第二章 迷える少女
私は朝ベッドから出たあと
以前この家に荷物を運びこんだときに、ある程度の
「ハルピュイア……私のもとへ来て」
現れた幻獣は全身が
幻獣といっても実体のない存在というわけではない。グリモワールの
ハルピュイアが
「アタシに何かご用ですかぁ?
「ええ、お願いしたいことがあるの。……そうねぇ、そのままじゃ
「お安いご用ですわぁ」
ハルピュイアは人間の女性へとみるみる姿を変えた。
そして予想通りではあったけれど、人に変化したハルピュイアは生まれたままの姿だ。
このまま
するとハルピュイアは
「ああン、もう! 人間って本当に面倒臭いですねぇ」
「フフッ。よく似合ってるわよ。
「メートレス、
ハルは人差し指を頬に当ててきょとんと首を
「そう? いい名前だと思うけど。それと私のことはクロエって呼んで。それじゃあハル、一緒にこの家を掃除しましょう」
「かしこまりぃ。ねえ、クロエさまぁ、ここ、風でピュウゥ~ってやっちゃ
「そうね、それもいいわね。だけどそれをやっちゃうと、埃と
「はぁい」
私はハルと一緒に高い場所の掃除から始めた。
二時間ほど掃除をしたところで、家の中が
「ハル、一緒に紅茶を飲みましょう」
「アハハッ。幻獣と一緒にお茶しようなんて言う人間はクロエさまくらいですねぇ」
ポットの中に入れた紅茶の葉っぱを
持ち込んだクッキーをハルと一緒に
「クロエさまはお貴族さまなんでしょ? どぉしてこんな
どうやら幻獣のハルでも私の行動に疑問を感じるらしい。どうして森で暮らし始めたのかなんて、理由は一つしかない。
幻獣は契約により、決して私の意に反する言動をとることはない。だから秘密を打ち明けたところで他言することもない。
「
「作りたいもの?」
「ええ」
「それってなんですかぁ?」
「……『
「えっ?」
ハルにそう答えたときだった。突然森のほうから子どもの悲鳴が聞こえた気がした。
魔物かもしれない。けれど人間かもしれない。この危険な森に幼い子どもがいるはずがない。人を
「行くわよ、ハル」
「りょぉ~かい」
ハルは
人化を解いたハルは空中を飛んで木々の間を
ハルが森の奥へ移動しながら一方向を指差して告げる。
「声の主はこっちみたいですねぇ」
「正確に分かるの?」
「ええ。
「たいしたものね。
「えへへぇ~」
ハルは
それにしてもハルピュイアにそんな特技があるとは知らなかった。幻獣の能力については黒の書に
森を迷いなく進むハルの後ろについていく。しばらくすると遠くから
さらに進んだあとに目に飛び込んできたのは弱り切った傷だらけの美しい少女と、
「うっひゃあ、いるいる!」
ハルが楽しそうに
フォレストウルフは
「グルルルル……」
獲物に向かって目を光らせながら獰猛に唸るフォレストウルフの五メートルほど先には、全身傷だらけの六、七歳くらいの幼い少女が弱々しく立ち竦んでいた。
着衣には血が
「グリモワール」
私は全身に黒の書を
「キャインッ」
光の刃のいくつかが一
残りの四匹の注意がこちらへ向いた。自分に危険が
「おバカさんだねェ。本能に逆らわなければ長生きできたのにさァ!」
ハルが魔物たちを
どうやらハルの攻撃は魔物たちが固まっている
「キャンキャンッ!」
ハルの超音波攻撃により魔物たちが耳から血を流している。どうやら魔物の体内に多大なダメージを
「ハル、やるじゃない」
「こんな
そういえばフォレストウルフの毛皮は高値で取引されると聞いたことがある。素材の利用価値が高いのかもしれない。となると、あまり体を傷つけないほうがいいだろう。
そしてこんな
私は
「キャンッ!」
「ギャインッ!」
ハルの攻撃で魔物の動きが
「クロエさま、すっごぉい! さっすが我が
ハルが
「ちょっと!
「あー、やばいですねぇ、これ。出血が酷いですもんねぇ」
ハルは無表情のまま少女の体を見下ろして、まるでお天気の話でもするかのように感想を
少女は意識を失っている。体中傷だらけで出血が酷く、呼吸が弱々しい。少女の腰よりも長いであろう
(なんだか
白かったと思われるボロボロの衣服は
私は足元に横たわる少女の
こんなに幼い子どもを私の目の前で死なせはしない。絶対に助けてみせる。
「私がこの子を連れていくわ」
「りょぉかい。じゃぁ、アタシはこの五匹……いや、四匹を運びまぁっす」
ハルが引き算したのは私が最初に切り刻んだ一匹だろう。あれでは確かに利用価値はない。ハルは状態のいい四匹の足を器用にその辺に落ちていた
私は自分に身体強化をかけて少女をゆっくりと
少女の体は冷え切っている。傷だらけでなんと痛々しいことだろう。
「
●●●
家に到着してすぐに少女を抱えたまま
少女をベッドに横たえたあと、ボロボロの衣服を
外傷の治癒は済ませた。あとは失った血液を補うために、意識が戻ってから何かを食べさせればいい。そしてこの子の手首の……、
「この
「なんですかぁ、それ?」
いつの間にか人化してお仕着せを着用したハルが後ろに立っていた。
「『
「壊そうとすれば……?」
「この子は
私は少女の腕輪を見つめながら、
「嵌められたらはずせないってことですか? クロエさまでも?」
「ええ、私が嵌められても自力で破壊するのは無理ね。そういう仕組みになっているのよ。でも外側からならなんとかなるかも……」
本当に
「クロエさまなら壊せるんですかぁ?」
「やってみなければ分からない。放置しても今すぐに生命を
「なるほどぉ。さすがクロエさまですねぇ」
「この子が目を覚ましたら温かいスープでも飲ませてあげましょう」
「それならアタシが作りますよぉ」
今度は私が思わず目をぱちくりさせてしまった。幻獣って……、
「……料理、できるの?」
「お任せですよぉ。クロエさまとの意思伝達のお
「任せるわっ」
私はハルの言葉を
早速ハルは鼻歌交じりに表のフォレストウルフを解体しに寝室から出ていった。私は少女を横たえたベッドの
「はぁ……。百以上の術式が複雑に絡み合ってる。半数以上が
「う、うーん……」
少女が苦しそうに
それを見てほっと胸を
この呪いそのものは生命を奪う呪いではない。何かを
「全く。私を
そうしてしばらく腕輪を
「これね。……グリモワール」
ようやく見つけ出した最初に解除すべき術式を、黒の書を行使して
この作業を術式の数だけ
「う……」
私が十個の術式を解除したところで、少女がゆっくりと瞼を開いた。もう午後三時を回っている。解除に
「ここは……」
少女はぼんやりと
「気が付いてよかったわ。ここは
「そうじゃったのか……。そういえば……お主たちが助けてくれたんじゃな」
「……ええ」
人外の種族のお
そしてこの腕輪を嵌めたのは
「礼を言うぞ。
「ではお言葉に甘えまして。アン、私はクロエよ。よろしくね」
「うむ、よろしく
ちょうどそのときハルが寝室に入ってきた。あっけらかんとした明るい
「話し声が聞こえたんでスープを持ってきましたよぉ。目が覚めてよかったですねぇ」
「お主も助けてくれたのう。礼を言うぞ、ハルピュイア。儂はアンジェリクじゃ。アンと呼んでくれ」
「アタシはハル。クロエさまの
ハルはどこの国で覚えたのか分からないが、胸に
それにしても人化しているハルを幻獣のハルピュイアだと見破るなんて、アンはやはり
「ハルか。よろしくな」
「よろしくでっす。ところでアンさまは何者なんですかぁ」
ハルに先を
「儂は……。その前に、それはなんじゃ?」
アンがベッドからゆっくりと上半身を起こしてハルに尋ねた。アンの視線はハルの持っているトレーに固定されている。
「あ、これですかぁ? これはフォレストウルフのスープですよぉ。肉を
ハルなりの
「ふむ、
「ど~ぞど~ぞ。
「あんな奴ら、いつもの儂なら……くそっ」
アンは
満足げに食事を終えたアンに尋ねてみる。
「それで、
「うむ。儂は
「竜……」
「ほぇ~……」
予想外な答えに、私もハルも驚きを
「竜なのね」
「竜かぁ」
「竜じゃ」
得意げに答えるアンを見て思う。こうして見るとただの
「しかもただの竜じゃないぞ? 儂は竜の国カーンの女王……竜王なのじゃ」
「竜王!?」
「はぁ!?」
──竜王……。昔話で聞いたことがある。
「それは
私の知っている昔話を聞いたアンがあっさりと白状した。
「嘘なんだ……」
「アハハッ。クロエさま、かぁ~わい~。くしゃみで国が滅ぶわけないじゃないですかぁ」
「笑わないで……」
なんだか
「それにしても、女子なのに竜王とはこれいかにぃ~?」
「カーンでは王じゃろうが女王じゃろうが代々竜王と呼んでおるのじゃ」
「本当に竜王さまなのね」
やはりこの幼女の姿は腕輪のせいなのだ。いくら人化しているとはいえ、竜王がこんなに幼いわけがない。
「それで、その腕輪はどうしたの?」
「うむ、これはじゃな、話せば長くなるのじゃが……」
「
ハルの要求に「うむ」と小さく
「儂は昔から酒が好きでな……」
「その話、長くなりますぅ?」
「酒って……」
一体この子はいくつなのだろう。腕輪のせいだ。きっとそう。幼女がお酒を飲む
「まあ、聞け。一週間くらい前じゃったか、竜の姿で空を飛んでおったら地上からいい
「ジュルル……」
「よっぽどお酒が好きなのね……」
お酒の味を思い出しているのか、うっとりしながら涎を垂らすアンを見て、ハルが貰い涎を垂らしている。そんなアンを見て複雑な気持ちになった。竜の姿で飲んだのは分かっているけれど、どうしても目の前のあどけない少女の姿を見ると
「アンは一体いくつなの?」
「儂は七百六十歳じゃ」
「七百六十……」
「アタシよりも年上じゃないですかぁ」
「お主は何歳じゃ?」
「アタシは二百八十歳なんですよぉ」
「フン、まだ
「若いって言ってくださいよぉ、マダム」
竜も
「おっと、話が
「何もない所に酒樽が転がってるのが不自然だと思うんですけどねぇ」
「そうね。
私とハルに
「う、うむ、
「腕輪が
「いかにも。
そこまで説明したアンが肩を
けれど、これだけの術式を刻んだ
「一体
「それが分からんのじゃ。食事を運ぶ者には
「血と繁殖……」
「竜の血は
「そうね。だけど繁殖って……竜と人を交わらせようとしたのかしら。だとしたらなんて
「全く人間って奴は
ハルが
竜の血については黒の書にも
それにしても竜の繁殖とは……。
「それで、どうやって
「見張りが檻に食事を入れる
「なかなかやりますねぇ」
「運がよかったわね」
私とハルが感心すると、アンは得意げに大きく頷く。
「うむ。じゃがこの腕輪の呪いがある限り、儂は
「『真理の書』……黒の書ね」
「そういうことじゃ。儂は特別な能力を持つ黒持ち……つまりお主を探した。するとそれほど遠くない場所にお主の魔力を感じ取った。この森じゃ」
力を抑制されていても他者の魔力を感じ取れるのか。流石は竜だ。
「よくこんな所まで来られましたねぇ。力を
「うむ。じゃから儂はこの森に入る前に街の薬屋で姿を消す薬、エタンドールを
「悪銭身に付かずってやつですねぇ」
「ハル、それはちょっと
ハルは人間に興味があるのだろう。
「そこに私たちが助けに来たというわけね」
「そうじゃ。……ふぅ、すまん、クロエ。話しすぎて少し
そう言われてみればアンの顔色が少し悪くなっている。
「あら。無理をさせてしまったわね。ごめんなさい。ゆっくり休んで」
「それじゃあ、アタシは夕食の準備にかかりますねぇ。
「楽しみにしておるぞ、ハル」
ハルが
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