第三章 新たな訪問者
アンの身の上に起こった災難を聞いた私は、アンの
アンを保護した翌朝、三人で朝食を取っているときのことだった。
「ハル……。分かるか」
「ええ、アンさま。こいつぁ、かなり大きいですねぇ」
「こんなに近付かれるまで気付かんとは不覚じゃった」
「一体何のこと……」
そのときだった。突然、
「この魔力……。どうやら来たのは一人みたいですねぇ」
ハルが
私は二人と顔を見合わせて小さく
「どちらさまですか?」
「私の名前はエルネストという。
声から察するにどうやら若い男性らしい。背後に
扉を開けてまず目に入ったのは、逆光のせいでゆらりと
エルネストと名乗る青年の
(それに……なんて
耳の下ほどまでの長さの
けれど一方で、ぞくりとするほどの
(どこかの国の剣士といった感じ……。
私を見下ろす表情からは何の感情も読み取れない。そのため、目の前の青年が敵なのか味方なのか全く判断がつかなかった。エルネストさんの纏う空気はどこまでもひんやりと冷たく、
なるべく平静を
「こんな
「まずは
いきなりの
「いいえ、私は魔女ではありません。エルネストさん、他にご用件は?」
「この森に
エルネストさんは表情を変えずに
「私はクロエと申します」
「クロエ
「信じられないと
「この森に魔女が住んでいるという
「噂……ですか」
まるで心の奥まで見透かそうとするかのようにエルネストさんがすぅっと目を細めた。見つめる相手を
「しばらくの間、私はこの近くに
無表情で淡々と
「どうぞご自由に。時間の
「フッ。どうだろうな……。私には君が
初めて感情を示したエルネストさんの表情を見て驚いてしまった。氷のように冷たく
(この人が
確かに普通の人間かと聞かれれば、私は普通ではないだろう。だからと言って
「いい加減にしてください。見ず知らずの貴方にそこまで責められる覚えはありません!」
ずっと
「この美しい顔で男を
私は同じようにエルネストさんのサファイアブルーの瞳を、その本心を探るべく見つめ返す。エルネストさんとの間に
私の顎を指で支えるエルネストさんの腕を、ハルが横からグッと
「いい加減にしてもらえませんかねぇ。クロエさまは魔女なんかじゃありませんよ。これ以上無礼を働くならアタシがあんたの命を
「全く失礼な男よのう。
アンは両手を腰に当てて、エルネストさんを
エルネストさんはハルとアンの言葉に特に反応することもなく、私の目を見つめたまま視線を
「この手を放してください、エルネストさん。私が悪しき魔女かどうか、その目で存分に見極めればいいでしょう」
エルネストさんは私の顔からようやく手を
「現に君はこうして魔物を飼っているじゃないか。それでも魔女ではないと?」
「彼女たちは魔物ではありません。
私はどうにか
「どうだかな」
「なぜ貴方はそれほどまでに……」
──魔女を憎んでいるの?
私がそう言いかけたところで、エルネストさんの冷たい声によって
「まあいい。君が悪しき魔女なら私が殺す。それだけだ」
エルネストさんは全く感情を表さない低い声でそう言い放った。そしてそのまま
私は
「クロエさまぁ、あのエルネストとかいう男、殺しちゃっていいですかぁ? あいつが近くにいると思うと胃のとこがムカムカするんですけどぉ」
本来人間らしい感情を表に出さない
「ハル、落ち着いて。私のために
「それがいいかもしれんのう。
アンの言葉を聞いたハルがチッと舌打ちをしてふて
「クロエさまならあんな
「
「本当にそうなりますかねぇ……」
ハルが不満げに顔を
それにしてもエルネストさんの魔女に対する並々ならぬ憎悪は何に起因しているのだろう。
(彼は一体何者なのかしら……。どうしてあんなにも魔女を憎んでいるんだろう)
エルネストさんに関しては分からないことだらけだ。しばらくこの近辺に拠点を置くと言っていた。周辺にはこの家以外の建物などないというのに、どこに住まうつもりだろうか。
行動の予測のつかない存在が近くにいるという不安が、
「それにしても
「まあな」
そういえばアンは私の魔力を
「アンに気付かれたということは、私は魔力を
「そんなことはないぞ。お主は魔力そのものをちゃんと抑えられておる。いざ戦いに
「えっ、でも……」
「
「魔力とは違う……?」
アンの言っている内容の意味が掴めず、思わず首を
「儂が感知したのは魔力そのものじゃなくて、グリモワール独特の力と言ったらいいじゃろうか。
ハルがアンの言葉を受けてニコリと
「……そうだったの」
「ああ。しかも儂が感じ取れるグリモワールの力には色がついておるからの。お主の力は何色にも染まらぬ美しい黒。それはどんなに遠くにいても感じ取れる強い力じゃ」
「そうだったの……」
●●●
いつものように
家の周辺を少し歩くと、ハルが敷地の南側の一角に座り込んでいるのを見つけた。私の存在に気付きもせずに、地面に向かって何やら集中しているようだ。
一体何をしているのだろう。うずうずと
「……何してるの?」
「わわっ、クロエさまっ! ああ、びっくりしたぁ。ここを畑にしようと思って草を根っこから
「まあ、そうだったの……」
草毟りを手伝おうとしたけれど
「一応、魔物が入れない程度の結界は張ってるけど、
それにしてもエルネストさんはどこに
「ここから南に三百メートルほど行った辺りに魔物の気配が感じられない場所があるんで、多分そこに……」
そこまで話したハルが急に険しい表情を浮かべて言葉を
「……クロエさま。こいつぁ、やばいかもしれません。数百の魔物が南のその場所に一直線に向かっています」
「え……」
ハルから聞いた
「魔物の気配がない空白の場所は恐らくあの男の拠点でしょうね。場所を確保するために魔物を
ハルが
「怒り? 魔物が?」
「ええ。魔物の中には、
単体では弱い魔物でも集団になると強くなる。それが群れをなす魔物の
「群れの怒り……。この周辺には獣人はいないはずよね。群れをつくる魔物といえばアシッドエイプ、ビッグホーンディア……」
「この数からいって
ハルが
「私、エルネストさんの所へ行ってみるわ。魔物がここを襲わないとも限らない。ここの結界を最大強度にしていくから、ハルはアンを守ってあげて。結界の外に出ないようにね」
私の指示を聞いたハルが、
「クロエさま、あんな奴
「そういうわけにはいかないわ。魔物の数が
「ええ、奴の拠点の南東のほうから……。だけどクロエさま……」
「
ハルは私の言葉に
けれど本当は、
ハルにアンの保護を
「やっぱり森がおかしい……」
アシッドエイプは
体は
けれど一番厄介なのは
「何をしでかしたか知らないけれど」
エルネストさんは拠点の魔物を掃除するときに、奴らの群れの個体を何体か倒してしまったのかもしれない。あるいは拠点の場所が奴らの縄張りの中なのかもしれない。
「まったく、
私を殺すと言った
南へ走り続けてしばらくすると、
●●●
あの少女に会って拠点へ
「ん、なんだ……」
南東の方角から
すぐに
結界の南東の
奴らの習性については聞いたことがある。
「仕返しか?」
今朝早くに、話に聞いていた女に会うためにこの森へと降り立った。丁度いい草地があったのでここを拠点にしようと決めた。
そこで拠点の場所を確保すべく魔物の掃除に取りかかった。
その中にアシッドエイプが三
「こんな大群で来るとは
俺はクロエという少女の正体をまだ知らない。再会する前に猿ごときに倒されるなど無様すぎる。俺を殺そうとしたあの黒い
右手の長剣に氷属性を
この拠点を
そして奴らの唾液攻撃は厄介だ。
「さて、防御強化がどこまでもつか」
三匹のアシッドエイプが近付いてきた。魔法の射程に入ったのを見計らって、奴らに向かって放射状に氷の
「ギャアッ!」
「ギィアッ!」
残った一匹が氷の槍をかいくぐって飛びかかってきた。空中で俺に向かって強酸の唾液を発射しつつ、
俺の顔を狙った魔物の唾液を、姿勢を低くして
「ハッ!」
「ギィヤアァッッ!」
魔物が断末魔の悲鳴を上げた。そして分断されて
これで三匹は倒したが、最初にやった二匹の向こうから数十匹の魔物が枝伝いに近付いてくるのが見える。
「数は多いが
近づかれると唾液の攻撃が厄介だ。接近される前に魔法で
左手をかざして無数の氷の槍を大群の
斬り上げた地面から鋭い氷の
氷の棘は魔物を貫きながら同時に敵の進行をも
「キリがないな。全部で何匹いるんだ」
前方に氷の槍を射出しつつ、
これを何度
「くそっ、残りは何匹だ……」
いくら倒してもキリがない。倒した
油断をしていたわけではないが、
「ギャアァッ!」
断末魔の
「チッ。よりによって足か」
徐々に激しくなってくる痛みに
案の定、仲間の
一瞬絶望に支配されそうになった。だがそのとき、なぜかあの少女の顔が頭に
「まだ
これ以上敵を近付かせるわけにはいかない。俺は歯を食いしばって立ち上がった。
「あれを使うしかないか……」
魔力の消費が激しいので長期戦になりそうなときには使わない。
すうっと大きく息を吸って呼吸を整え、魔物が押し寄せてくるほうへ両手をかざす。そして残る魔力を
俺を起点として
持てる力の全てを出しきったとき、目の前にはまるでツンドラのような、白銀に染まった氷点下の世界が広がっていた。
「……やったか」
もはや魔力は底をつきかけている。そのまましばらく様子を見てみたが、もうツンドラの向こうから新手の魔物が来ることはなさそうだ。
凍りついた地面の上には氷像と化した魔物の
足を引き
「なぜあの
──あのとき浮かんだのだろう。
右膝の傷を
婚約破棄された公爵令嬢は森に引き籠ります 黒のグリモワールと呪われた魔女 春野こもも/角川ビーンズ文庫 @beans
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