第一章 婚約破棄……そして
王宮の夜会に招かれたのは本当に久しぶりだ。十四歳のデビュタントで参加して以来だから、約二年ぶりになるだろうか。けれど今夜はたった一人で王宮の広間へと来ることになった。
王太子のレオナール
今目の前では、殿下がミレーヌの
多くの貴族が見守る中で、殿下とミレーヌ、そして王太子の側近たちが険しい表情を
「クロエ・ルブラン。我がブリュノワ王家の名において、私、レオナール・ブリュノワはお前との婚約を
目の前の
殿下の
背中まで
目の前で尊大に見下ろしてくる我が元婚約者
「
「それはお前が正統なグリモワール
「ミレーヌが正統な継承者……」
一体いつからそんな話になっているのだろう。
「グリモワールの正統な継承者は王家の庇護下にある。それを害するは我が王家を害するも同義。本来ならば
「虐待、ですか……」
殿下が言っていることは全く身に覚えがない。事実無根の言いがかりだ。けれど出所は大体想像がつく。
今回、ブリュノワ王家はグリモワールの正統な継承者を
「婚約者がお前のような地味な女であることがずっと
「……申し訳ございません」
「フン。これでようやくお前との
「
うっとりと殿下を見上げながら、ミレーヌがその
(確かに私は地味だものね……)
殿下の言う通り、私は誰が見ても
時間があるときは、いつも図書室で本を読んでいる。他の令嬢との交流がなく学園にいるほとんどの時間を一人で過ごしていた。殿下には無口で無表情でつまらない地味女だと会うたびにいつも
殿下の陰で
「お姉さま、私はいくら
「そう、ありがとう。……けれどミレーヌ、
「そんな! 私は何度もお姉さまこそが正統な継承者だと申し上げたのですけれど……」
ミレーヌは
悲しげに涙ぐむミレーヌをちらりと見たあと、王太子の側近で
「クロエ。お前の持つ黒の書は、聞けば何の役にも立たぬゴミだというではないですか。よくも今まで
私はリオネルの言葉を聞いて大きな
幼いころからミレーヌは二人だけのときに限って感情的に
そしてお父さまはそんな私を、無表情で
「お言葉ですが殿下、私がミレーヌを虐待したという
「証拠か。証拠ならお前の父、ルブラン
「……そうですか」
私は殿下の言葉を聞いて少なからず
「婚約破棄の件、承知いたしました。どうぞ陛下にも
八歳で婚約してから、私なりにレオナール殿下といい関係を築こうとしてきた。けれど殿下はいつも私に対して冷たかった。夜会にエスコートしてもらったこともなければ、花の一本すらも
けれどそれでも構わなかった。愛のある結婚を夢見たこともあったけれど、政略結婚というものはお
けれどミレーヌが学園に入学した三年前から、殿下とミレーヌが
(最初に目にしたときは、それなりにショックを受けたわね……)
最初のうちは胸が痛んだ。地味で
広間から出ようと
「まさかこのまま帰れるなんて思ってないよね?」
私は
アランもまた殿下同様、貴族令嬢の間で人気が高い。紅顔の美少年だとかなんとか言われているらしい。実は童顔なだけで殿下と同じ十八歳だったりするのだけれど。
アランはニヤリと笑うと、私に向かい両手をかざして、突然風の
私は
「くっ!」
(……まったく。
アランは
「あんたは僕たちのミレーヌ嬢を傷つけたんだ。このくらいで済んでありがたいと思うんだね!」
「……」
これ以上は何を言っても
私はずり落ちそうになっていた眼鏡を直しながら、膝の
「痛っ……!」
トリスタンは
「この毒婦めが! 我が国の至宝を脅かさんとするとはな!」
私の両腕を後ろ手に拘束したまま、トリスタンが低く
「まあ、待て。こんな
「なるほど。公爵家を追い出されれば、貴族
そう言って私の腕を放し、ニヤリと笑う騎士トリスタンの
「僕はまだ気が済まないんですけどねぇ」
「フン。いい考えだとは思いますが、これ以上手を出すと美しい広間が血で汚れてしまうのでやめてくださいね」
アランの言葉に宰相の息子リオネルが
そして殿下のほうを向いて、非の打ち所のない
「
貴族令息たちの悪辣な言動に、
出口に近付いて
●●●
私はボロボロのドレスを身に
「もうこの街を目にすることはないかもしれない……」
街を眺めながら小さな
屋敷に帰宅したあと、馬車を降りて入口の
けれどそのような生活ももうお
「お父さまはどちらにいらっしゃるのかしら?」
「……
「そう、ありがとう」
侍女は足を止めることもなく、前を向いたまま
それからというもの使用人に
これまでの生活を思い出しながら、お父さまに会うために書斎へと足を向けた。扉の前でノックをすると、内側から入室を許可する返事があったので中へと入った。
お父さまは
「お父さま、ただいま帰りました」
私がそう言うと、お父さまはペンを置いてようやく私を見た。まるで
「まだいたのか。この家はもうお前の家ではないのだ。さっさと出ていくがいい。そして二度と足を
このようにボロボロにされた
このルブラン
一方屋敷そのものはグリモワールの正統な
けれどミレーヌがレオナール殿下と婚約したあかつきには、実質的な屋敷の持ち主はお父さまということになるだろう。
「準備ができ
「……なんだ」
お父さまは口を開くのも面倒臭いといった様子で
「お父さまは、なぜありもしない事実を王太子
「ありもしないか……。だがミレーヌはお前に
「そんな事実はありません。お父さまは私が
「ミレーヌが言うのだから
ミレーヌの言葉には証拠が
「虐めていた証拠だって存在しないではないですか」
「ミレーヌの証言だけで証拠としては十分だ。ミレーヌとお前のどちらを信じるかと問われれば、この屋敷の者は全員ミレーヌと答えるだろう。無論私もだ」
言っていることが
「承知しました。もう結構です。最後にもう一つだけお聞きしてもいいですか?」
「……さっさと言え」
「お父さまは私のことがお
「……」
お父さまはしばらく
私は最後にお父さまの言葉でお父さまの本心を聞きたかったのだ。けれどお父さまの本心を知ることは、もう一生ないのかもしれない。きっと歩み寄らなかった私にも責任があるのだろう。いずれにせよ親子関係はもう
いい
「お父さま、この世に私という命を
「……」
お父さまは無言のまま最後まで顔を上げて見ることはなかった。私は少し悲しくなったけれど、カーテシーをしたあとお父さまの前を辞した。
●●●
お父さまの書斎を出たあと私室へと向かった。そしてビリビリに破れたドレスを
部屋にある私物をトランクに
「静かな夜……」
辺りはしんと静まり返っている。まるでこの世に自分一人しか存在していないかのようだ。
傷が痛んだことで、女性相手に
「痕になってるじゃない……。やりたい放題やってくれちゃって」
夜会では、あえて軽い
殿下と側近たちはミレーヌを
私は左手を胸の辺りの高さに
「グリモワール」
黒の書のページがペラペラと
「黒の書が役に立たない? フフッ」
ミレーヌが宿す白の書は治癒と防御のグリモワール。赤の書は魔術のグリモワール。青の書は
黒の書の力は黒以外のグリモワールを
そしてグリモワールの力を行使する際には
「ミレーヌが継承者として名乗り出てくれたのは
一方、私の魔力は
代々黒持ちは
もしグリモワールの真実と私の魔力のことを
「国に囚われるなんてまっぴらだわ」
お母さまが亡くなった八歳のときから地味に
殿下との
「あのときから誰も信用できなくなっていたのかも……」
殿下とミレーヌの
それならばいっそ自由に行動できるようにする必要があると、殿下からは
王太子、その側近、そしてミレーヌ……。彼らの
ブリュノワ王国の
「これからは自由に動けるわね」
お母さまを暗殺した首謀者をどうしても見つけたい。全てが計画通りに進んだ今、あとは新しい住まいへと向かうのみだ。
部屋の中に目を向ける。先ほどまで着用していたボロボロのドレスを見て思わず
「最後の夜会だと思って奮発したのに……。
私は再び掌の上にグリモワールを出した。
「グリモワールよ、我が身に
詠唱とともに黒の書が掌から離れて体の周りをぐるぐると回り出す。黒の書の
体の線を
「ペガサス……。私のもとへ来て」
私の願いに応じて漆黒のドレスが青い光を纏う。その青い光が目の前に集まり、光の中から白い
絹糸のような金色の
「さあ、
「ブルルル……」
ペガサスが気持ちよさそうに鼻を鳴らして
「フフ、
魔法で体を
●●●
ペガサスとともに上空から地上を
危険な魔物が
そのために人々から
「見えてきたわ。あの光の場所へ向かって」
その真っ暗な森の中に、ほんのり
私は小屋の周囲の草地にペガサスとともに降り立った。窓から
小屋とはいっても数人で暮らせるほどには大きい、ダークオークの木で造られた古い平屋だ。今日からここで暮らすことになる。
「草がぼうぼうだわ。畑を作るなら
ペガサスは返事をするように高く
家の
「
私を包む漆黒のドレスがシュルシュルと消えて、元々着ていた青のワンピースが現れた。黒の書が私の中へと
後ろで編んでいた三つ編みをほどいて頭を左右に振ると、少しだけ
私は
目の前の大きな鏡を見ると、そこにはそばかす一つない雪のような
「もう目立たないように
眼鏡を掛けると、
確かに地味かもしれないけど、それほど見た目は悪くはないと思う。ともあれこの装いのお
「黒の書を纏っているときは『呪われた魔女』に見えなくもないわね。あの表現、
浴室に向かったあと、お湯を張ったバスタブにラベンダーを散らし、着衣を
(
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます