事をしたくないだけ。……まあ、その為なら死んじまっても構わないけどね」



「そうっすか。じゃあたまには、死ぬ為に生きて見たらどうッスか」


 そう言って、フルフェイスを投げ渡す。


「フルフェイスと制限速度は厳守でよろしくッス」



「族のリーダーが律儀なもんだね」

「族じゃないッスよ。俺達はツーリングを楽しんでただけッス。信じてられやせんか?」


「……信じるよ」


「ウッス。恩に着りやす。では、礼に」と天上天下唯我独尊のジャケットも渡された。


「やっぱり、コレはやり過ぎだと思うよ。族に間違えられても仕方がない」

「ちゃんと、交通ルールは守ってますし、コレが俺の尊い目的なんスよ。放って置くとアイツら、直ぐ死んじまうから」


「なるほど、アイツらの為ね。これ以上は釈迦に説法という訳だ」

 天上天下の男はニヤリと笑っていた。


 僕は漆黒のフルフェイスを被り、奇抜なジャケットを羽織る。ファイヤーブレードに跨り、エンジンのスターターボタンを押し込む。


 ドュルルク!


魂を振るわせるように、紅の単車に生命が宿る。半クラで進み出すと、バラララッと勢いづく。僕はボイラーメーカーを煽ったように、気分が高揚した。


 夕凪が死の匂いを運ぶ。夕闇をファイヤーブレードのライトが薙ぎ払う。


 このスピードでも、対向車にぶつかれば死は目の前だ。横から車が飛び出して来たとしても、当たりどころによれば死に直結する。


 対向車とすれ違う度に死を感じた。ウィンカーをチカチカさせる車を、横目に通り過ぎる度に、生きていると実感した。


 死ぬ為に生きる。死ぬ為に時間を使う。限られた時間の中で生きる。


 私は天上天下の男に出会う為に苦しい仕事に耐えてきたのかもしれない。唯我独尊を知る為に……。


 結局、僕は自分勝手に、刷り込まれた記憶に翻弄されていただけなんだ。生きる為には働かなくてはならないと思い込んでもいた。アイツらに従うか、アイツらを蹴落とすしかないと思っていた。


 そんなの仕事なんかじゃない。


 その夜、僕は両親と話し合い。次の日の朝一番で辞表を提出した。その日は晴れやかな空だった。雲一つない解放された青空は、僕を何色にも染めることなく白色光を放っていた。


 ……僕は生きていた。


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