外の夏の虫の声

唸るような低い声を煩いと詰る眠り近い狷介なじじいが餓鬼の如き下戸をさらした夏の夜に花火も涙も落雷もみな君には無意味な意志と恣意とで汚された定めなきたゆたう浮草の憂さのような哀れに求める僕のこころは心は傷つくことを知って書くことしかできないと知ってやはりそれはたやすく恋になるのだ。

君の声を聞きながら眠る日など訪れないとあの日から知っていたのにまだ待っているのは馬鹿だと笑うのだろうか。

道の途上で見た猫の薄汚れた粗野な毛並みに憧れを抱いた日々が懐かしく思い出されて生きて死んでを繰り返す空白のような僕らの居場所は空がふさわしいのだと先走りたいのだろうと笑ったのが過ちだったなら謝りたいのに君はベガの隣でうっすら頬を薔薇色に染めていて嫉妬しないはずがないのだ。


長い睫毛が夜露に濡れて慣れたはずの夜が怖くて闇から流れる青い血の筋が煙のように高くのぼり天を流れて天の川になるための魔法を唱えるためには一つの純粋に透明な宝石が必要だという気がした。


退屈で単調な毎日の連続。


橋を渡してみませんかというかささぎの愚かな申し出を受け入れた天は愛や恋を詩的に美しく彩ることを人間に許したのだという。

生きるに足りぬし死ぬにも足りない淡い性欲だけが未来を続ける唯一の権利だったのに君が放棄した僕とのつまらない交わりはそれだけが生を正当化させる手段だと君が好きだというからっぽを和音で満たす手管だったのに瓶のなかのガラス玉を取り出したくて無理やり割った砕けた透明な夏の夜の祭りは二度と戻らないのだ。


生きている限り僕はお腹が空いて君は死に満たされていてまぶしくひかる雨が光を七色に分解しても美しさすら感じられない何も知らないまま僕は君のために生きるとうそぶいては夜にヒトになって知らないヒトを抱いて言葉を探して意味を求めて紡いでつむいでつないで繋いで意味はきっといつまでも詩にならない死のままで。

少しだけ欠けただけの僕がなにもかも欠けている君を同情しなかったのは憧れのせいだと君は知っていたから泣かなかったのだろう。

言葉を水にひたしてふやかして意味を溶かしてミキサーにかけてぐちゃぐちゃになったスムージーを新鮮なまま飲み込んだから腹をくだして臭くて醜くて愚かで価値のないことこそが意味だと確信してしまった夜にこそどうしてか星が降る。


どうせ君のしわざだろう。意地が悪い。


虫が鳴く。


声が重なり響き合う夜だからと歌をうたうのを慎みをもってやめるほど君はおくゆかしくもないから助けてよっていうと思っていたのにあっさりゼロを求めて死に近づいていったのだろうか。

花びらをかぞえて好き嫌いとマーガレットとむしりとってしまう残酷さこそが君が生まれてから身につけるべき最初のずる賢さだったはずなのに。

花が綺麗だからといって泣いた。


夏の日差しにかき氷が溶けてプールに流れ込んで虹のように七色の水面の表面に浮かぶオフィーリアのような君は太陽など忘れて死にばかり憧れて甘いあまいフラクタル図形のような関係性を最新部まで潜っていた。


水着を濡らす色水のうえに香る夏。


花火の記憶にあえぐ金魚みたいな僕はいっそ筒で火薬で飛ばされたいのだなんて馬鹿な話は誰にもできずに空を仰いで君を待っている。

探しても見つからない流れ星のような虚しさだけがいつのまにか月の明るさを雲に隠して僕を応援してくれる。

生まれた瞬間から下された死刑宣告に耐えきれずに自らの意志を優先させるのは悪だといわれる筋合いなどないのだと主張しても君はどうせ十字路行きさと嘆く僕は君以上にあわれなことに行き場もわからずそこに今日も立たされている。

スクランブル交差点を人が行き交う。

無数の人。


無数の虫の声。


君の声だけが世界に欠けていることに気づいてしまわないように夜の虫の声に耳を傾けては世界に色が散るのを耳の奥で感じていたいのだ。

ベッドに寝転び天井ばかり見ていても君が隣にいることもなければ太陽に焼かれようと高くのぼるヨダカのような夢を見ることもなければイカロスのように翼を失い落ちてしまう間抜けな欲望も抱かずに受け身ばかりで能動性などトイレに流してしまうその能動性だけがのうのうと生きているのだ。


恋はフィクションのように美しくはなくとも君は美しかった。


虫の声。


行き先もわからぬまま雲に身を委ね眠る短命な生き物たちを笑う僕らもせいぜい生きて百年ぽっちで二百年でも一千年でも万年でもなにが変わるのですか十六で死ぬのがいけないんですか二十七なら特別なクラブに入れますかどうしてどうして遠くで笑うのですか声が聞こえないんだよ。

燃え尽きる命の限りを尽くして叫んでも届かないくらい暗い遠い夜の空にしんと輝く星を見つけてそれが君だと勘違いしたいと思っても思えないだけのくだらない僕の命こそ蝋燭のように細い光を一瞬だけ放って消えていくべきだったのにどうして君が。


青空に落ちた色。

鳶の瞳に映る色。

記憶を染める色。


雪に隠したはずの無感情が春に溶けて花開くような夜の囁きがちらほら耳に響き会うのも厭うほど好きだと喚くような無様な姿を晒したっていいのだ君が好き。

足音を聞くくらいいいでしょうと思うけど。

君は地に足つかない。

純粋で孤独を君は失ったのだ。


桜の花はとうに散りました。色の向こうに朝を求めて鳴いていた鶯は帰りました。ずっと前から酔っていたって嘘を電車とホームの隙間に落としてなかったことにしてもいずれ誰かが拾うのだ。恥も外聞もなく、自らの愚かさを鏡の前でさらされるような不名誉すらも甘受してさあ歩こうではないか。

イルカが泳ぐはずの夢現の海の曖昧な水平線など拒んでたしかな波打ち際こそ僕らの居場所だったのだ。だから泣くなよ。泣くなよバカ。

掌に乗せたままの貝殻ににじむような虹色に触れた瞬間あたたかいと思えたのは夏が暑いからだと説明して君を遠ざける。


近くにいるはずなのに。本当は近くにいるはずなのに。虫の声も君の声も空の色も君のバラ色の頬も唇もすべてそこにあるはずなのに。


孤独は雨になった。

リルケの詩集を手に持ち鵠沼海岸をあてどもなく歩いた。

時間概念の不可逆をエントロピーで説明しても生と死の不可思議を言葉に還元できない虚しさこそ知の限界だと悟った。


だからさようなら。何度目のさようならだろう。


軽蔑する無機質な視線すらも冷たさが感じられない夏の太陽。

意味のない虹を空に架けて渡って君に会いにいくつもりが海に落ちた。愚痴みたいに人を未来に置き去りにして耳を澄ます。

聞こえるはずなのだ。

暗い夜を閉じた。つばきの落ちるいまわを見た冬の冷たさに似ている君の声。夏とは対極にある君の声。


僕の手は、星には届かないからと、今日も、快楽の夏の甘みを貪るのだ。

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